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2015年3月26日木曜日

クロス「第2章:死海文書の歴史的状況」

  • フランク・ムーア・クロス「第2章:死海文書の歴史的状況」、ハーシェル・シャンクス編(池田裕監修、高橋晶子・河合一充訳)『死海文書の研究』ミルトス、1997年、61-76頁(Frank Moore Cross, "The Historical Context of the Scrolls," in Understanding of the Dead Sea Scrolls, ed. Harshel Shanks [New York: Random House, 1992], pp. 20-32)。
死海文書の研究死海文書の研究
池田 裕

ミルトス 1997-09
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本論文は、死海文書の歴史的状況について、なるべく研究者間のコンセンサスに基づいて説明したものである。まず考古学的観点から、クムラン共同体の遺跡が三つの層(Ia期、Ib期、第三期)に分かれているが、これは一つの連続した共同体であると説明する。著者によれば、このことは、彼らがクムランという特殊な場所に共同体を設けたこと自体から分かるのだという。

次に、著者の専門である古文書学からの年代決定について説明される。クムラン写本は古文書学から見て三つに分けられる。第一に前250-前150年の古代のスタイル。第二に前150-前30年のハスモン朝のスタイル。第三に前30-後70年のヘロデ朝のスタイルである。共同体の起源は、最も古い宗派的文書の成立年代と考えられるので、前100年頃とされる。それ以前の年代に成立されたと考えられる文書、特に聖書の写本は、共同体の成立時に外から運び込まれたものと考えられる。

著者はクムラン共同体の正体をエッセネ派であると考える。これはクロスのみならず、多くの研究者によって受け入れられている説である。これを支持する外部資料は、ヨセフスと大プリニウスである。プリニウスが証言する荒野のエッセネ派集団として、クムランの他に適切なものは考えにくい。著者によれば、クムラン=エッセネ派説に用心するとした学者は、クムラン共同体の他に、よく似た共同体が存在し、しかもそちらは一切の痕跡を残さず消えたと考えなければならず、そんなことはあり得ないので、クムラン=エッセネ派説は妥当だという。

著者は、クムランのエッセネ派は祭司の集団であるとし、死海文書の背景には、祭司同士の闘争があるとする。すなわち、「義の教師」に率いられた真のイスラエルたるクムラン共同体と、「悪の祭司」たちが司るエルサレム神殿との戦いである。クムラン共同体は、神が支配する新時代の生活への準備またはそれを前もって実行するという、黙示的信仰を持っていた。そしてそうした未来の謎を解くために、聖書の預言をペシャリームという方法で解釈した。彼らの自己理解の根底には、民数記のモーセの宿営(民2-4章、9:15-10:28)のイメージがあった。つまり、荒野のイスラエルが征服の戦いに備えていたように、クムラン共同体も来るべき終末的な戦闘に備えていたのである。

著者は、「悪しき祭司」の正体を、大祭司シモン・マカバイであると考えている。著者によれば、この理解は、第四洞窟の「証言集」において暗示されている、ヨシュア記6:26のイメージを用いた歴史的事柄とよく一致するのだという。シモンの兄弟であるヨナタンこそが「悪しき祭司」の正体だとする者もいるが、著者は、歴史的事実とクムラン共同体の書物に書かれた出来事との一致において、シモンに軍配が上がるとしている。

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