2015年3月2日月曜日

クムラン墓地について Hachlili, The Qumran Cemetery Reassessed"

  • Rachel Hachlili, "The Qumran Cemetery Reassessed," in The Oxford Handbook of the Dead Sea Scrolls, ed. Timothy H. Lim and John J. Collins (Oxford: Oxford University Press, 2012), pp. 46-78.
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本論文は、クムラン墓地について考古学的知見から解説したものである。多くの研究者は墓地のあるクムラン遺跡を、前2世紀に作られ、後68年にローマに滅ぼされたエッセネ派の居住跡であると考えており、また洞窟で見つかった死海文書はこのクムランに住んでいたエッセネ派に属するものであると考えている。しかし、他の研究者たちは、クムラン遺跡は富裕なエルサレム居住者の別荘であるとか、砦であるとか、壺焼き場であると考えてもいる。

居住区の東側にある墓地は、四つの部分に分かれている。これらから、現在までに56基が発掘された。こうしたクムランの典型的な墓は、以下のようにまとめられる。第一に、墓を南北に伸びるかたちで置くこと。第二に、墓石には楕円形の自然石が用いられること。第三に、内部は竪穴式で、底部に小房が付されていること。第四に、しばしば焼かれていないレンガの蓋がついていること。第五に、遺体をひとりひとり個別に仰向けに横たえ、頭を南向きにすること。第六に、壺を墓の内部に置く場合があること。第七に、木製の棺の中に入れる場合があること(この埋葬法はエリコやエン・ゲディでも見られる)、である。ベドウィンやムスリムの墓がこうした古代の墓の中に混ざっている場合があるが、これらの特徴とは異なった埋葬を施されている(墓が東西に伸びるかたちで置かれていること、小房がないこと、遺体を体の横部分を下にして置くこと、など)。死海文書の中で、埋葬法に言及したものとしては、『神殿巻物』がある。

発掘がすすんでいないので、すべての墓が調べられたわけではないが、現在のところ男性34人、女性16人、子供6人、不明6人が見つかっている。女性や子供はメインの墓地ではなく、二次的な墓地の中から見つかっている。女性が見つかっていることから、クムラン共同体が独身主義であったとは考えにくい。ただし、男性の比率が高いことは確かである。また子供の比率が著しく低いことも特徴的である。

エルサレムやエリコの墓地では小房型の墓がほとんどであるのに対し、クムラン墓地は竪穴式墳墓になっている。著者は、エルサレムのベート・ザファファ、エリコ、エン・エル・グーウェイル、ヒアム・エルサーガ、キルベット・カゾーネなどの遺跡と比較している。キルベット・カゾーネはナバテア人の遺跡と考えられているが、著者によれば、この遺跡はクムラン遺跡と多くの共通点を持っている。クムラン遺跡は、場所としてはエルサレムやエリコにより近いにもかかわらず、死海の南東部の遺跡との共通点を持っているのである。

こうしたことから、クムラン共同体の律法や宗教的規則は、当時の一般的なユダヤ教のそれとは異なっていたといえる。エルサレムやエリコの埋葬法は、個別の埋葬をする場合は木製の棺に入れ、何人かを共同で埋葬する場合は大理石でできた共同の棺に入れたり、小房の中に積み上げたりした。このことから、クムラン遺跡がエルサレム在住者の別荘、砦、壺焼き場である可能性は低いといえる。なぜならば、もしそうであったら、クムラン墓地はエルサレム・エリコ型の埋葬法を取られていたはずだからである。クムラン共同体は通常のユダヤ的習慣とは別の方法を取っており、典型的なユダヤ的共同体からは孤立していたのである。また墓を南北に向けて置くのは、『エノク書』に代表される天的なエルサレムを目指したものであり、エッセネ派の特徴ともいえる。個人的な埋葬法から、彼らにとって家族よりも個人の方が重要だったことも分かる。

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