2015年3月13日金曜日

ギリシア、エジプト、ローマの法律 Maehler, "Greek, Egyptian and Roman Law"

  • Herwig Maehler, "Greek, Egyptian and Roman Law," The Journal of Juristic Papyrology 35 (2005): 121-40.

現存するパピルスの豊富さゆえに、ギリシア・ローマ時代のエジプトは、日常生活の中でどのように法的理論が実践されていたのかを知ることができる貴重な場所である。これまでギリシア・ローマ時代のエジプトでは、ギリシアの法律とローマの法律とが相対していたと考えられてきた(Ludwig Mitteis)。しかし、著者はこの二項対立では当時の状況は説明できず、エジプト、ギリシア、そしてローマの三つ巴こそが実情だったと考える。そこで著者は、まずギリシア対エジプトの法律、それからギリシア・エジプト対ローマの法律というそれぞれの構図を説明している。

ギリシア対エジプトの法律については、五つのトピックに分けている。第一に、法律が適用される人、第二に、所有と所有権、第三に、義務、第四に、結婚、そして第五に、相続である。まず第一の観点について、プトレマイオス朝エジプトでは、大きく三つの人種、すなわちギリシア人(マケドニア人を含む)、非ギリシア人(エジプト人、シリア人、ユダヤ人、ヌビア人等々)、そして奴隷に分かれていた。奴隷は何の権利もなかったわけではなく、結婚、組合への加入、売買などの契約をすることができた。ギリシア人と非ギリシア人との違いは、ただ法的手続きのみであった。ギリシア人の法廷ディカステーリオンでは、ギリシア人、マケドニア人、その他外国人(ユダヤ人など)の裁判が行われたのに対し、エジプト人の裁判は地元の法廷ラオクリタイで行われた。ここでの違いは、人種に基づくものというより、言語に基づくものだったという。世代を経るに従い、エジプト人とギリシア人とを区別することは困難になっていった。

第二に、財産の所有と所有権について。たとえば土地は原則的には王のものだったが、実際は個人によるリースなどが行われていた。所有物の売買に関して、エジプトとギリシアの法律の違いは、売買の記録方法の違いだった。エジプトでは二つの受領証が必要だったのに対し、ギリシアでは売買が有効になるためには、アゴラノモスの前で登録(カタグラフェー)がなされる必要があった。こうした点について、エジプトの法律の方がギリシアの法律よりもフレキシブルだったという。

第三に、契約における義務の概念は、ギリシアとローマでは極めて重要なものとされており、高度に発展していたのに対し、エジプトではあまり発展しなかったとされる。ギリシアでもエジプトでも、ローンの追徴金はヘーミオリアと呼ばれたが、細かい点に関して異なっていた。

第四に、結婚について、エジプトの法律では結婚の同意書では結婚そのものではなく、妻の経済的な権利を守るための金銭的な同意について述べられている。これは夫から妻へと直接向けられたもので、夫が妻を経済的に支えることが明言される。結婚の持参金は、妻の財産として維持される。ただし、こうした同意書における妻の権利は、結婚に対するその貢献度によって異なるものだった。もしその貢献度が高ければ、妻の権利は十全に守られたが、もしその貢献度が低ければ(たとえば浮気をしたなど)、夫は自分の財産を妻に譲る必要はなくなる。とはいえ、概してエジプトの法律における妻の経済的な権利は、極めて有利なものだった。対して、ギリシアにおける結婚では、こうした同意書は夫と妻との間のものではなく、夫と、妻の父親との間のものだった。またエジプトの法律よりも妻の倫理的従順さを重視する傾向があった。しかし、後二世紀にもなると、ギリシアの法律もエジプト式に変わっていった。第一に、同意書は夫と妻のものとなり、第二に、共同で財産を所有することになり、第三に、その共同財産は持参金の担保として妻の経済生活を維持するものとなり、第四に、妻の不品行に対する取り決めはより明確になり、そして第五に、離婚する場合に妻は必ず持参金を返還されるようになった。つまり、基本的にはエジプト式に妻に有利なものとなったが、不品行時の妻への罰則は強まった。こうしたことから、ギリシア人男性とエジプト人女性とが結婚する場合、妻はエジプト人としてエジプトの法律のもとにある方が有利だったので、あえてエジプト人として結婚する女性が多かった。

第五に、遺書については、エジプトではそうした形式のものが存在しなかった。男性の遺書に当たるものは、結婚の同意書の中などに明示されていた。そこでエジプトの法律はギリシアにおける遺書の形式を取り込んで、死後に財産を分けるときの指示を残すようになった。

以上より、エジプトにおける法律は、エジプトの法律とギリシアの法律とが相互に影響しあうかたちで発展したといえる。しかし後二世紀になるとエジプトの法律(ノモイ・テース・コーラース)の方が優勢となった。

前30年になると、これにローマの法律が加わることになる。ローマの属州監督は、ローマ法に抵触しない限り、地元のやり方を尊重する方針を採った。いうなれば、大多数の法規に関してはエジプトの法律を、二次的な部分に関してはギリシアの法律を、そしてごくわずかな部分に関してのみローマの法律が適用されたということである。たとえば、ローマ法では父親が娘に対して強い監督権(patria potestas)を持っていたが、属州であるエジプトではエジプトの法律が反映され、娘自身が権利を持っていたことが知られている。ただし、次第にローマ市民権を持つ者が増えてくると、そうした者たちに対してはローマ法が課されるべきなので、ローマ法の比重が強まるようになった。いずれにせよ、ローマ法の適用は、エジプトのような属州では極めて表面的なものだったといえる。

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