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2019年10月22日火曜日

エノク文学からエノク派ユダヤ教へ Boccaccini, "Introduction"

  • Gabriele Boccaccini, "Introduction: From the Enoch Literature to Enochic Judaism," in Enoch and Qumran Origins: New Light on a Forgotten Connection, ed. Gabriele Boccaccini (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 2005), 1-14.

1773年、スコットランド人冒険家James Bruceが『エノク書』を再発見してから、研究者たちはその校訂版と近代語訳の出版に心血を注いできた。Richard Laurence, August Dillmann, Johannes Flemmingら19世紀の文献学者の仕事である。20世紀になると、Robert Henry Charlesが『エノク書』をより広いユダヤ黙示文学の文脈に位置づけた。外典・偽典に関心を持ったのが主としてキリスト教学者であったことから、『エノク書』研究も反ユダヤ主義や反セム主義に晒されたが、1947年にクムランで死海文書が発見されると、イエス運動がいかに第二神殿時代のユダヤ教に深く根付いたものだったかが認識されるようになった。

そして、死海文書中の『エノク書』断片を校訂したJosef Milikは、同書が複数の資料に基づく合成文書であり、また第二神殿時代のユダヤ教テクストと密接な関わりを持つことを強調した。これに触発されて、『エノク書』はたてつづけにイタリア語、スペイン語、ドイツ語、英語、フランス語に訳された。さらにJames VanderKamやJohn Collinsらの目視文学研究が発表された。

ここ20年ほどの間に起こった最も重要な発展は、『エノク書』研究がテクストそのものの分析から、テクストの背後のグループの知的・社会学的な特徴の分析へと強調点が移ったことである。『エノク書』は第二神殿時代における独特の思想運動の核となるテクストであることが明らかになった。こうした議論で特に重要な功績を挙げたのが、Paolo SacchiとGeorge Nickelsburgである。

Sacchiは『エノク書』が黙示文学ジャンルの原型であるばかりかユダヤ教の独特の多様性の核でもあることを指摘した。そしてエノク派運動を、第二神殿時代のユダヤ教や古代のユダヤ黙示主義というより広い文脈の中にある独特の黙示主義的な一派として描くという最初の試みをした。その際に、そうした知的運動のエッセンスが独特の悪の概念であると指摘したのもSacchiである。

Nickelsburgによれば、エノク派運動とはモーセのトーラーがまだ普遍的な規範ではなかったユダヤ教の一形態であるという。またエノク派的な思考システムでは、一方では、罪や悪の起源は、天上の争いの結果であり、人間はその犠牲者であるという完全な決定論に基づいたものであり(human victimization)、他方では、神の法を侵した人間にその原因があるという完全な非決定論に基づいたものでもある(human responsibility)という相矛盾した考え方が採られていた。Sacchiが知的な問題だけを取り上げていたのに対し、Nickelsburgはエノク派グループの社会学的な問題にも触れている。

我々はこのグループが実際にはどう呼ばれ、また自分たちをどう呼んでいたのか知らないが、エノク神話に関わる運動であることから、「エノク派ユダヤ教(Enochic Judaism)」と呼ぶのが適切であろう。Nickelsburgはこの伝統は上ガリラヤを起源とし、エルサレムの祭司制に不満を抱く集団だったと考えている。非協調主義、反ツァドク派、反祭司的などを特徴とする。

エノク派ユダヤ教は自律的であったが、一方で広い影響も及ぼしている。その影響は、特に『ヨベル書』『十二族長の遺訓』『アダムとエバの生』『第二エノク書』『アブラハムの黙示録』『第四エズラ記』などに見られる。そしてもちろん新興のキリスト教をかたちづくるためにも大きなインパクトを与えた。同時にラビ的教師やその共同体とは相容れないものでもあった。このエノク派ユダヤ教の再発見こそが疑いもなく現代の研究の最大の功績のひとつである。

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