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2019年10月26日土曜日

「たとえの書」とクムラン党派テクスト Dimant, "The Book of Parables and the Qumran Community Worldview"

  • Devorah Dimant, "The Book of Parables (1 Enoch 37-71) and the Qumran Community Worldview," in eadem, From Enoch to Tobit: Collected Studies in Ancient Jewish Literature (Forschungen zum Alten Testament 114; Tübingen: Mohr Siebeck, 2017), 139-55.

「たとえの書」は唯一クムランから出てきていないエノク文書である。同書はメシア的存在に関する描写や「人の子」表現など、他のエノク文書と異なっている。これらは福音書のイエスの表現に近いので、初期キリスト教の研究者からの注目を引いてきた。Jozef Milikは「たとえの書」がキリスト教由来であると主張したが、それは研究者たちからは受け入れられず、今日では一般にユダヤ教由来であると見なされている。またもともとセム語で書かれていたことも明らかである。Nathaniel SchmidtやEdward Ullendorffらは、セム語原典が直接エチオピア語に訳されたと主張するが、多くの研究者はセム語原典からギリシア語に訳され、それからエチオピア語に訳されたと考えている。

「たとえの書」がユダヤ教由来であるとすると、それはイエスが「人の子」と見なされるようになる前に書かれたと考えるのが自然である。「人の子」概念がすでにキリスト教化されていたら、ユダヤ教作家はそうした表現を避けたはずだからである。同時に、エルサレム神殿の崩壊にまったく言及していないことから、同書はそれより前に書かれたとも考えられる。それゆえに、後1世紀の前半に書かれたと考えるのが適当である。さらに、56:5-7におけるパルティア人の侵攻と67:5-13のヘロデ王の湯治に関する記述にも基づくと、「たとえの書」は紀元後すぐか少しあとに書かれたといえる。ユダヤ教黙示文学やエノク諸書との近さから、同書はイスラエルの地で書かれた。

Jonas Greenfieldは、「たとえの書」が太陽と月を同価値と見なしていることや、太陽暦との不調和から、同書とクムラン共同体との関係の可能性を除外した。しかし、死海文書研究が進み、クムランの暦がさらに出版されると、クムラン共同体が月の重要性も認め、1年を364日とする太陰太陽暦にも従っていることが明らかになった(Jonathan Ben-Dov)。それゆえに、「たとえの書」とクムラン共同体との関係性を否定する必要はない。

「たとえの書」がクムランから発見されないことの理由は、共同体の文学活動の最盛期が前2世紀から前1世紀であるため、後1世紀に書かれた同書が筆写されなかったのだろうと考えられる。しかしながら、「たとえの書」の著者が党派的な世界観や文学に精通していたことははっきりしている。それはたとえば、「たとえの書」に頻出する「諸霊の神(エル・ハルホット)」という表現と、「すべての霊の主(アドーン・レコール・ルーアハ)」(感謝の詩篇)や「諸霊(ルホット)」という表現の類似から見て取れる。メシアたる「人の子」という像も「たとえの書」の独創ではなく、第二神殿時代のユダヤ文学に根ざしたものである(「ベラホット」、「メルキツェデク・ペシェル」、「メシア的黙示」など)。

論文著者は、こうした成果を受けて、さらに「たとえの書」と死海文書を詳細に比較する。たとえば、エノクの祈り(39:10-13)を他のエノク文書や、『ダマスコ文書』、『感謝の詩篇』などの定式と比較する。すると、エノクの祈りでは、神の全知全能が空間的なものでなく、時間的なものとして描かれていることが分かる。またエノクの祈りでは神の予定説的な計画ははっきりとは表現されていないが、その概念は神の根源的かつ包括的な知識という観念にすでに埋め込まれている。

また神への賛美の祈りは、寝ずの番人たる天使によって述べられるケドゥシャーの祈りで締めくくられる。エノクのケドゥシャーはイザ6:3の「聖なる、聖なる、聖なるかな」の呼びかけを含むが、のちにヨツェルの祝祷やアミダーの祈りに組み込まれるユダヤ祈祷の一部分であるエゼ3:12による応答は欠いている。またヨツェルの祝祷にある朝の光とのつながりはなく、アミダーの祈りにおける日課にもなっていない。それゆえに、エノクの祈りは「たとえの書」が書かれたときのユダヤ祈祷にケドゥシャーが使われていたことの証拠を提供するわけではない。とはいえ、エノクの祈りと党派的な祈りの形式は第二神殿時代の共通の伝承の反映であって、前者の後者への依拠を示さない。しかし、類似点は確かに見受けられる。

義人の未来(58:2-6)についての記述は、永遠の生、永遠の光の中での存在、神の前での義といった要素を含む。義人への報いとしての永遠の生の概念は、ダニ12:2や『共同体の規則』などにも見られるこの時代の一般的なものである。義人には未来における至福が待っているという概念も、ダニエル書や『ソロモンの知恵』などに見られる。ただし、「たとえの書」は光に対して闇の存在を対置させているところに特徴がある。悪と善の時代、闇と光における実現といった対比がはっきりと打ち出されている。乾いた土地に朝の光が昇り、闇を取り去るという類比も多用されている。また「真実(エメト)」こそが光の子らを特徴付けるというのも、クムラン共同体と似た点である。

「たとえの書」にはクムランの用語はまったく見られないが、さまざまな点で近い関係にあることが明らかになった。それゆえに、「たとえの書」はクムラン共同体とは異なるが近いサークルによって作られたものと見なすべきである。

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