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2016年3月15日火曜日

新約聖書中の旧約引用 Allison, JR., "The Old Testament in the New Testament"

  • Dale C. Allison, JR., "The Old Testament in the New Testament," in The New Cambridge History of the Bible, 1, From the Beginnings to 600, ed. James C. Paget and Joachim Schaper (Cambridge: Cambridge University Press, 2013), pp. 479-502.
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本論文は、新約聖書中の旧約引用について概観したものである。いわゆる「旧約聖書」を引用したり暗示したりするのは、新約記者に限らず、多くの古代ユダヤ文書がしてきたことである。中でも新約は数多くの引用をしており、直接的な引用と認められるだけでも225箇所があるという。このことは、新約記者の旧約知識の深さのみならず、その読者のリテラシーの高さをも伺える。

マタイ、ヨハネ、パウロ、そして黙示録はヘブライ語聖書の知識を持っていたと思われるが、他の多くの新約記者はギリシア語訳聖書から引用している。中でも多く引用されているのは、五書(特に創世記)、詩篇、イザヤ書である。この傾向は、新約聖書以降にも見られるもので、エウセビオスまでのキリスト教作家、死海文書、偽典、フィロンや一部のラビ文学でも似たような傾向を見ることができる。この三書に次ぐのは十二小預言書とダニエル書である。

引用は、多くの場合、権威を付加するために行われる。キリスト者同士の議論においても、結局は聖書の解釈が決め手となるし、一方で、キリスト教の外部のユダヤ人との議論においても、イエスの行状がユダヤ的な観点から認められづらいときに、聖書の引用がその正当化に役立った。旧約の引用は、イエスのことやイエスが関わった出来事がすでに預言者たちによって預言されていたことを示すのである。引用するときには、おそらく共通のテスティモニア(イエスが預言的な期待の成就であったことを証明する聖句の引用集)が用いられたようである。新約記者たちはしばしば引用元を誤ってしまうことがあるが、それはこの共通のテスティモニアがそもそも誤っていたからだと考えられる。旧約の引用はしばしば現在形でなされるが、これは死海文書のように、旧約の預言が、新約記者の同時代の出来事と密接に関わっていると考えられていたからである。

暗示は同定するのが困難である。しかし、暗示を組み込むことによって、読者をより能動的にする効果がある。イエスの奇跡譚には、多くの旧約からの暗示が見られる。現在の学者はこの事実を、奇跡譚が創作であることの証拠と見るが、古代のキリスト教作家たちは、これを信仰の擁護に用いたのだった。暗示を同定するのは難しいが、論文著者は7つのポイントを指摘している:
  1. 共通の語彙、語順、テーマ、イメージ、構造、状況を持っていること;
  2. 上の要素が、あまりありふれすぎていないこと;
  3. あるテクスト(例:創世記)が別のテクスト(例:ヨハネ福音書)の伝統において卓越したものであること;
  4. あるテクストの著者が、別のテクストに他の箇所でも関心を持っていること;
  5. 聖書解釈史において、その暗示の妥当性が高いものであると認められていること;
  6. ある箇所が暗示であると解釈することで議論やテーマと合致しつつ意味を高めること;
  7. ある箇所が暗示であると解釈することで解釈上の困難が除かれること。
また、個別の引用だけでなく、マタイの14-15章における一連の詩篇からの引用のように、ひとつのシリーズとなっているものもある。同様の例としては、マタイの冒頭と出エジプト記、またルカと列王記上におけるエリヤとエリシャの物語などがある。

古代における新約聖書の読者は、こうした引用や暗示を敏感に察知していた。これは現代の読者よりも、日常的に礼拝に出席していた古代の読者の方がより敏感であったろうと思われる。引用や暗示を察知する能力は、書物を読める能力があったかどうかとは、必ずしも関係ない。文字が読めなくとも、聖書に関する広い知識を持った人たちはいたはずである。

新約記者は、しばしばもとの文脈を無視して引用することもあった。しかし、たとえばパウロがもとの文脈を無視していたとしても、彼の議論を全体として見たときに、引用元の文脈に沿っていることもある。すなわち、新約記者たちは、ただ単に個別の一行一行を引用しているのではなく、全体の文脈ごと移していることがあるのである。確かに、聖書を引用することは、神の言葉を引用するということであり、すなわち、自分のテクストに権威を付加することであったが、もともとユダヤ教にとて、もとの文脈を離れて引用することはさほど奇異なことではなかった。

2016年3月12日土曜日

テオフラストスの定式 Grube, "Theophrastus"

  • G.M.A. Grube, "Theophrastus," inThe Greek and Roman Critics (London: Methuen, 1965), pp. 103-9.
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古代における文学批評上の2つの定式がテオフラストスに帰されているが、著者はそれらが本当にテオフラストスに始まるものなのかを検証している。テオフラストスの著書は幅広い分野に及んでいるが、わずかなものを除いてほとんど残っていない。

テオフラストスの見解は、基本的に常に師であるアリストテレスのそれと一致しているが、これは彼がただ師の受け売りだけをしていたということを意味しない。テオフラストスはアリストテレスの見解をより明確にし、発展させてもいる。これは特に、散文のリズムに関する議論において見ることができる。またテオフラストスは、アリストテレスよりも詩の教育的な効果を強調した。さらに、彼は文章の威厳は、言葉の選択、言葉の並び、そしてその形式(σχήματα)によって決まると述べているが、ここでの「スケーマタ」という言葉の使用は彼に特有のものである。

テオフラストスによれば、弁論には2つの観点、すなわち「内容」と「聴衆への効果」があり、哲学者が前者を重視するのに対し、詩人や修辞学者は後者を重視するのだという。これもアリストテレスが述べていたことではあるが、アリストテレスが哲学者と詩人との観点の違いをさほど明確に区別していなかったのに対し、テオフラストスはそれをはっきりと分けたのだった。

このように、テオフラストスはアリストテレスの概念を繰り返したり、解釈したりしつつ、自分自身の見解を付け加えたが、アリストテレスの見解と食い違うようなことはついぞなかった。

テオフラストスに帰される定式の一つ目は、文学におけるスタイルの四つの徳目(four virtues of style)である。アリストテレスはこの文学スタイルの徳目として、「明晰さ」のみを挙げているが、テオフラストスは「言語の純粋さ」、「適切さ(πρέπον)」、そして「装飾」を挙げている。これらの4つを特権的に徳目として選んだのはテオフラストスなのか、またそれを徳目と呼んだのも彼が初めてなのだろうか。これをテオフラストスに帰しているのはキケローであるが、論文著者によれば、キケローはこうした専門用語を極めて不用意に使う人物なので、彼の証言は当てにならないという。それゆえに、この定式をテオフラストスの独創と考えることは難しそうである。

定式の二つ目は、文学における三つのスタイル(three styles)である。すべての作家や弁論家は、時と場合に応じて、「素朴(plain)」、「壮大(grand)」、そしてその「中間(intermediate)」のスタイルを使い分けることを求められていたが、テオフラストスはこの「三つのスタイル(τρίτη λέξις)」を区分けたと考えられていた。テオフラストスは、壮大な弁論と素朴な弁論との中間のスタイルとして、カルケドンのトラシュマコスを挙げているのだという。ここからは、テオフラストスがゴルギアスのような壮大な弁論とリュシアスのような素朴な弁論と、さらにその中間のトラシュマコスの弁論とを想定していたことがはっきりと分かる。しかし、ハリカルナッソスのディオニュシオスは、トラシュマコス自身がこうした三っつのスタイルを想定して自身を中間に位置づけたとしているようなので、やはりこの定式もテオフラストスのみに帰することは難しい。

以上のことから、やはりテオフラストスの特徴は、その関心の広さと、彼の師であるアリストテレスの見解の言い換え、詳細な説明、そしてその仕上げといえそうである(ただし、後4世紀のラテン文法家ディオメデスによれば、テオフラストスによる悲劇の定義は彼の独創であったと述べてはいる)。

2016年3月10日木曜日

ギリシアの教育者としてのホメロス Verdenius, Homer, The Educator of the Greeks

  • W.J. Verdenius, Homer, The Educator of the Greeks (Mededelingen der Koninklijke Nederlandse Akademie van Wetenschappen, Afd. Letterkunde, Nieuwe Reeks, deel 33, No. 5; Amsterdam: North-Holland Publishing, 1970).
Homer, the educator of the Greeks (Mededelingen der Koninklijke Nederlandse Akademie van Wetenschappen, afd. Letterkunde. Nieuwe Reeks, deel 33, no. 5)Homer, the educator of the Greeks (Mededelingen der Koninklijke Nederlandse Akademie van Wetenschappen, afd. Letterkunde. Nieuwe Reeks, deel 33, no. 5)
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本書の中で、著者は以下の二つの点を検証すると宣言している。第一に、詩人ホメロスはギリシア人に教育的な影響を与えたのか、そして与えたとすればその影響は他の詩人によるそれよりも大きいのか。第二に、ホメロスはどのような点について人々を教導しようとしたのか。言い換えれば、彼の作品はどの程度まで教訓的な詩であるといえるのか。

研究史においては、Werner Jaegerによる研究が代表的である。Jaegerによれば、古代のギリシア人たちは常にホメロスを教育者として見なしてきたという。そしてホメロス自身の教育的な意図も大きなものだったと評価している。しかしながら、論文著者は、次第に研究者たちはホメロスの教育的な意図を否定する方向に向かっているとする。そこで、著者自身は、ホメロスのギリシア文化への影響を検証するために、時間的には古典期に絞り、また芸術・文学・哲学への影響ではなく、一般の人々の考え方や生活への影響を調べることに集中することにした。

ギリシアにおいて「詩人」といえばホメロスのことを指すことからも分かるように、ホメロスは広く読まれていた。その影響力の大きさから、しばしばホメロス自身が神格化されることもあった。そうした意味で、彼の作品は「ギリシア人の聖書」であったのである。しかし、教育プログラムにおいては、ホメロスはしばしば聖書以上の文化的な力を持っていたともいえる。生徒たちは読み書きを学ぶときにホメロスを習い、暗記することを求められた。ホメロスの学習は単に読み書きだけのためではなく、徳を養うためでもあった。アイスキュロスやクセノファネスも、ホメロスから徳を学べることを指摘している。

ギリシア人は子供のときに一度ホメロスを習っておしまいというわけではなく、吟遊詩人の朗誦を通して、何度も新たに学びなおした。プラトンの『イオー』は、そうした吟遊詩人たちによる涙を誘う感動的な朗誦を伝えている。しかも詩人たちはホメロスを吟じるだけでなく、詩についての講義も行ったことが知られている。一方で、ソフィストたちもホメロスの称賛者として、ホメロスについて語っていた。しかし、彼らは自身の理論を証明するために、ときにホメロスを批判することもあった。むろんホメロスを語るのは吟遊詩人とソフィストだけでなく、プラトン『プロタゴラス』冒頭に出てくるソクラテスの友人のように、普通の人物が何にでもホメロスを引き合いに出すということがしばしばあった。

ホメロスの詩に倫理的な模範を見出すことも行われていた。アナクサゴラスやピタゴラス主義者たち、さらにはアリストテレスまでもが、ホメロスの詩から倫理的な教訓を引き出すことがあった。これに対し、プラトンはそうした試みを一切せず、ホメロスを批判的に扱うことで知られている。しかし、逆に言えば、プラトンがホメロスを批判的に扱わなければならないほど、当時の人々の間でホメロスの倫理的な影響力が大きかったともいえる。

プラトンは、ホメロスの詩が人々を善へと導かず、理性よりもむしろ感情に頼らせてしまう点を批判していた。さらにプラトンによれば、ホメロスが神話を破壊したことも咎められるべきであるという。ホメロスの詩に出てくる神々の所業を後ろ盾に、自分のしでかした不始末を正当化する者たちがいたのである。その例としては、前3世紀の哲学者メニッポスの記述が挙げられている。一方で、プラトンはホメロスがギリシアに与えた影響すべてが悪かったわけではないとも認めている。ギリシアの徳の要素がホメロスの詩から発展したこともまた否めないのである。それゆえに、プラトンは作中でソクラテスにホメロスを引用させ、自身の理論を証明したりする場面もある。そのように、もともとの文脈を無視してホメロスを引用し、自身の説を裏付けるという行為はよく行われていた。この点も聖書によく似ている。

ホメロスの詩の引用は、政治的な文脈、技術的な文脈(家事、戦争、修辞)などでも見られる。ホメロスの詩の登場人物の特徴を、自分の身の回りの人に当てはめるような遊びも行われることがあったという。これは特に酒席での余興のようなかたちで行なわれた。

宗教に関するホメロスの教育的な影響も大きい。作品の中でも、神託やまじないや魔除けなどが登場する。ヘロドトスによれば、ホメロスとヘシオドスは神々を体系化し、名前を与え、役割によって組織化したという。つまりオリュンポスのパンテオンはホメロスによって体系化されたのである。神のイメージに関して、たとえばアテーナがフクロウを従えるという典型的なイメージも、ホメロスの詩に由来する。

ホメロス自身の教育的な意図に関しては、論文著者によれば明らかにJaegerの説は行き過ぎであったが、Eric Havelockは、ホメロスの教育論の倫理的な側面ではなく、百科全書的な側面は認めるべきであると述べている。そうしたホメロスの教育的な意図を感じられる例として、論文著者は7つのポイントを挙げている。ただし、神学的な教訓主義は、『イーリアス』よりも『オデュッセイア』に多く見られるものだとも指摘している。

結論としては、ホメロスの叙事詩は、『オデュッセイア』のセイレーンの歌でも述べられているように、快楽と知識とを与えてくれるものであった。そうした意味で、ホメロスが第一に文学的な快楽を目的としていたとしても、教育的な意図をも持っていたことは疑いない。ホメロスの詩は一つの目的でくくることはできないのである。教訓詩であるヘシオドスが100パーセント教訓的でないように、ホメロスの詩も100パーセント英雄的なものでもないのである。

2016年2月26日金曜日

テラの死(創11:32)に関する時系列の問題 Emerton, "When did Terah Die (Genesis 11:32)?"

  • J.A. Emerton, "When did Terah Die (Genesis 11:32)?" in Language, Theology, and The Bible: Essays in Honour of James Barr, ed. Samuel E. Balentine and John Barton (Oxford: Clarendon Press, 1994), pp. 170-81.
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創世記11:31-32によると、テラは息子アブラム(以下アブラハムに統一)らと共にカルデア人の土地ウルを離れて、カナンの地を目指したが、途中ハランへに留まった。テラは205歳でそこで死んだ。一方で創11:26によると、アブラハムはテラが70歳のときに生まれ、また創12:4によると、75歳のときにハランを離れたので、テラはアブラハムがハランを離れたときに145歳であり、その後も60年生き続けたことになる。そこで著者は、なぜアブハラムは父を置いていったのか、そしてなぜテラはカナンを目指していたのにハランに留まり、なおかつ息子についていかなかったのかと問う。

この時系列の問題に関し、マソラー本文、七十人訳、ウルガータ、ペシッタ、タルグムは何の解決も与えていないが、サマリア五書は異なった時系列を提示している。創11:32において、205歳で死んだとされているところを、サマリア五書のみは145歳で死んだとしているのである。すなわち、テラはアブラハムがハランを離れたあとも60年間生き続けたのではなく、アブラハム出発の年に死んでいたということである。これは、使7:4と同様の解釈である:
アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住んだ。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地に移した。
また、フィロン『アブラハムの移住について』177にも同様の解釈がある:
まずアブラハムはカルデアから出発し、ハランに住んだ。彼の父親がそこで死んだあと、彼はその土地から移動し、その結果彼はすでに二つの土地を去っているわけである。
論文著者は、使徒行伝とフィロンの解釈は、もしかしたらケアレスミスかもしれないと述べているが、サマリア五書の解釈を支えるものでもある。

論文著者は、まずテクストの破損の可能性を検討するが、205を145に変えてしまう合理的な理由を見つけるのは困難であると結論する。そこで、これは意図的な改変であるという前提に進むことになる。旧約学の研究史においては、改変の理由として、いくつかの説がある。Budde, Gunkel, Zimmerliらは、創12:1における神からのアブラハムへの呼びかけに父親への言及があることから、このときにテラが生きているように合わせる必要が生じたと考えた。一方で、Cassuto, Wenham, Hughesらは、11章で語られるテラの死が12章で出てきたら時系列と合わなくなるので、数字を減らす必要が生じたと考えた。

次に、論文著者は、ヘブライ語の数字表現に注目する。創11:32は旧約学においてはP資料に属す箇所と考えられているが、205歳を表すときの表現として、マソラー本文の表現はP資料の表現として通常のものである。しかし、145歳を表すサマリア五書の表現は普通ではないパターンであるという。とはいえ、P資料の記者はしばしば一貫しない数字の表現を用いるので、このことからサマリア五書の数字がマソラー本文と比べて二次的なものであると結論付けることはできない。

なぜP資料が、テラがアブラハムに同道しなかったのかについても疑問の残るところであるが、論文著者によれば、P資料は必ずしもすべてを明確に説明するわけではないので、これはP資料のやり方とかけ離れてはいないという。すると考えられる他の可能性としては、もともとはこれをきれいに説明する伝承があったが、P資料はそれを自身の物語の中に組み込まなかったのではないか。これは他の箇所との比較から、あり得なくもない可能性であるが、論文著者は慎重にも、存在しない証拠をもとに語ることは避けるべきであるとしている。他に論文著者は、Cassutoの説明を紹介しているが、それも妥当性が低いとしている。

以上より、次のような結論が導き出される:マソラー本文の205歳とサマリア五書の145歳のどちらかを、純粋に本文批評で決めるのは困難である。P資料は、さらなる解釈が存在した可能性を暗示しているが、それは我々には伝わっていないので議論することができない。言い換えれば、創11:32のオリジナルな読みの問題を解決することは不可能である。

関連記事

2016年2月19日金曜日

ギリシア・ローマの教育におけるホメロスの役割 Hock, "Homer in Greco-Roman Education"

  • Ronald F. Hock, "Homer in Greco-Roman Education," in Mimesis and Intertextuality in Antiquity and Christianity, ed. Dennis R. MacDonald (Studies in Antiquity and Christianity; Harrisburg: Trinity Press International, 2001), pp. 56-77.
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本論文は、古代世界の教育において、ホメロス作品がいかに使われていたかを概観したものである。ギリシア・ローマ世界では、初級・中級・上級という三段階の教育方法が採られていた。初級学校においては、γραμματιστήςと呼ばれる教師のもとでのアルファベットの学習から始まり、音節、単語、文章、そして最終的には短い詩の一節を学ぶ。Raffaella Cribioreは、初級学校においては、読みの練習だけではなく、きれいに文字を書くための習字の練習もされていたと指摘している。中級学校においては、文法と文学について学び、教師はγραμματικόςと呼ばれていた。上級学校に行く者は限られていたが、行った者は修辞学か哲学を学んだ。多くの者は修辞学を選び、ῥήτωρやσοφιστήςのもとで弁論の技術を学んだ。Teresa Morganは、教育におけるリテラシーは、アイデンティティとステイタスの基準としても機能していたことを指摘している。

初級学校においては、アルファベット順に、ホメロス作品に登場する固有名詞のリストが用いられていた。このリストは音節数が徐々に増えていくようにもなっており、初学者がだんだんと文字を覚えていくことができるようになっていた。メナンドロス作品の固有名詞リストも見つかっているが、ホメロスは群を抜いて高頻度で使われていたことが知られている。このリストを正確に写すことで、正しい文字の書き方を学び、それを読むことで正しい発音も学ぶのである。さらに、Janine Debutによると、教師はリストの登場人物について説明することを通して、ギリシアの歴史と文化の基礎を教えていたのだという。このリストを学んだあと、生徒たちは短い文章を書き写しつつ、暗記した。

中級学校においては、文法と文学が講じられた。生徒たちは母音と子音を区別し、音節について学ぶ。そして単語を8つの品詞に分類し、最終的に長い文学作品を解釈することを学ぶことになる。このとき、こうした分析の実例としてのホメロス作品では、『オデュッセイア』よりも『イーリアス』の方が好まれた。この段階で生徒たちがホメロス作品を読むときには、古代の難解な詩的表現をコイネー・ギリシア語に改めた、スコリア・ミノラというアンチョコのようなものの助けを借りていたという。そして『イーリアス』をパラフレーズし、一問一答で内容理解を深めていった。

上級学校においては、修辞学と哲学が学ばれていた。修辞学においては、法廷弁論、審議弁論、演示弁論という3つの型があったが、これらを身に着けていることは成人の義務と見なされていた。これを練習するために、生徒たちはより短くて簡単な作文から始めていったが、そうした小弁論はπρογυμνάσματαと呼ばれた。この小弁論の例として用いられていたもので現存するものとしては、アレクサンドリアのテオン、タルソスのヘルモゲネス、アンティオケイアのアフトニオス、そしてミュラのニコラオスの作のものが残っている。

小弁論の中では、さまざまなジャンルが扱われたが、中でもδιήγημα, γνώμη, ἠθοποιίαにおいて、頻繁にホメロス作品が用いられた。διήγημαは物語の中の特定の出来事、διήγησιςは物語全体のことを指すが、ホメロス作品をもとにこの二つの用語の違いが説明された。γνώμηにおいては、ホメロス作品の中の金言が引用された。金言の中でも、奨励、諫止、混合、誇張を表すものに関してよく用いられたという。そしてἠθοποιίαにおいては、ある出来事の中で登場人物がいかにも言うであろうことを生徒が作文するときに、題材としてホメロスが用いられた。この仮想会話をうまくやるためには、その場面のみならず、その前後の場面をも知っていなければならないため、ホメロスのように皆が知っている題材を取ることは有効なのである。

以上より、ホメロスの叙事詩が教育の三段階のすべてにおいて重要な役割を持っていたことが分かる。いやしくも教育を受けた人であれば、ホメロスを諳んじていることが求められていたのである。

2016年2月6日土曜日

佐々木嗣也氏講演会(神戸・ユダヤ文化研究会)


日時: 2016 年 2月 14日(日) 14:00 - 17:00

場所: こうべまちづくり会館  2F ホール
        (元町商店街内・高速神戸「花隈」下車徒歩 2 分)

参加費: 正会員=無料、一般参加者= 500 円、学生=無料(受付で学生証をご呈示下さい)


講演 : 「異文化間コミュニケーションの視点から見たイスラエル式言語行動・非言語行動」

【講師】 佐々木嗣也さん ( ささきつぐや Sadan Tsvi/ バル・イラン大学 )

【要旨】

 本講演では、先行研究ならびに本講演者の経験・観察に基づき、現代ヘブライ語の基礎を習得した日本語話者が平均的現代ヘブライ語話者と誤解のない円滑なコミュニケーションを図るために知っておくべきイスラエル式言語行動 ( 謝るか・頼むか・断るか等 ) ・非言語行動 ( 沈黙・表情・視線・頷き等 )を日本式のそれとも適宜比較しながら実例を挙げてご紹介したい。尚、前半でご紹介する現代ヘブライ語の実例には日本語の逐語訳を添えることで、現代ヘブライ語を学ばれたことがない方々でも平均的現代ヘブライ語話者が実際の場面でどうことばを使用するのかを理解 ( ・堪能 ?!) してもらえるよう配慮する。

【講師略歴】

1963 年秋田県生まれ。後にイスラエルに移住・帰化。エルサレム・ヘブライ大学ヘブライ語学科博士課程修了 (PhD)。バルイラン大学ヘブライ・セム語学科上級講師、ヘブライ語アカデミー言語学用語委員会委員、 Journal of Jewish Languages (Brill) 書評編集長、エスペラント語アカデミー会員。専門は言語学。主な研究分野は現代ヘブライ語、イディッシュ語、エスペラント語、辞書学、固有名詞学、社会言語学。

個人ウェブサイト : http://biu.academia.edu/tsvisadan/

オリゲネスの著作について Crouzel, "The Works of Origen"

  • Henri Crouzel, Origen (trans. A.S. Worrall; San Francisco: Harper & Row Publishers, 1989), pp. 37-49.
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オリゲネスは、「彼が自分自身で書いたほどの量の書物を、いったい誰が読めるだろうか」とヒエロニュムスをして言わしめたほど大量の著作を残したが、のちにオリゲネスをめぐる異端論争などの影響で、その多くが失われてしまった。失われる前のオリゲネスの著作リストは、ヒエロニュムスの『書簡33』に詳しい。これはおそらくヒエロニュムスがカイサリアの図書館で見た著作群だと思われる(エウセビオス『教会史』第6巻に残されている著作リストと巻数が異なる場合は括弧でエウセビオスの巻数を書いた):

旧約聖書の注解(とその他)
  • 『創世記注解』13巻(エウセビオス12巻)
  • 『創世記説教抜粋』2巻
  • 『出エジプト記注解抜粋』
  • 『レビ記注解抜粋』
  • 『雑録』10巻
  • 『イザヤ書注解』36巻(エウセビオス30巻)
  • 『イザヤ書注解抜粋』
  • 『ホセア書のエフライムについて』
  • 『ホセア書注解』
  • 『ヨエル書注解』2巻
  • 『アモス書注解』6巻
  • 『ヨナ書注解』
  • 『ミカ書注解』3巻
  • 『ナホム書注解』2巻
  • 『ハバクク書注解』3巻
  • 『ゼファニヤ書注解』2巻
  • 『ハガイ書注解』
  • 『ゼカリヤ書の冒頭注解』2巻
  • 『マラキ書注解』2巻
  • 『エゼキエル書注解』29巻(エウセビオス25巻)
  • 『詩篇1-15篇注解抜粋』
  • 『詩篇1篇注解』
  • 『詩篇2篇注解』
  • 『詩篇3篇注解』
  • 『詩篇4篇注解』
  • 『詩篇5篇注解』
  • 『詩篇6篇注解』
  • 『詩篇7篇注解』
  • 『詩篇8篇注解』
  • 『詩篇9篇注解』
  • 『詩篇10篇注解』
  • 『詩篇11篇注解』
  • 『詩篇12篇注解』
  • 『詩篇13篇注解』
  • 『詩篇14篇注解』
  • 『詩篇15篇注解』
  • 『詩篇16篇注解』
  • 『詩篇20篇注解』
  • 『詩篇24篇注解』
  • 『詩篇29篇注解』
  • 『詩篇38篇注解』
  • 『詩篇40篇注解』
  • 『詩篇43篇注解』2巻
  • 『詩篇44篇注解』3巻
  • 『詩篇45篇注解』
  • 『詩篇46篇注解』
  • 『詩篇50篇注解』2巻
  • 『詩篇51篇注解』
  • 『詩篇52篇注解』
  • 『詩篇53篇注解』
  • 『詩篇57篇注解』
  • 『詩篇58篇注解』
  • 『詩篇59篇注解』
  • 『詩篇62篇注解』
  • 『詩篇63篇注解』
  • 『詩篇64篇注解』
  • 『詩篇65篇注解』
  • 『詩篇68篇注解』
  • 『詩篇70篇注解』
  • 『詩篇71篇注解』
  • 『詩篇72篇冒頭注解』
  • 『詩篇103篇注解』2巻
  • 『箴言注解』3巻
  • 『コヘレト書注解抜粋』
  • 『雅歌注解』10巻
  • 『雅歌注解』2巻(若いときに書いた)
  • 『エレミヤ哀歌注解』5巻
  • 『モノビブリア』
  • 『諸原理について』4巻
  • 『復活について』2巻
  • 『復活についての対話』2巻
  • 『箴言の諸問題について』
  • 『カンディドスに対するウァレンティニアノスの対話』
  • 『殉教について』
新約聖書の注解
  • 『マタイ福音書注解』25巻
  • 『ヨハネ福音書注解』32巻(エウセビオス22巻)
  • 『ヨハネ福音書注解抜粋』
  • 『ルカ福音書注解』15巻
  • 『ロマ書注解』15巻
  • 『ガラテヤ書注解』15巻
  • 『エフェソ書注解』3巻
  • 『フィリピ書注解』
  • 『コロサイ書注解』2巻
  • 『第一テサロニケ書注解』
  • 『テトス書注解』
  • 『フィレモン書注解』
旧約聖書の説教
  • 『創世記説教』17巻
  • 『出エジプト記説教』8巻
  • 『レビ記説教』11巻
  • 『民数記説教』28巻
  • 『申命記説教』13巻
  • 『ナウェの子ヨシュア記説教』26巻
  • 『士師記説教』9巻
  • 『過越祭説教』8巻
  • 『列王記上説教』4巻
  • 『ヨブ記説教』22巻
  • 『箴言説教』7巻
  • 『コヘレト書説教』8巻
  • 『雅歌説教』2巻
  • 『イザヤ書説教』32巻
  • 『エレミヤ書説教』14巻
  • 『エゼキエル書説教』12巻
  • 『詩篇3篇説教』
  • 『詩篇4篇説教』
  • 『詩篇8篇説教』
  • 『詩篇12篇説教』
  • 『詩篇13篇説教』
  • 『詩篇15篇説教』3巻
  • 『詩篇16篇説教』
  • 『詩篇18篇説教』
  • 『詩篇22篇説教』
  • 『詩篇23篇説教』
  • 『詩篇24篇説教』
  • 『詩篇25篇説教』
  • 『詩篇26篇説教』
  • 『詩篇27篇説教』
  • 『詩篇36篇説教』5巻
  • 『詩篇37篇説教』2巻
  • 『詩篇38篇説教』2巻
  • 『詩篇39篇説教』2巻
  • 『詩篇49篇説教』
  • 『詩篇51篇説教』
  • 『詩篇52篇説教』2巻
  • 『詩篇54篇説教』
  • 『詩篇67篇説教』7巻
  • 『詩篇71篇説教』2巻
  • 『詩篇72篇説教』3巻
  • 『詩篇73篇説教』3巻
  • 『詩篇74篇説教』
  • 『詩篇75篇説教』
  • 『詩篇76篇説教』3巻
  • 『詩篇77篇説教』9巻
  • 『詩篇79篇説教』4巻
  • 『詩篇80篇説教』2巻
  • 『詩篇81篇説教』
  • 『詩篇82篇説教』3巻
  • 『詩篇83篇説教』
  • 『詩篇84篇説教』2巻
  • 『詩篇85篇説教』
  • 『詩篇87篇説教』
  • 『詩篇108篇説教』
  • 『詩篇110篇説教』
  • 『詩篇118篇説教』3巻
  • 『詩篇120篇説教』
  • 『詩篇121篇説教』2巻
  • 『詩篇122篇説教』2巻
  • 『詩篇123篇説教』2巻
  • 『詩篇124篇説教』2巻
  • 『詩篇125篇説教』
  • 『詩篇127篇説教』
  • 『詩篇128篇説教』
  • 『詩篇129篇説教』
  • 『詩篇131篇説教』
  • 『詩篇132篇説教』2巻
  • 『詩篇133篇説教』2巻
  • 『詩篇134篇説教』2巻
  • 『詩篇135篇説教』4巻
  • 『詩篇137篇説教』2巻
  • 『詩篇138篇説教』4巻
  • 『詩篇139篇説教』2巻
  • 『詩篇144篇説教』3巻
  • 『詩篇145篇説教』
  • 『詩篇146篇説教』
  • 『詩篇147篇説教』
  • 『詩篇149篇説教』
  • 『詩篇説教抜粋』
新約聖書の説教(とその他)
  • 『マタイ福音書説教』25巻
  • 『ルカ福音書説教』39巻
  • 『使徒行伝説教』17巻
  • 『第二コリント書説教』11巻
  • 『テサロニケ書説教』2巻
  • 『ガラテヤ書説教』7巻
  • 『テトス書説教』1巻
  • 『ヘブライ書説教』18巻
  • 『平和についての説教』
  • 『ピオニアへの勧めの説教』
  • 『断食についての説教』
  • 『一夫一婦制と三重婚ついての説教』2篇
  • 『タルソスにての説教』2篇
  • 『フィルミアヌス、グレゴリオス、その他さまざまな人々からの手紙のオリゲネスによる抜粋』2巻
  • 『オリゲネスの件に関する公会議の手紙』2巻
  • 『オリゲネスからさまざまな人々への手紙』9巻
  • 『自作弁護のための手紙』2巻
エウセビオスは『教会史』第6巻の中で、これらの著作をアレクサンドリア時代、カイサリア時代、そして晩年に分けている。エウセビオスの記録とヒエロニュムスの記録とで、しばしば巻数が異なっている。またヒエロニュムスが『書簡33』の中で言及していないものとしては、『ケルソス駁論』8巻と『ヘクサプラ』がある。

聖書解釈に関しては、3つの型があることが分かる:第一に、聖書に関して一節ずつ学者のレベルで注解したもの。第二に、同様の事柄に関するスコリア。そして第三に、聖書に関して一節ずつ一般の聴衆に向けて解説した説教である。

上で挙げたオリゲネスの著作は、長い時間の中で失われていった。特にユスティニアヌスによる非難と禁止によって、複製ができなかったことが大きかった。辛うじて残っているのは、後代の修道士たちが隠し持っていたために運良く難を逃れたものが多い。ただし、注解や説教などは、ルフィヌスとヒエロニュムスによるラテン語訳で残っているものがある。部分的であっても、ギリシア語とラテン語訳とが両方残っている作品としては、『諸原理について』、『エレミヤ書説教』、『マタイ福音書注解』(訳者不明)が挙げられる。

『ヘクサプラ』は、全体として複製されることはなく、オリジナルはペルシア人およびアラブ人によって破壊されるまでカイサリアの図書館にあったと考えられる。部分的には、特に七十人訳部分が繰り返し複製された。またシリア語訳されて『シュロヘクサプラリオン』として残された。

他に部分的にでも現存するものとしては、以下のものが挙げられる:
  • 『ヨハネ福音書注解』(ギリシア語9巻分)
  • 『マタイ福音書注解』(ギリシア語8巻分と不詳訳者によるラテン語訳部分)
  • 『雅歌注解』(ルフィヌス訳)
  • 『ロマ書注解』(ルフィヌス訳)
  • 説教279篇(ギリシア語21篇、ルフィヌス訳、ヒエロニュムス訳)
  • カイサリアのパンフィロスとエウセビオス編『オリゲネス弁護』6巻にまとめられた注解と説教
  • バシレイオスとナジアンゾスのグレゴリオス編『フィロカリア』にまとめられた注解と説教
  • カテーナに収録された注解
  • 後代の著者(オリュンポスのメトディオスやエピファニオスら)による引用
  • 『諸原理について』(ギリシア語部分、ルフィヌス訳、ヒエロニュムスによる引用、ユスティニアヌスによる引用、その他著作家による引用)
  • 『殉教の勧め』
  • 『祈りについての論文』
  • 『復活祭についての論文』
  • 『ヘラクリデスとの対話』
  • 『グレゴリオス・タウマトゥルゴスへの手紙』
  • 『ユリウス・アフリカヌスへの手紙』
  • 『ケルソス駁論』
オリゲネスの思想を再構成するために、しばしば研究者はギリシア語で保存された主要著作ばかりに注目するきらいがあるが、これは多くの説教に残されている牧会者としてのオリゲネスの姿を消してしまう危険性がある。