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2018年7月21日土曜日

『4Q創世記注解』の理解をめぐるブロックへの批判 Bernstein, "A Response to George J. Brooke"

  • Moshe J. Bernstein, "4Q252: Method and Context, Genre and Sources. A Response to George J. Brooke 'The Thematic Content of 4Q252,'" Jewish Quarterly Review 85 (1994-95): 61-79; repr. in Bernstein, Reading and Re-Reading Scripture at Qumran (Studies on the Texts of the Desert of Judah 107; Leiden: Brill, 2013) 1:133-50.
Reading and Re-Reading Scripture at Qumran (Studies of the Texts of the Desert of Judah)Reading and Re-Reading Scripture at Qumran (Studies of the Texts of the Desert of Judah)
Moshe J. Bernstein

Brill Academic Pub 2013-06-21
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本論分は、次の論文におけるBrookeの主張に対し、Bersteinが反論を試みたものである。
Brookeは第二神殿時代のユダヤ文学との比較を頻繁にするが、それはある文書の文脈を無視して誤った読みに堕すことを防いでくれるが、一方でその文書自身に語らせる前に、それをより大きな知的世界に近づけすぎてしまう危険がある。つまり、Brookeは外的な視点を持ちすぎるあまり、内的な観点を忘れている。

これを是正するために、Bersteinは、テクストをそれ自身の用語で読み、第二神殿時代の文学のそれを用いないとする。また、テクストの中に何があるかに注目し、そこにないものは扱わない。そしてテクストの目的ではなく中身を分析するという。つまり、先入観を持たないようにするのである。

Brookeはテクストを次の八部分に分けていた。(1)洪水の時系列、(2)ノアからアブラハムへ、(3)アブラムの時系列、(4)ソドムとゴモラと土地の浄化、(5)イサクの縛り、(6)イサクによるヤコブの祝福、(7)アマレク、(8)ヤコブによる祝福。

Bersteinは、まず(1)洪水の時系列を二つに分ける。すなわち、120年の解釈と洪水の時系列である。第一の部分について、『4Q創世記注解』(以下4Q252)は、創6:3の120年を洪水までに人間に残された時間と見なす。第二の部分について、Brookeは時系列の中にポイントが暗示された神学的なアジェンダがあると考えるが、Bernsteinは、第二神殿時代の文学には神学的でないものもあるし、4Q252が神学的であるとして、その証拠を示すべきと反論する。Brookeは、ノアたちが暦を守ることで神の好意を得たと主張するが、暦の遵守などテクストには出てこない。4Q252を『ヨベル書』に基づいて読むのは誤りである。

(2)ノアからアブラハムについては、Brookeは断片的にしか分からないテクストの全体の構造を議論するという過ちを犯している。またBrookeは、この箇所に『ダマスコ文書』2.15-3.2との並行関係を見ているが、十分に堅密な言語的なつながりは見られない。さらに『ダマスコ文書』が語っている罪への傾斜や欲望の目を、カナンの呪い、ソドムの滅亡、アマレクの殲滅、ルベンがビルハと寝たことなどとつなげて、4Q252が性的な罪について語っていると解釈するが、ルベンの場合以外は特に性的な暗示は見当たらない。またBrookeはこの箇所が土地の贈与とそこに住む人について語っていると解釈する。確かに土地の贈与について語られてはいるが、そこに神学的なニュアンスは少ない。

(3)アブラムの時系列について、Brookeは、それを明らかにすることで神がいかに約束を守ったかを示していると解釈する。しかし、この箇所の主眼は、創11:26と12:4との表面上の矛盾の解消と、イスラエルの民のエジプト滞在に関する創15:13と出12:41の矛盾の解消である。神の約束の問題は、テクストのどこでも語られていない。テクスト上の問題点を解決することだけが編纂者の目的である。断片的でないテクストの神学的立場を明らかにすることですら困難なのだから、断片的なテクストはなおさらである。アブラムの時系列の箇所で、彼の子孫への土地贈与に関する神の約束が語られているとは思えない。

(4)ソドムとゴモラの箇所では、土地やその浄化については出てこない。そしてテクスト上では、ソドムとゴモラの罪が性的なものであったことなども語られていない。テクストに明らかに書かれていることのみを扱うべきである。

(5)イサクの縛りの問題は、注解というよりは再話聖書の形式で書かれているようである。Brookeはここでも土地の問題を持ち出すが、それもテクスト上では明らかでない。編纂者がなぜこの箇所を取り上げ、釈義を施しているのかは分からない。編纂者や読者が土地の後継者であるかのようだというBrookeの解釈は飛躍である。

(6)イサクによるヤコブの祝福にについては特に言及なし。

(7)アマレクについて、Brookeは申25:19「アマレクの記憶を拭い去りなさい」が引用されていることから、同26:1「あなたの神、主が嗣業として賜わる国にはいって、それを所有し、そこに住む時は」の記述に(勝手に)つなげ、4Q252のテーマは土地の所有だとする。確かに土地の問題はこのテクストのテーマではあろうが、この主張は引用してもいない箇所に基づいていることと、また引用されている25章の部分でも土地についての記述はオミットされていることを無視している。むしろ、土地の記述の代わりに「日々の終わりに」という一節を置いていることからは、編纂者があえて土地問題に言及しなかったことが分かる。また編纂者は、ここで成就が不完全な神の命令について語っているというよりは、聖書のあとの部分で重要になってくる存在としてアマレクについて言及していると思われる。それゆえに、サウルへの言及も、彼がアマレクを殲滅し尽くさなかったからではなく、とにかくアマレクに勝利したからと考えるべきである。Brookeは『十二族長の遺訓』や『聖書古代誌』との類似を説くが、これも根拠のない主張である。Brookeが言うアマレクの性的退廃や土地の浄化、またエサウの拒絶についてなども、テクストに言及はない。確かにこれらは第二神殿時代のユダヤ文学の重要なテーマではあるが、単純に4Q252はそれらに言及していないのである。

(8)ヤコブによる祝福の部分とアマレクの部分には共に「日々の終わりに」という用語が出てくるため、Brookeは両部分のつながりを説明しようとするが、この用語は実際に4Q252の中で引用されている部分に出ているわけではない。また個々の部分のダイナミックさの前では、それらの部分同士のつながりを無理やり作ろうとするのは無駄なことである。

以上のことから、BernsteinはBrookeの主張を退ける。Brookeは4Q252において「成就していない祝福と呪い」が語られていると主張したが、少なくとも呪いはテクスト上では表現されていない。洪水では時系列のみに集中しているし、ソドムとゴモラの物語は断片的過ぎるし、アブラハムの祝福は聖書のパラフレーズの中でわずかに触れられているだけである。編纂者は解釈困難な箇所の解釈に集中しているだけである。

Brookeの解釈は、土地の神学や土地の約束に関する先入観を反映してしまっている。彼は、どの箇所にも一度も「土地の約束」は言及されていないという事実を無視している。また彼は第二神殿時代の文学やクムランの文学のより広範な関心に従ってしまっている。『ダマスコ文書』などと単純に比較をすることで、4Q252をそれ自体から読むことの権利を奪っている。

Bernsteinの理解では、4Q252の本質はそれ以降には見られないような原始的な注解である。基本的な聖書解釈的な問題を選択的に扱いつつ、クムランに特徴的ないかなるイデオロギー的あるいは神学的な考えも語らない。つまり党派的な特徴はない。いわば、4Q252は再話聖書と聖書注解の間のどこかに位置しているのである。そして、Bernsteinによれば、これ以上我々は理解を進めることはできない。

また独自のテクストというよりは、すでにあったテクストを編纂者が自分の興味にしたがってまとめたものと考える方がよい。その場合、テクストの構造と選択は編纂者によってなされ、個々の注解はより前の解釈者によってなされたものであろう。また個々の注解についても、アマレクやルベンに関する部分は「注解」タイプ、洪水やアブラハムに関する部分は「再話聖書」タイプだったことから、解釈のスタイルには拘泥していない。

そして個々の解釈をつなげるような一貫した理由や方法論は見出されない。強いてつながりを挙げるならば、それはヘブライ語聖書の解釈困難な箇所であるというだけである。Bernsteinは、ユダの祝福部分を除いて、いかなる党派的な関心や用語も見られないと主張する。4Q252には党派的なメッセージはないし、論争点も欠いている。個々の解釈のみならず、編纂の段階においても、4Q252にクムランに特徴的な箇所はない。

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