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2018年7月28日土曜日

4Q252における申命記的特徴 Brooke, "The Deuteronomic Character of 4Q252"

  • George J. Brooke, "The Deuteronomic Character of 4Q252," in Pursuing the Text: Studies in Honor of Ben Zion Wacholder on the Occasion of His Seventieth Birthday, ed. John C. Reeves and John Kampen (JSOTSup 184; Sheffield: Sheffield Academic Press, 1994), 121-35.
H. Stegemannによると、4Q252写本は2つの別の写本から成っているという。普通であれば注解者はひとつのパターンに従うのに対し、4Q252はそうはなっていないからである。しかし、論文著者によると、写本の観察から、4Q252の6つの断片は皆同じ写字生によって作成されたひとつの写本に由来するという。そして内容的にも、6つの断片すべてに申命記的特徴が見られることから、写本はひとつだったことが分かる。

4Q252 3.2-6:M. Kisterは、この箇所では申13:14-18の「ヘレム」の法のことを指しているとするが、M. Bernsteinは、偶像崇拝のために犠牲を禁じる申命記的法のことをより明確に指摘している。申13章には、「חרם」「שלל」といった、4Q252のこの箇所に出てくる言葉が出てくる。4Q252 3.5の箇所も、申20:11の言い回しを想起させる。4Q252のソドムとゴモラに関する法的注解は、犠牲禁止の法に基づいてこの二都市の殲滅を正当化するものである。そのとき、4Q252は申命記をモーセ以前の出来事にも適用できると考えている(『ヨベル書』や『神殿巻物』も同様の考え方)。

4Q252 4.1-3:「アマレクの記憶を拭い去る」に関する部分で、Eisenman/WiseとStegemanは出17:14を典拠とするが、論文著者は申25:19とする。出エジプト記と異なり、申命記ではアマレクが滅ぼされなければならない理由が語られている。また申命記では4Q252のテーマである土地の贈与が語られている。さらに、申命記にある「主なる神が周囲のすべての敵からあなたの守って安らぎを与えるとき」というフレーズは、4Q252のように「日々の終わりに」という終末論と結びつきやすい。「日々の終わりに」という表現は五書では申命記のみに現れる。アマレクを滅ぼすという申命記の掟が終末、つまり編纂者の時代において成就するという考え方は『神殿巻物』にも見られる。

4Q252 5.1-2:エレ33:17が引用されているが、18節ではレビ人について触れている。この箇所はしばしば申18:1におけるレビ人の規定と結び付けられる。文脈を広く取ると、4Q252の編纂者は、自分たちはもともとレビ人だったが、今では「共同体の人」(4Q252 5.5)だと考えているのだろう。

4Q252 2.7:創9:27「彼はセムの天幕に住まう」の彼は、通常はヤペテが主語だが、4Q252はそれを神にすることでヤペテをセムの天幕から除外している。「שכן」のカル態は多く見られるが、そのピエル態は申命記のみに見られる。そして「彼の名前をそこに住まわせる」(申12:5, 11, 14)は、G. von Radによれば、申命記の中心的な思想のひとつである。「שכן」は死海文書の中では『神殿巻物』に頻出する単語である。また申命記における父祖への言及は、ひとつを除いてすべて土地の贈与の約束に関するものである。

祝福と呪い:M. Kisterは4Q252の主題を祝福だと考えた。確かに、五書における「ברך」の動詞のほとんどは創世記と申命記に集中している。しかし、論文著者はむしろ呪いこそが4Q252と申命記をより強くつないでいるとする。というのも、第一に、ソドムとゴモラ、アマレクなどへの言及があり、第二に、申27章のレビ人による呪いの掟からの影響が見られる(『共同体規則』にも似たような記述あり)。さらに第三に、申命記のレビ人と結びついた軍事的な敬虔さは、『戦いの巻物』における祭司とレビ人への言及と重なる。論文著者は、4Q252に見られる創世記の申命記的解釈は『戦いの巻物』と似ていると主張する。

以上のように、4Q252は創世記の注解でありながら、明示的にせよ暗示的にせよ、申命記の影響が認められる。ここから4Q252は、同じように申命記からの影響を受けた他のクムラン文書、たとえば『会衆規定』『ダマスコ文書』『神殿巻物』の解釈にも役立つ。

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