2018年7月15日日曜日

再話聖書から聖書注解へ Bernstein, "4Q252: From Re-Written Bible to Biblical Commentary"

  • Moshe J. Bernstein, "4Q252: From Re-Written Bible to Biblical Commentary" Journal of Jewish Studies 45 (1994): 1-27; repr. in Bernstein, Reading and Re-Reading Scripture at Qumran (Studies on the Texts of the Desert of Judah 107; Leiden: Brill, 2013) 1:92-125.
Reading and Re-Reading Scripture at Qumran (Studies of the Texts of the Desert of Judah)Reading and Re-Reading Scripture at Qumran (Studies of the Texts of the Desert of Judah)
Moshe J. Bernstein

Brill Academic Pub 2013-06-21
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論文著者はまず、古代における字義的解釈(Simple-sense exegesis)を定義する。字義的解釈とは、理性的な読者が直面する言語、文法、文脈、問題における難点によって引き起こされる問題に注目するものであり、そしてそうした問題をある一定程度まで聖書テクストの条件や境界の中でのみ解決することを試みる解釈である。字義的解釈をしばしば含む古代の文学は、たとえば、古代の翻訳聖書再話聖書(『ヨベル書』『外典創世記』)である。これらの解釈は、歴史的観点や神学的観点からではなく、専ら解説的(expository)観点から、テクストのぎこちない構造をなめらかにし、明らかな矛盾を調和させた。

これに対し、注解(commentaries)は、翻訳のようにテクストの単語や文章に縛られないし、再話聖書のように原点の物語構造にそれほど密接に従属していない。むしろ、問題がある箇所や注解者の関心を引いた箇所を、選択的に次々に進んでいく。それは例えば、フィロンの寓意的解釈やクムランのぺシェルであるが、両者共に字義的解釈を超えたところをゴールにしている。

G. Vermesは、クムランにおける聖書解釈は、再話聖書とぺシェルに二分されるとしたが、この区別においては、クムランの字義的解釈は再話聖書(とある種のハラハー的著作)の方に見られることになる。ぺシェルは聖書テクストの字義的解釈よりも、その歴史的あるいは終末論的な実現を目指している。

論文著者によれば、『4Q創世記注解A』は、クムランで見つかったテクストの中で、その解釈方法の幅広さとテクストの範囲のまばらさに関して、著しく他と異なっている。それは、秘儀的でなくまた偏向的でない字義的解釈の「注解」の最初の一歩を体現しているからである。『創世記詞華集』と呼ばれたこともあるが、注解を加える箇所の選択に基準がなさそうに見えることから、この名称は当たらない。形式的にも概念的にも、古代にはこのようなテクストはなかった。

『4Q創世記注解A』の特徴を列挙すると、(1)それは党派的あるいは終末論的なペシェル聖書解釈ではない(わずかな例外を除いて)。(2)その解釈は暗示的でない。(3)同時代の出来事や当時の歴史を反映していない。(4)聖書を預言的に読まない。(5)中立的でも文脈的でもない。(6)再話聖書ではなく、引用+釈義を持つ「注解」である。(7)特定の問題を選択し、その問題だけが注解の対象になっている。(8)再話聖書と注解が同居していることから、新しいジャンルへの過渡的かつ暫定的な性質を持っている。

カレンダーやメシアニズムといった要素は、確かにクムランの党派的テクストの特徴ではあるが、これらは多かれ少なかれ当時のユダヤ人が共有していた感覚でもあった。『4Q創世記注解A』の個々のコメントのどこにも、党派的なメッセージは見出されない。それらのコメントは、ヘブライ語聖書の解釈上の問題に解答を与えているだけである。

もしこのテクストがクムランで発見されたのでなければ、われわれはそれがクムラン由来であるかもしれないと疑うかもしれないが、典型的なクムラン的テーマの欠如を訝しく思うことだろう。個々の解釈はあまりに多様なので、統一的なテクストとして読むべきではない。そうした意味で、このテクストはより早い時代に書かれた作品の抜粋なのかもしれない。

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