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2018年7月20日金曜日

土地の所有という創世記解釈 Brooke, "The Thematic Content of 4Q252"

  • George J. Brooke, "The Thematic Content of 4Q252," Jewish Quarterly Review 85 (1994): 33-59.

本論文は、『4Q創世記注解』の公式エディターであるBrooke(マンチェスター大学)による同テクストのテーマをめぐる議論であるが、これに対し、タルグムと死海文書の研究者であるM. Bernstein(イェシバー大学)がのちに反論を試みている(その論文は後日まとめる)。両者共に、死海文書の聖書解釈についての専門家である。

まずBrookeは公式エディターとして実物を手にすることができたので、観察の結果得られた3つの知見を説明する。第一に、4Q252は6つの断片および6つの欄から成っており、第1欄と第2欄の大部分を含む断片1はテクスト全体の冒頭を含んでいる。4Q252 1:1には先行詞がないままに「彼らの終わり」という言葉があるが、それは編纂者が読者の創世記の知識を前提にしているからである。第二に、編纂者は新しいセクションを余白などで示すが、第1欄の冒頭にはそのようなものはない。第三に、現存する断片は、創世記の6章から49章までをカバーしている。これより前の部分(1章から5章)や出エジプト記の注解があったと考える根拠はない。

1-2:5は洪水の時系列を扱う。この中では、箱舟の建設や洪水の被害などについては語られず、専らそれぞれの出来事が起こった日付について扱われる。洪水が太陽暦の364日間続いたとする点で、編纂者の関心は『ヨベル書』のそれに似ている。Brookeによれば、この聖なる太陽暦を守ることは倫理的な正義を遵守することとなるという。つまり、暦の問題を扱うことは、他の多くの第二神殿時代の文学と同様に、倫理的な奨励になっているのである。

2:5-8のノアに始まりアブラハムに終わる部分は、架け橋となるパッセージである。内容的には、呪いと祝福を含んでいる。引用されている創9:27「彼はセムの天幕に住まう」は、マソラー本文では曖昧な主語をはっきりと神にすることで、『ヨベル書』やいくつかのクムラン文書(『戦いの巻物』『ネヘミヤ書ペシェル』『ダマスコ文書』等)同様の反ギリシア的な排外主義を示している。またノアからアブラハムにジャンプするという構成は、『ダマスコ文書』2.15-3.2にも見られる。ここでは、罪に傾くことや欲望の目を持つことを避けるように説かれている。Brookeは、『4Q創世記注解』において、洪水の時系列のみならず、カナンへの呪い、ソドムの破壊、アマレクの殲滅、ルベンの不貞などが語られていることから、ここでも罪や欲望の問題が扱われていると考える。そしてそれらは、神からの土地の贈与と、そこの住人の問題とも大きく関わっている。

アブラムの時系列。Brookeによれば、編纂者の関心は、アブラハムのカナン入りの時系列と、その子孫への土地の贈与にあるという。

ソドムとゴモラと土地の浄化。この中では申13:13-19における偶像崇拝の町に関する法が暗示されている。ただし、この部分の暗示は、申20:10-18における戦争の法によるものかもしれない。Brookeは、『4Q創世記注解』2.8においては、アブラハムが神の友人として描かれていると主張する。そしてこの神とアブラハムとの友情がソドムとゴモラの破壊と密接につながっているという解釈が、フィロンとタルグム・ネオフィティに見られる。またソドムとゴモラの物語は、第二神殿時代のユダヤ文学においては、性的な罪とその浄化と関係していると考えられてきた。

イサクの奉献。アブラハムがまさにイサクを殺そうとしているところから始まっているが、その意図は判りづらい。これまでの注解でテーマとされている土地の贈与がここにも関わっているとすると、アブラハムの子孫が土地を所有するという神の約束を成就させるのはイサクとその子供たちだと示しているといえる。あるいは、代下3:1から、イサクを縛ったのはエルサレムだったことも重要視されていたかもしれない。

イサクによるヤコブの祝福。ここには「全能の神(エル・シャダイ)」という、創17:1-2および35:9-12にしか現れない語が用いられている。またその祝福は、ヤコブの繁栄と土地の約束から成っている。Brookeによれば、編纂者はあたかも自分やその読者が父祖たちへの土地の約束の後継者であるかのように考えているという。

第4欄のアマレクに関する箇所は最も興味深いものである。申25:19「アマレクの記憶を拭い去りなさい、天の下から」には、「日々の終わりに」というフレーズが挿入されている。これは第四洞窟出土のテクストの中では、4Q174および4Q177に見られる。申命記では、モーセに対してアマレクの殲滅されるべき終末の時間が語られている。サウルはアマレクを殲滅するべきだと見なされていたが、完遂できず(サム上15:1-34)、その成就は後の時代に託されていた。また「日々の終わりに」というフレーズは、民24:14のバラムの託宣とのつながりを示している。

Brookeは、このアマレクに関する奇妙な言及は、まだ完全に完遂されていない神の命令を示していると解釈する。アマレクの殲滅は、エサウの拒絶、すなわち選ばれたのはヤコブでありイスラエルの民であったということを示す。アマレクの問題については、『十二族長の遺訓』の「シメオン」5:4-6:5と偽フィロン『聖書古代誌』などにも見られる。こうしたことから、Brookeは、『4Q創世記注解』がアマレクに言及するのは、アマレクの殲滅こそが、土地を所有する者たちにとっての約束された終末論的やすらぎとなるからだと考える。つまり、ノア、ソドムとゴモラ、カナンなどの物語と共に、アマレクの殲滅は、性的な不品行による汚染から土地を浄化することなのである。アマレクというエサウの子孫を殲滅することは、相続権がヤコブとその子孫に属していることを意味する。

ヤコブの祝福。ここに至る前のヨセフ物語集成(Joseph cycle)は完全に省略されている。エレ33:17「ダビデのために王座につく者は滅ぼされることはない」が引用されている。この先の部分であるエレ33:22「わたしは数えきれない満天の星のように、量り知れない海の砂のように、わが僕ダビデの子孫と、わたしに仕えるレビ人の数を増やす」は、創22:17-18「あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである」の再話である。

Brookeによると、ヨセフ物語が完全に省略されている一方で、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブなどが取り上げられていることから、『4Q創世記注解』は、まだ成就していないあるいはまだ解決していない祝福と呪いに関心を示している。また素材の選択に関しては、D. Clinesが五書そのもののテーマとして述べているそれと近しい。すなわち、父祖との約束や父祖への祝福の部分的な成就である。Brookeによると、カナンの呪い、セムの天幕、アブラハムの時系列、ソドムとゴモラの滅亡、イサクからヤコブへの祝福、アマレクの殲滅などはすべて、土地の約束に関係している。しかし、土地の継承はいかなる性的不品行にも関わらなかった者のみに属している。ノアの裸の罪を帰されたカナン、邪悪な住人の住むソドムとゴモラ、政敵放縦のアマレク、ビルハと寝たルベンらは、その性的不品行によってその資格を失った。

こうしたことから、Brookeは『4Q創世記注解』と『ダマスコ文書』との類似を指摘する。『ダマスコ文書』において「今こそ聞け」という言葉で始まる三つの奨励が皆、土地の正当な所有や性的放縦と関係しているからである。

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