2016年9月7日水曜日

レイノルズ、ウィルソン『古典の継承者たち』 #1

  • L.D. レイノルズ、N.G. ウィルソン「第一章:古代」、『古典の継承者たち:ギリシア・ラテン語テクストの伝承にみる文化史』(西村賀子、吉武純夫訳)国文社、1996年、11-74頁。
古典の継承者たち―ギリシア・ラテン語テクストの伝承にみる文化史古典の継承者たち―ギリシア・ラテン語テクストの伝承にみる文化史
L.D. レイノルズ N.G. ウィルソン L.D. Reynolds

国文社 1996-03
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ギリシア・ラテン語テクストの伝承史に関する古典的名著の第一章から、関心を引かれたところを要点のみ挙げておく。

古代の書物。書籍取引が初めてギリシアに出現したのは、前五世紀中葉かその少し後のこと。本の形態は、損傷しやすい巻子本であった。パピルスは片方の面のみに文字を書いた。パピルスの代わりに羊皮紙を使うようになったのは、ペルガモンにおいて。テクストは、詩も散文も分かち書きせずに書かれていた。

ムーセイオンの図書館とヘレニズム時代の学問。ディオニュシア祭のような主要な祭典で公演された劇の公式写本は、劇場または公文書館で保管された。ムーセイオンは、ムーサを祭る神殿であると共に、文学・科学研究共同体の中心施設であった。ムーセイオンの学者は定期的に授業をした形跡はない。ムーセイオンの図書館の所蔵図書数は、20万巻から49万巻。

ムーセイオンの学者たちは、ホメロス・テクストを校訂することで、それを標準として押し付けもした。しかし、読者の便宜を図る手立てを発達させた:たとえば、アルファベットをイオニア式に統一したり、句読法を向上させたり、アクセント記号を発明したりした(ビザンティウムのアリストファネス)。文学の注釈的研究は、対象作品とは別個の書物として書かれた。そうした研究はほとんど失われたが、後代のスコリアから復元できる。彼らの研究の問題は、登場人物、特に神々の「品位のない行動(アプレペイア)」が書かれた詩行を安易に「真正でない」として退けたことである。ただし、その修正案はテクスト上ではなく、あくまで別冊の注釈に書いたので、テクストが損傷を受けることはなかった。彼らの解釈法は、「ホメロスをホメロスから説明する」というものであった。

ヘレニズム時代のその他の研究。ムーセイオンに匹敵し得る文学研究所としては、ペルガモンの図書館がある。ここでは、とりわけ地誌と刻文(ポレモン)、また地理学(クラテス)の研究が盛んだった。ストア派によるホメロス研究としては、ヘラクレイトスが挙げられる。ディオニュシオス・トラクスは、正式なギリシア語文法書を初めて著した。前一世紀のディデュモスは、すでにあった大量の批判的研究を編纂した。

共和政ローマの書物と学問。ラテン文学が始まったのは前三世紀。ナエウィウスとエンニウスは国民的な地位を得た。文法の研究は、マロスのクラテスによって初めてローマに紹介された。ランパディオやウァルグンテイウスといった文法学者が活躍したあと、ルキウス・アエリウス・スティロが登場した。アエリウスは、プラウトゥスの校訂において、アレクサンドリアのテクスト批判記号を初めてローマで用いた。アエリウスの弟子であったウァロは、演劇の真作を確定するために、文献学的手法を用いた。ウェリウス・フラックスは最初のラテン語辞書である『語の意味について』を著した。ローマの最初の公共図書館は、前39年にガイウス・アシニウス・ポリオによって作られた。キケローの友人であるアッティクスは、書写職人を多く抱えていた。古代における出版においては、著者は友人たちの手元にある写本を改変してくれと頼むことによって、すでに出版したテクストに変更を加えた。

帝政初期の発展。図書館の普及によって、教育への関心が高まった。特に学校教育において題材として取り上げられたのは、詩文ではホラティウス、ルカヌス、ウェルギリウス、テレンティウスであり、散文ではキケローとサルスティウスであった。一世紀の学者の中で、当時最も高名だったのは、ベイルートのマルクス・ウァレリウス・プロブスであった。彼はアレクサンドリアの校訂記号を用いて、ウェルギリウス、ホラティウス、そしてルクレティウスなどを研究した。

二世紀の擬古主義。創作文学が衰え、過去の作家に対する熱狂的な関心が起こった。その端緒はプロブスであるが、代表的なのはアウルス・ゲッリウスの『アッティカの夜』である。

概要と注釈書。三世紀になると、異教文化が実質的に衰退してきた。偉大な古典作品を完全に収録した写本ではなく、その概要や抄録が多く流通するようになった。注釈者としては、アエリウス・ドナトゥスとセルウィウスが代表的である。自由七学科(リベラル・アーツ)もこの時代に確定していった。

巻子本から綴本へ。二世紀から四世紀にかけて、書物は巻子本から綴本へと形態を変えていった。もともとはパピルスの巻子本だったのが、羊皮紙の綴本になったのである。後者に対する最初の言及は、マルティアリスの詩の中にある。綴本は、特にキリスト教徒の用いる聖書テクストに見られる形式でもあった。

西ローマ帝国における四世紀の異教とキリスト教。異教とキリスト教との闘争の頂点は、四世紀のアンブロシウスとクィントゥス・アウレリウス・シュンマクスの討論に見られる。異教の学識者たちを生き生きと描いた作品としては、マクロビウスの『サトゥルナリア』がある。異教文学は、明らかにキリスト教教育には適していなかったが、アンブロシウス、アウグスティヌス、そしてヒエロニュムスは、とりわけキケローのような異教文学に対し、警戒心を持ちつつも、その学識を利用した。キリスト教が優勢になってからも、学校教育はそれまでどおりの異教文学に則って行われた。それは修道院が新しい教育を施すようになるまで続いた。

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