2014年10月23日木曜日

過越し祭とミシュナー1 Bokser, "Ch. 4: The Mishnah's Response"

  • Baruch M. Bokser, "Ch. 4: The Mishnah's Response: The Meaning of Passover Continues without the Passover Sacrifice," in id., The Origins of the Seder: The Passover Rite and Early Rabbinic Judaism (Berkeley, CA: University of California Press, 1984), pp. 36-49.
The Origins of the Seder: The Passover Rite and Early Rabbinic JudaismThe Origins of the Seder: The Passover Rite and Early Rabbinic Judaism
Baruch M. Bokser

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過越し祭を祝うために、ラビ・ユダヤ教以前には、子羊など動物の犠牲が必要不可欠だった。言い換えれば、聖書における過越し祭は神殿祭儀と密接に関わっていたのである。では神殿がなくなったあとのラビ・ユダヤ教はこれをどのように解決したのか。この論文の著者は、ミシュナーのモエード篇ペサヒーム10章を検証することで、ミシュナーが犠牲なしでの過越し祭をいかにして可能にしたかを論じている。それに際し、著者はミシュナーによる9つの試みを明らかにした。

1.過越し祭の食事を、時間や品目に関して犠牲の食事と「同期」させる。出12:8や申16:6のように、聖書は過越し祭の食事を夜に取ることを言明しているが、ミシュナー(・ペサヒーム、以下省略)10.1はこれを踏襲し、なおかつより厳密な規定を与えている。トセフタ(・ペサヒーム、以下省略)2.22はさらに細かい時間を指定し、なおかつ食事に必要な品目を挙げている。

2.種無しパン(マッツァー)と苦菜(ハゼレット/メロリーム)を犠牲と同等に捉える。種無しパンと苦菜は聖書においても言及されているが、あくまで犠牲に対して二次的なものと考えられていた。これに対し、ミシュナー10.3(およびトセフタ10.9-10)は、種無しパンと苦菜をいわば格上げし、犠牲と同等のものと見なしたのである。さらにトセフタ2.22は、苦菜、種無しパン、犠牲を並べた上で、仮にどれかが欠けても残りのものは無効にならないと述べている。ミドラッシュの『メヒルタ・デ・ラビ・シムオン・バル・ヨハイ』の出12:18の解釈では、さらにはっきりとした区別を打ち出し、種無しパンを苦菜よりも上位に置いた。

3.聖書でも指示されている子供への教えは犠牲なしでも可能と言明する。出12:25-27, 13:8などで、両親は子供に過越し祭の意味を説明しなければならないとされているが、ミシュナー10.4では犠牲なしでの説明の方法が示されている。また苦菜を二度ディップすることや、種無しパンと(犠牲の代わりに)焼いた肉のみを食べることなども指示されている。

4.ワインの役割に関するさまざまな規定を示す。実際は聖書にはワインに関わる規定はなく、最初に言及したのは第二神殿時代の聖書文学であるヨベル書であるが、ミシュナーは杯の数、いつワインを飲むか、いつワインに祈るかなどを指示している。

5.三つのことを口に出して言うことでそれらの重要性を認識する。ミシュナー10.5では、ラバン・ガマリエルの教えとして、食事の中で、過越し祭(ペサハ)、種無しパン(マッツァー)、苦菜(メロリーム)という三つの言葉を口に出して言うことが指示されている。これは、あえて口に出して言うことでそれらの事柄に対する集中を促し、それが犠牲と同じくらい重要であると認識させるためである。

6.詩篇の朗誦を専門の朗誦者や犠牲がなくても可能にした。過越し祭の食事では、ハレルと呼ばれる詩篇113篇および114篇の朗誦があるが、ミシュナー10.5-6においては、専門の朗誦者も犠牲も楽器もいらないことが示されている。

7.祭日の重要な要素である幸福になることを犠牲なしでも可能にした。歴代誌やヨベル書で言及されている、肉を食べることで喜びを得られるという考え方は、ラビ・ユダヤ教以前では過越し祭でも同様であった。これに対し、ミシュナー10.1, 2, 4およびトセフタ10.4では、肉に取って代わり、ワインが喜びをもたらすことが示されている。これは特にトセフタの方に顕著な特徴である。

8.ペサヒーム内の章区分から見えるミシュナーの試み。ペサヒームの1章から4章にかけては、過越し祭の神殿崩壊後にも適用可能な側面が記されており、5章から9章にかけては、犠牲について記されている。そのあとに、本論文の対象である10章が来ることになる。ミシュナーは、最初の方の章でいろいろと原理を説明していったあと、最後にそれを適用するとどうなるかを論じるという特徴があるため、ペサヒーム10章もまさにそれに相当している。

9.過越し祭が犠牲を失うことは他の犠牲祭儀を失うことと何ら変わりないことを示す。ラビ・イシュマエルは過越し祭を他の祭りよりも重要と考え、過越し祭の祈りは他の祭りにも適用できるが逆は不可能と述べた。これに対し、ミシュナーは最後に、これに反対するラビ・アキバの意見を挙げることで、過越し祭が犠牲をなくしても、それは取り立てて大きな損失ではないと主張している。

結論としては、最初に述べたように、ミシュナーの目的は、過越し祭を祝うことは犠牲祭儀を欠いても可能であることを強調することであった。ただし、すると新たな問題が生じてしまう。犠牲祭儀は過越し祭の食事を特徴付けるものであったが、それを欠くと、過越し祭の食事とギリシア・ローマの饗宴(シュンポシオン)との区別がつかなくなってしまうのである。ミシュナーはこの問題を解決しなければならなかった。(つづく)

以下蛇足ながら紹介。過越し祭の食事では、ハガダーと呼ばれる特別なテクストを皆で読むが、2014年1月にヒブル・ユニオン・カレッジ(Hebrew Union College)の教授たちを中心にアメリカの改革派ユダヤ教が数十年ぶりにハガダーの改訂版を出版した。イスラエルで手に入るハガダーと比較することで、アメリカの改革派ユダヤ教の特徴を捉えることができるだろう。またアール・デコ風の印刷が美しいので、単純に手にとって眺めるだけでも楽しい。重要な箇所はヘブライ語と英語とが対訳になっているが、英訳は現代の改革派の現実に照らしてかなり解釈が入っている。
  • Rabbi Howard A. Berman and Rabbi Benjamin Zeidman (eds.), The New Union Haggadah: Revised Edition (New York: CCAR Press, 2014).
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