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2012年3月29日木曜日

アウグスティヌスはヒエロニュムスの翻訳聖書を用いたか?

  • Anne-Marie La Bonnardière, "Did Augustine use Jerome's Vulgate?" in Augustine and the Bible, ed. Id. (The Bible through the Ages, vol. 2; trans. Pamela Bright; Notre Dame, Ind.: University of Notre Dame Press, 1999), 42-51.
Augustine and the Bible (Bible Through the Ages)Augustine and the Bible (Bible Through the Ages)
Pamela Bright

Univ of Notre Dame Pr 1999-08
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聖書を中心としてアウグスティヌスとヒエロニュムスがどのような立場を取ったかについて書かれた論文を読みました。この本はフランス語からの英訳です。
  • Anne-Marie La Bonnardière, "Augustin a-t-il utilisé la 'Vulgate' de Jérôme?" in Saint Augustin et la Bible, ed. Id. (Bible de tous les temps, vol. 3; Paris: Beauchesne, 1986), 303-12.
B0000EA8MKSaint Augustin et la Bible (Bible de tous les temps)
Anne-Marie la Bonnardière
Beauchesne 1986
by G-Tools

アウグスティヌスはヒエロニュムスのウルガータ聖書を用いたか?という問いの答えは、もちろん「そのとおり」に決まっているわけですが、Bonnardièreはまず、「ウルガータ」という言葉はこの論文でヒエロニュムスの訳した聖書のことを指すと但し書きをしています。なぜかというと、ウルガータとは本来「普及版」の意ですから、我々にとっての「ウルガータ」はヒエロニュムスのラテン語訳ですが、ヒエロニュムスにとっての「ウルガータ」は七十人訳を基にした古ラテン語訳のことを指すからです。ではこの「ウルガータ」に対してアウグスティヌスがどのような姿勢を取ったかを検証するに当たって、紙幅の都合からBonnardièreはアウグスティヌスとヒエロニュムスの往復書簡を外し、『七書注解』、『神の国』、『キリスト教の教義について』、『補遺426』を対象にするとしています(実際論文の中では最初の2つだけが取り上げられています)。

『七書注解』のいくつかの箇所において、アウグスティヌスはヒエロニュムスによるヘブライ語からの訳と七十人訳とを比較しています。このとき、どんなにヘブライ語の方が明瞭であっても、アウグスティヌスは七十人訳を参照し続けました。また彼はヒエロニュムスの『創世記におけるヘブライ語研究』をも読んでいた節があります。J. Divjakが新たに発見したアウグスティヌスの書簡27によると、ヒエロニュムスは『ヘブライ語研究』をカルタゴのアウレリウスに送っており、おそらくアウグスティヌスはそこからこの書物を手に入れたものと思われます。

『神の国』の執筆に際しても、ヒエロニュムスの著作はアウグスティヌスにとって最も重要な情報源でした。とはいっても、彼はヒエロニュムスのヘブライ語からの訳だけに重きを置いたわけではなく、七十人訳の翻訳者たちは預言者のように「聖霊」に満たされて翻訳をしたのだから、七十人訳には神の霊感が宿っているという理解も決して手放しませんでした。たとえば『神の国』18.44で、ニネベの都が滅びる日数に関して(ヨナ3:4)、ヘブライ語には「40日」、七十人訳には「3日」と書かれていますが、ヒエロニュムスが問答無用で40日を正しいとするのに対し、アウグスティヌスは両方を正しいとします。なぜなら、40日の方は預言者ヨナの権威によるものですし、3日の方は七十人訳者に宿った預言の霊の権威によるものだからです。つまりアウグスティヌスはこの二つの解釈を、いずれも一つの霊のもとに下された預言を違うやり方で表している、と考えたわけです。同様の例としては、『神の国』20.3のゼカ12:10–11に関する解釈があります。この聖書箇所はヘブライ語では「突き刺した者」、七十人訳では「嘲弄した者」と書かれています。ヒエロニュムスはヘブライ語を正しいと考えますが、アウグスティヌスは両方の読みが正しいと述べています。こうしたアウグスティヌスとヒエロニュムスの姿勢の違いについては、P. Benoitがオリゲネスを加えて次のように書いているようです。
Origen wanted as canonical only the Greek text, leaving the Hebrew for the Jews. Jerome wanted only the Hebrew, reducing the Greek to a less accurate tradition. Augustine retained the two as different, complementary, and desired versions of the same Spirit. It is a vision of singular depth and truth. (p. 47)
  • P. Benoit, "L'inspiration des Septante d'après les Pères," in L'homme devant Dieu, ed. H. de Lubac (Paris: Aubier, 1963), 169-187. 
アウグスティヌスはヒエロニュムスのヘブライ語からの翻訳と七十人訳とを共に引用し、後者を犠牲にすることなく両方を採用しました。なぜなら、七十人訳には権威があり、ヒエロニュムスの翻訳にはヘブライ語に対する正確さがあったから、というのがどうやらこの論文の結論のようです。まあそれはそうですが、アウグスティヌスがヒエロニュムスの翻訳を入手した経路など、もう少し突っ込んだ論証をしてほしかったですね。

2 件のコメント:

  1. マソラ・七十人訳・ウルガータの関係で思い出されるのは、イザヤ61章1節の問題です。
    七十人訳には「目の見えない人に視力の回復を」というくだりがあり、ルカ4章18節はこれを踏まえている一方、マソラとウルガータでは目の見えない人というくだりはなく、確か「自由のない人に解放を」となっていたというように記憶しております。

    御紹介の論文では、この問題について何か触れられていましたでしょうか。

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  2. Josephologyさん、コメントをありがとうございます。この論文では、アウグスティヌスが『神の国』で取り上げている箇所だけを扱っているため、残念ながらイザヤ61:1は取り上げられていませんでした。ヨナ3:4とゼカ12:10–11以外で見るべき個所として挙げているのは(実際に論文中で検証するまでには至っていませんが)、ハガ2:7b、列下5:26、イザ42:1-4、マラ4:6です。おそらくこれらの箇所では、アウグスティヌスがヘブライ語と七十人訳の違いを認識しつつ、双方が正しいという主張をしているものと思われます(未確認)。

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