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2012年3月6日火曜日

アウグスティヌスとヒエロニュムスの往復書簡

  • Robert J. O'Connell, "When Saintly Fathers feuded: The Correspondence between Augustine and Jerome," Thought 54 (1979): 344-64.
アウグスティヌスとヒエロニュムスは、394年からヒエロニュムスの死の420年に渡って、20回ほども書簡をやりとりしているのですが、そのことについて書かれた論文を読みました。しかし、どうも妙な衒学趣味が鼻につく論文で、しばしば情報もいい加減(p. 346、ヒエロニュムスがイタリア生まれだと!?)なので、これはサッと目を通すにとどめた方がよさそうです。とはいえ、冒頭の次の2つの文章は、とてもいいことを書いていると思います。
In the sometimes dry-as-dust business of patristic study, this exchange of letters is like a sudden oasis, or a streamside bower made for quiet musing. (p.344)

... like some meticulously wrought miniature, the dossier of their letters presents one of the most revealing, dramatic, and exhilarating portraits I know of Augustine and Jerome: a portrait of two genuine, thoroughly outsize human beings, and a record of their friendship—always difficult, sometimes stormy; on the face of it improbable, but at bottom quite inevitable. (pp. 344-45)
アウグスティヌスは394年に、ガラテヤ書の解釈についてヒエロニュムスに質問するために手紙を出したのですが(Ep. 28、以下書簡の番号はアウグスティヌス側の校訂版に従う)、配達人はその手紙を届けることができませんでした。あまつさえ、(当時はよくあることだったようですが)この配達人は手紙を公開し、写しをとらせてさえいます。ここからアウグスティヌスとヒエロニュムスのすれちがいが始まります。ヒエロニュムスは49歳、アウグスティヌスは40歳のことでした。

その後アウグスティヌスは2回手紙を送りますが(Ep. 40; 67)、ヒエロニュムスは自分の知らないところでアウグスティヌスに批判されていると思い、1度目は無視し、2度目にはかなり怒りに満ちた返事を書いています(Ep. 68)。しかしそうした怒りの中でも、アウグスティヌスと自分とをそれぞれ、『アエネーイス』5.369ff.に出てくるダレスとエンテルスに喩えて描写するあたりがさすが教養人です。ダレスは血気盛んな若者で、エンテルスは強く思慮深い壮年の男ですが、『アエネーイス』ではこの2人がボクシングで戦い、ダレスの若さに押されつつも最終的にエンテルスが勝利するのでした。

アウグスティヌスはこのヒエロニュムスからの返事を読まないままに、今度はヒエロニュムスによるヨブ記およびヨナ書の翻訳に文句をつけます(Ep. 71)。ここで重要なことに、アウグスティヌスは、ヒエロニュムスはヘブライ語からでなく七十人訳からのラテン語訳をするべきだと述べます。このあたりは、両者の正典観の違いが如実に表れていると共に、翻訳というのものについての考え方の違いをも読み取ることができます。

これに対するヒエロニュムスの返事は、まことに卑屈なもので、当時すでにヒッポの司教であったアウグスティヌスのことを、「年齢では息子、教会の位では父親」などと、(もちろん皮肉で)呼んでいます(Ep. 72)。ヒエロニュムスは結局一介の司祭で一生を終えるわけですが、やっぱりけっこう気にしていたんですね。これに対しアウグスティヌスは、ヒエロニュムスからの非難を受け入れて謝罪しつつ、大人の対応をしています(Ep. 73)。なおかつ、ヒエロニュムスが昔の友人であったルフィヌスと絶交していることに触れつつ、自分とそのようなことにならないようにと宥めています(でも怒ってる人に対してこういうのは逆効果じゃないか?)。

ヒエロニュムスはこの謝罪の手紙を読まないまま(なかなか届かなったようで)、怒りにまかせて返事を書いています(Ep. 75)。むろん、怒りにまかせているとはいえ、相手の痛いところを的確に突いていくあたりがヒエロニュムスの議論巧者なところです。ヒエロニュムスは、アウグスティヌスの言っていることが異端者オリゲネスに依拠したものであること、アウグスティヌスが人から聞いたことにしているヒエロニュムス批判が実はでっち上げに違いないこと、聖書の文献学的な知識が足りてないことなど、ズバズバ切り込んでいます。ただ、ヒエロニュムスのかわいらしいところなのですが、この手紙を書いた後に先のアウグスティヌスからの謝罪の手紙が届いたらしく、すぐに遠回しな弁明の手紙を出しています(Ep. 81)。

アウグスティヌスはこれを読み、感情的な言い合いではない冷静な議論をすることができると思ったようで、ガラテヤ書の問題について長い検討をしています(Ep. 82)。そして最後には、「教会では司教の方が司祭よりも位が高いですが、アウグスティヌスはすべてにおいてヒエロニュムスに劣っていますよ」と書いています。このあたり、両者の人間性が滲み出てくるようですね。教会内の位を気にしつつも学問的な自信に満ちたヒエロニュムスと、そうしたコンプレックスからは無縁の優等生的なアウグスティヌスといった感じでしょうか。

その後ヒエロニュムスからアウグスティヌスに親密な雰囲気の手紙が届き(Ep. 123)、すれちがいによる不毛な議論はこれ以降なくなるようです。すでにアウグスティヌスは61歳、ヒエロニュムスは70歳になっていました。とはいえ、O'Connellはこの時期の和解は、ペラギウス派という共通の敵がいたことも作用していると述べています。その後二人は数回やりとりして、最終的にガラテヤ書の問題に関して、ヒエロニュムスはアウグスティヌスと意見の一致を見たようです。

O'Connellの注で興味深かったのは、この二人の往復書簡について、アウグスティヌスの伝記を書いたPeter Brownはヒエロニュムス寄りの書き方になり、ヒエロニュムスの伝記を書いたJ. N. D. Kellyはアウグスティヌス寄りの書き方になっているという指摘です(p. 358, n. 7)。やはり自分の目下の対象に入れ込みすぎないように、それぞれ無意識にブレーキがかかったのでしょうね。

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