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2019年11月3日日曜日

『エノク書』コメンタリー書評 Reed, "The Textual Identity, Literary History, and Social Setting of 1 Enoch" Collins, "Review"

  • Annette Yoshiko Reed, "The Textual Identity, Literary History, and Social Setting of 1 Enoch: Reflections on George Nickelsburg's Commentary on 1 Enoch 1-36, 81-108," Archiv für Religionsgeschichte 5 (2003): 279-96.

本論文はGeorge Nickelsburgの『エノク書』コメンタリーの書評論文である。西洋近代における『エノク書』の研究のはじまりは、翻訳と注解の作成が中心だった。1773年にJames Bruceがゲエズ語写本を欧州に持ち込むと、研究者たちは同書と、新約聖書のユダの手紙、テルトゥリアヌス『女性のファッションについて』、ゲオルギオス・シュンケッロス『年代記抜粋』での言及や引用とのつながりに気づいた。当時のプロテスタント聖書学に基づき、ソース・クリティカルな方法論が適用された。

20世紀初頭になると、新しいギリシア語訳断片が発見されたことでさらなる研究が続いた。R.H. Charlesはそのテクスト、文学構造、さらにはゲエズ語訳やギリシア語訳のもとになったセム語原典を探求した。その意味では、この時代の研究は文学的な分析よりも『エノク書』の編集過程の理論に偏っていた。そうした文献学的な研究は、プロテスタント聖書学のソース・クリティシズムへの盲信に基づいていたといえる。とはいえ、『エノク書』がより以前のユダヤ起源の5つの文書から成っていることがコンセンサスとなるだけの効果はあった。

ここまでを『エノク書』研究の第一のルネッサンスだとすると、第二はクムランでのアラム語断片の発見とJ.T. Milikによるその出版である。Nickelsburgはこの第二期の重要人物である。彼は折衷的なベーステクストを再構成してそこから翻訳している(Knibbの校訂本はdiplomatic)。書評対象のコメンタリーでは、「寝ずの番人の書」、「夢幻の書」、「エノク書簡」および、「天文の書」の一部とされる81-82章を扱っているが、これは『エノク書』の核となる文学的ユニットが、1-36 + 81:1-82:4c + 91:1-10, 18-19 + 93:1-10; 91:11-17 + 93:11-94:5 + 104:10-105:2という構成の「エノクの遺訓(Enochic testament)」であるというNickelsburgの見解に基づく。

『エノク書』の編纂過程を再構成するために、「寝ずの番人の書」、「夢幻の書」、「エノク書簡」をすべて含む4QEn(c)は、鍵となる証言である。Milikはこの写本に基づき、クムラン共同体は「エノク五書」を所有していたと考えた。すなわち、上の3書と「巨人の書」が合わさった巻と、個別の「天文の書」の巻の2巻本である。Milikは4QGiants(a)は4QEn(c)の一部だったと考えている。さらに彼は「たとえの書」はキリスト教徒によって後3世紀に書かれ、のちに4世紀に「巨人の書」と入れ替わったのだと主張している。Milikのこの「エノク五書」理論はJonas GreenfieldとMichael E. Stoneによって、証拠不十分として否定されている。

Nickelsburgの見解は、4QEn(c)を出発点として用いるという点でMilikに従っている。ただし、Milikがそれを初期のエノク選集の証拠と考えるのに対し、Nickelsburgはそれを、遺訓構造によって統一された新しいエノク・テクストの成長におけるひとつの段階の証拠と考える。彼によれば、「寝ずの番人の書」がエノクの遺訓の核であり、それに他の付加的な材料がくっついたのだという。

Nickelsburgによる『エノク書』の編纂過程は次のようである。前3世紀の第一段階(プロト遺訓期)はもともと、6-36章と81:1-3だけだった。このプロト遺訓は81:5-82:3と91-94, 104-105のような「遺訓的材料」も含んでいたかもしれない。これに1-5があとから付け加わった。

前2世紀の第二段階(遺訓期)には、1-36 + 81:1-82:4 + 91 + 92-105の一部などが結びついた。次に85-90が付け加えられ、さらに92-105が完全になった。前1世紀の中盤にはノアの誕生に関する106-107が最後の部分につけられた。

第三段階(『エノク書』のアラム語アーキタイプ期)にはエチオピア語訳『エノク書』の原型が完成した。1-36のあとには「たとえの書」が挿入され、最後に108が結部に付加された。

論文著者はこうしたNickelsburgの主張はあまりに仮説的であると考える。4QEn(c)に重きを置いているが、この断片は彼の主張のすべてを支持していない。彼の再構成の多くは「物語のロジック(narrative logic)」に基づいている。また彼はこの著作が形式において遺訓的であることを前もって決めてしまっているが、ここでの「遺訓的な」というのはかなりルースな意味でしかない。そして最も問題ある主張は、『エノク書』の「オリジナルの」核が一貫した全体を持っており、それがのちに損なわれていったというものである。これは、論文著者によれば、プロテスタントの聖書学からの悪い影響であるという。J.J.Collinsが主張するように、一貫性という現代のわれわれの概念を『エノク書』に
当てはめるべきではない。Milikと同様に、Nickelsburgも、クムランのエノク資料の選集を『エノク書』のエチオピア語訳と結ぶ単一の発展がある(それゆえにギリシア語訳の証拠能力は低い)という思い込みを持っている。

Nickelsburgは「寝ずの番人の書」におけるエルサレムの中心性や聖性を低く評価している。論文著者によれば、この彼の考え方――エノクは神殿のないエルサレムを好むという考え方――は、同書における天的な神殿への言及はすべて地上の神殿や犠牲の否定を反映しているという問題ある憶測に基づいているという。確かに、「夢幻の書」や「エノク書簡」のような前2世紀の文書には、神殿の祭司から自らを切り離そうとするところが見受けられるが、前3世紀の文書である「寝ずの番人の書」には祭司的な含みがある。「寝ずの番人の書」は祭司制との近い関わりを持つ書記のサークルから生じたものだといえる。

さらにNickelsburgは、「寝ずの番人の書」にはトーラーの権威に対するはっきりとした見解が欠けていることから、この著者らにとってシナイ契約やトーラーは中心的な重要性を持たなかったと結論付けている。冒頭での申命記33章への暗示も、モーセの言葉をエノクに帰すことで、モーセの重要性を下げる試みだと見なしている。しかし論文著者は、これらのエノク文書の最初期の読者である『ヨベル書』の著者は明らかにエノクとモーセの啓示を同時に権威あるものとしている。またNickelsburgが『エノク書』でのトーラーや神殿の軽視をパウロやイエスに、そして初期キリスト教徒につなげて考えていることについては、慎重でなければならない。

Milikの研究が大きく受け入れられてはいないものの、触媒となってさまざまな研究を引き起こしたように、論文著者は、Nickelsburgのコメンタリーも同様の効果を生むことを期待している。このコメンタリーはさまざまな必要性を強調している。たとえば、新しい折衷的な校訂版、ギリシア語訳のさらなる精査、捕囚後のユダヤ教の預言的また知恵的な流れとの関係性の解明、そしてキリスト教の受容史の探求などである。


  • John J. Collins, "Review of Nickelsburg, 1 Enoch 1: A Commentary on the Book of 1 Enoch, Chapters 1-36; 81-108 (Minneapolis: Fortress, 2001)," Dead Sea Discoveries 9 (2002): 265-68.

この巻では『エノク書』を構成する諸文書のうち、「たとえの書」と「天文の書」以外の文書が扱われている。正典外文書に対してこのような詳細なコメンタリーが出版されることはめずらしい。本文のテクストに関して、Nickelsburgは基本的にアラム語とギリシア語から折衷的なテクストを作り、英訳を作成しているが、それはアラム語とギリシア語がある場合、またギリシア語がエチオピア語訳よりも優れている場合である。この英訳は、M.A. KnibbやE. Isaacらのように単一の写本にのみ依拠したものよりも優れているといえる。Nickelsburgの英訳はこれからのスタンダードになるだろう。

文学作品としての『エノク書』の扱いについてが、本書が最も議論を呼ぶ点である。Nickelsburgによると、エチオピア語訳に照らした4QEn(c)の読みから分かるのは、『エノク書』の基本的な内容と文学的な形成は、「エノクの遺訓(Enochic testament)」として構成された文書群に由来しているという。Nickelsburgが考える仮説的な「遺訓」は、「寝ずの番人の書」、『エノク書』81:1-82:4、「夢幻の書」、「エノク書簡」から成っており、初期には「夢幻の書」と「エノク書簡」を欠いたものもあったとする。つまり、「巨人の書」はこの「遺訓」には入らない。

こうした説明は、すべてNickelsburgの想像である。『エノク書』1-36章にはわずかにモーセの祝福の暗示という遺訓的な部分があるが、ジャンルを確立するには至らないほどの量である。「書簡」や91章などは遺訓と見なすことができる。Nickelsburgは黙示的な特徴についてはあまり語らない。

Nickelsburgは、『エノク書』のユダヤ教史における重要性のひとつは、モーセのトーラーの中心的な権威を反映していないことである。その点では、4QInstructionに比すべきである。『エノク書』には前編に亘ってトーラーが暗示的に反映しているのだ、という説明も可能だが、はっきりと触れていない点が重要である。そもそもモーセではなくエノクを主人公にしていることがすでに特徴的である。「寝ずの番人の書」と、イスラエルの歴史を扱うマカベア期の黙示文学(「動物の黙示録」や「週の黙示録」)とは区別されるべきである。

エノク文学の社会状況について、Nickelsburgは、とりわけ堕天使が登場する6-11章からヘレニズム文化への反感を読み取っている。また成立した場所として、12-16章の記述からガリラヤ北部を想定しているが、これは議論の余地がある。

受容史については、『第三エノク書』、時系列の歴史家、アウグスティヌス、エチオピア教会などを詳しく取り上げている。近代の研究史は3期に分けている。第一に、R.H. Charlesが活躍した19世紀、第二に、死海文書の発見以降、そして第三に、1976年にJ.T. Milikがアラム語断片を出版して以降である。

まとめると、このコメンタリーの最大の貢献は、『エノク書』がモーセのトーラーを中心としたヘレニズム期におけるユダヤ教のかたちへの証言であると認めたことであり、一方で最大の問題は、テクストの文学史に関する極めて推測的な仮説を提示したことである。

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