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2019年1月17日木曜日

ミュンヘン写本から見る翻訳者としてのルフィヌス Prinzivalli, "A Fresh Look at Rufinus as a Translator"

  • Emanuela Prinzivalli, "A Fresh Look at Rufinus as a Translator," in Origeniana Undecima: Origen and Origenisum in the History of Western Thought: Papers of the 11th International Origen Congress, Aarhus University, 26-31 August 2013, ed. Anders-Christian Jacobsen (Bibliotheca Ephemeridum Theologicarum Lovaniensium 279; Leuven: Peeters, 2016), 247-75.

オリゲネスの『詩篇説教』のギリシア語原典を含むミュンヘン写本(Codex Monacensis Graecus 314)の発見はさまざまな意義を持つが、そのひとつがルフィヌスの翻訳の方法論を分析できるようになったことである。というのも、詩篇36篇から38篇についてのオリゲネスの説教は、これまでルフィヌスのラテン語訳しか残っていないと思われていたが、ミュンヘン写本の発見によって、両者を比較することができるようになったからである。

ヒエロニュムスの場合、『エレミヤ書説教』の原典と翻訳を比較することができた。しかし、ルフィヌスはオリゲネスの著作のラテン語訳を最も多くしたにもかかわらず、これまでそうした検証はほとんどできなかった(カテーナの他は、『フィロカリア』にある『ヨシュア記説教』の第20篇や『レビ記説教』の第5編だけ可能だった)。Antonio Grapponeはオリゲネスの説教断片を保存するカテーナを分析してルフィヌスの翻訳の方法論を分析した。しかしGrapponeは、カテーナに伝わるオリゲネスのギリシア語テクストを過信するあまり、さまざまな表現がルフィヌスによるオリゲネスのテクストの敷衍や修正なのではないかという誤った考えに導かれてしまった。しかし、ミュンヘン写本の発見によって、我々はルフィヌスを正確に評価することができるのである。

ヒエロニュムス『書簡33』によると、オリゲネスは詩篇36について5篇の説教をしたが、ミュンヘン写本は4つだけを保存している。これはミュンヘン写本がいくつかのアンソロジーのアンソロジーだからである。さらに詩篇36の内容はそもそもいくつかの部分に分かれたようなものであり、また第4篇の終わり部分はちょうどよく終末論的な内容なので切りがよかった。

ラテン文学はリウィウス・アンドロニコスによるホメロスの翻訳に始まる。つまり、最初からラテン文学は先行するギリシア文学の達成に多くを負っていたわけである。しかし、キリスト教ラテン文学はこの古典ラテン文学とは大いに異なったところから始まった。ミヌキウス・フェリクスやテルトゥリアヌスらは独自性を持ちつつ、キリスト者たちがギリシア語で書いてきたことをよく知っていたのである。とはいえ、ギリシア語を解さない者らのために作成されたキリスト教ギリシア作家のラテン語訳は、多くの場合新約聖書や使徒教父文学などに限られていた。3世紀になって西方が文化的に凋落すると、ローマの貴族はギリシア語を忘れてしまった。

4世紀になると、ラテン世界は修道制についてギリシア文化を手本とした(アタナシオス『アントニオス伝』など)。エジプトの初期修道制においてオリゲネスの思想はきわめて大きな影響力を持っていた。ヒエロニュムスやルフィヌスは、こうした修道生活を送ることを選んだラテン語話者だったのである。ゆえに、ヒエロニュムスがオリゲネスを翻訳しはじめたことは自然な流れであった。さらに、論敵アンブロシウスがオリゲネスから「剽窃」したことを白日の下に曝すという消極的な理由もあった。しかし、オリゲネス主義論争が勃発すると、ヒエロニュムスはオリゲネスを聖書解釈者としては称賛するが、思想家としてはけなすという二重の扱いをするようになった。

オリゲネス主義論争の勃発を受けて、ルフィヌスは著作・翻訳活動を開始した。バシレイオスやパンフィロスの著作を翻訳したあと、オリゲネス『諸原理について』の翻訳を開始した。彼の翻訳は大部分は忠実だった。ルフィヌスは、オリゲネスの思想の強力な教義的・人間学的な基礎を消し去ることなく、西方世界にキリスト教的霊性の偉大な師を伝えようとしたのである。これに対し、ヒエロニュムスはルフィヌスによって隠されてしまったオリゲネスの教義上の誤謬を指摘するために、独自に同書を翻訳した。

ルフィヌスによる『諸原理について』の翻訳は、オリゲネス研究と共にオリゲネスの翻訳者としてのルフィヌス研究に影響を与えた。しかし、その結果、長い間研究者たちの関心はこの文書のみに偏ってしまった。オリゲネスの説教(とその翻訳)の研究は端緒についたばかりである。

『詩篇説教』の序文において、ルフィヌスは常ならぬことに、オリゲネスの名に言及しない。その理由は定かでないが、おそらくこれらの作品の霊的メッセージから受け取り手の注意が逸れることのないようにするためだったと思われる。

『詩篇説教』における詩篇36の第一説教のギリシア語原典とラテン語訳を比較すると、次のようなことが分かる。聖書引用においては、ラテン語訳はオリゲネスのテクストに必ずしも従わない。ただし、これはルフィヌスのせいかどうか分からない。なぜなら、写本が書かれるときに聖書引用は速記者によって一旦省略され、あとで仕上げのときに書かれるのが常だったからである。オリゲネスがゼーロオーとパラゼーロオーという2つの動詞にこだわって解説しているときに、ルフィヌスは両者をaemulariと同じ動詞に訳しているが、もともとの説明を成立させようと努力してもいる。

オリゲネスがキリスト者とユダヤ人を申32:21に沿って説明しているときに、ルフィヌスは個人的な考えを加えている。ヒエロニュムスとの論争もあって、ルフィヌスはユダヤ人に対して辛辣な態度を取っていたからである。またオリゲネスが女性的なタームを用いて神のことを説明している箇所をルフィヌスは削除している。彼にとっては適切でないと思われるアナロジーだったのだろう。しかし、それ以外はきわめて忠実に訳している。さらに、オリゲネスが比較的生々しく女性の魅力の誘惑について書いているのに対し、ルフィヌスは謹厳実直にそうしたエロティックな部分に修正を施している。

説教の時系列を示唆する記述として、名前を挙げないまま30年前の皇帝に言及している箇所がある。エウセビオスによると、オリゲネスは60歳のとき、すなわちフィリップス・アラブス帝の時代になってようやく説教の速記を許したそうなので、そこから逆算して皇帝を同定することができるかもしれない。Pierre Nautinはこのエウセビオスの記述に信を置かないが、Vittorio Periは信頼している。論文著者は、両者の意見は共に修正されるべきと考えた。すなわち、エウセビオスの記述は信頼できるものとすべきだが、「30年」を文字通り取るべきでないという。というのも、「30年」とは「とても長い時間」、しかし「覚えていられるほどの時間」を指しているにすぎないからである。ルフィヌスはこの言い回しを変え、どの皇帝を指しているかを明確にしようとした。

教義的な問題については、オリゲネスがパウロとキリストをリンクさせようとする記述をルフィヌスは削除し、イエスに注目しようとする。またオリゲネスが書いていなくても、三位一体に関する議論や「三位一体」という語そのものをルフィヌスは翻訳の中に挿入している。オリゲネスがやや三位一体を垂直的に捉えるのに対し、ルフィヌスは聖霊を重視質、それを水平的に変更するのである。これもまたアレイオス主義に関する論争を受けての操作であろう。『諸原理について』のみならず、諸説教もこの論争の影響を受けていたというわけである。

ルフィヌスの翻訳はあるところでは完全に忠実だったが、他のところでは多かれ少なかれ重大な教義上の変更を導入し、オリゲネスの用いる例を自分の行きたい方向に持っていった。

いずれにせよ、これでオリゲネス説教に関するルフィヌスの翻訳とヒエロニュムスの翻訳を比較することもできるようになった。ルフィヌスはヒエロニュムスによる『エゼキエル書説教』の削除を批判するが、Erich Klostermannによれば、『エレミヤ書説教』の原典とラテン語訳を比較すると、確実にそうした大きな変更があったと断言することは難しいという。Pierre Nautinは、三位一体に関する変更はミニマルであるが、文意を明確にしたり文飾を加えたりするための付加は一貫していると述べている。論文著者によれば、とりわけ、パトスについてと悪口について、ヒエロニュムスは変更を加えている。

結論としては、ヒエロニュムスとルフィヌスは同じ翻訳原理を共有しているといえる。両者は三位一体の議論をより正統的な方向に変更し、スタイルを変化させ、修辞的な強調を加えた。そのくせ、そうした変更が原典を変えてしまうとは考えず、むしろ自分たちの翻訳は字義的であると見なしていた。現時点では、それでもヒエロニュムスの翻訳の方がより原典に近いといえるが、その差は質的なものというより量的なものである。

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