ページ

2019年1月11日金曜日

オリゲネス『エレミヤ書説教』のヒエロニュムスによるラテン語訳 Fürst, "Die lateinische Übersetzung des Hieronymus"

  • Alfons Fürst and Horacio E. Lona (ed.), Die Homilien zum Buch Jeremia (Origenes Werke mit deutscher Übersetzung 11; Berlin: De Gruyter, 2018), 25-28.

Die Homilien Zum Buch Jeremia
Die Homilien Zum Buch Jeremia
posted with amazlet at 19.01.10

De Gruyter
売り上げランキング: 121,276

ヒエロニュムスは380/81年にコンスタンティノポリスにおいて、オリゲネスの『エレミヤ書説教』と『エゼキエル書説教』をそれぞれ14篇ずつ翻訳した。カッシオドルスやフラバヌス・マウルスら後代の者たちは、このラテン語訳でこれらの説教を読んだ。

ヒエロニュムスの翻訳は、次の2つの基礎から重要性を持っている。第一に、『エゼキエル書説教』の翻訳序文で述べているように、『エゼキエル書説教』でも『エレミヤ書説教』でも、ヒエロニュムスの翻訳はオリゲネスの言葉やスタイルを維持した。オリゲネスは修辞を凝らすのではなくシンプルな言葉を用いた。

著者によれば、『エレミヤ書説教』のギリシア語原典とラテン語訳を比較すると、とても忠実かつ信頼できるという。ただし、ヒエロニュムスは教義的な理由からオリゲネスのテクストを補完しようともした。ある箇所(ギリシア語9.1、ラテン語訳6.1)では、聖霊の神性を強調するために、三位一体を示す文章を付加している。そうすることで、ヒエロニュムスはオリゲネスの三位一体論を自分の時代に適合させようとしたのである。しかし、そうしたテクストの改変はわずかであるため、ヒエロニュムスの翻訳はギリシア語テクストのラテン語での信頼できる再現を仲介しているといえる。

確かにヒエロニュムスはときに自由な翻訳をしている。一方では、原典に忠実であるにもかかわらずエレガントなラテン語に訳したり、他方では、彼にとっては文字通りの翻訳が奇妙に響くことも明らかである。オリゲネスの非文学的なスタイルからヒエロニュムスが逸脱していることは、ラテン語読者を助けるために彼がしたパラフレーズ、短縮、挿入などから説明される。語学に秀で、スタイル感覚を自在に使いこなすヒエロニュムスは、誇張表現を強めたり、比喩や芸術的な付加を行う傾向があった。それゆえに、確かにヒエロニュムスのラテン語訳テクストはギリシア語テクストの確立のために重要ではあるが、その使用は慎重にしなければならない。ヒエロニュムスは、言語的な問題をそのまま再現するよりは、エレガントなラテン語でそれを取り繕おうとするので、テクスト問題の解決にはあまり役に立たない。

第二に、『イザヤ書説教』、『エレミヤ書説教』、『エゼキエル書説教』のラテン語訳はたくさんの写本で伝えられているが、ルフィヌスの旧約説教よりもテクストの状態が悪い。なぜなら、そもそも翻訳の底本が損なわれていたと考えられるからである。その中でも『エレミヤ書説教』はまだましな方である。これはひとえに、フラバヌス・マウルスが自身のエレミヤ書注解の中でヒエロニュムスのラテン語訳の半分を引用しているからである。このような比較的よい状態の伝承に基づくと、ラテン語訳『エレミヤ書説教』はギリシア語テクストの確立に資するといえる。

ただし、問題はそのラテン語訳テクストが校訂版を欠いていることである。Wilhelm Adolf Baehrensは、オリゲネスの説教のラテン語訳を出版する際に、『エレミヤ書注解』については、ラテン語訳のみが存在し、ギリシア語原典が失われた2つの説教だけを編集した。他の12篇はギリシア語テクストの影に隠れたまま、校訂されるのを待っている。今あるのは、Domenico Vallarsiの手によるものである(PL 25, 585-692)。しっかりした校訂版が提出されない限り、『エレミヤ書説教』のギリシア語テクストのための価値は制限されてしまう。

0 件のコメント:

コメントを投稿