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2016年10月8日土曜日

オリゲネスの聖書学 De Lange, Origen and the Jews #5

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 49-61.
本章では、オリゲネスの聖書学がいかにユダヤ人教師たちに負っているかが扱われている。『ミシュナー』「アボット」で述べられているように、ラビ・ユダヤ教では、聖書の霊感はただ成文律法のみならず、口伝律法にも及んでいると考えられている。ラビたちは七十人訳を疑い、ラビ的伝統の信頼性を主張した。またヘブライ語聖書の正典は一貫したものであるように見せていた。

オリゲネスは、ユダヤ人教師について、聖書の霊感の伝達と正典とを議論した初期の教父である。彼がヘブライ語聖書に関心を持ったのは、ユダヤ人との討論をするときに役立つからであるという護教的理由がしばしば語られることがあるが、これだけでは十分ではない。オリゲネスのヘブライ語聖書への関心は、自身の聖書解釈をより正確にし、研究をより豊かにするためでもあったのである。

ただし、だからといって、ヒエロニュムスが「ヘブライ的真理」と述べたような絶対的な信頼を、オリゲネスもまたヘブライ語聖書に付したというわけではない。オリゲネスはアレクサンドリアの伝統に則って、七十人訳を霊感を受けたテクストだと考えるほどに、親七十人訳的態度を維持していた。

聖書のラビ的伝統を知るために、オリゲネスはアクィラ訳に大きく依拠していた。アクィラ訳は、カイロ・ゲニザでも写本が見つかっていることからも分かるとおり、ラビ的な翻訳であり、6世紀までシナゴーグで読まれていた形跡がある。他の伝承のソースは、ユダヤ人教師から学んだユダヤ説話や、『聖書古代誌』のようなギリシア語のミドラッシュ(現存するのはラテン語訳)だったと考えられる。

聖書の正典は、ラビ的伝統においては24書であるとされているが、ヨセフスは22書という数え方をしている(『アピオーン』1.8)。オリゲネスはさらに、ヘブライ文字が22文字であることを根拠に、正典も22書であると主張している(『フィロカリア』3)。この22書のリストは、エウセビオスとポワティエのヒラリウスによって伝えられている。それを精査すると、ギリシア語テクストである『第二エズラ記』と『エレミヤの手紙』を組み込んでいること以外は、マソラー・テクストの伝統に忠実なリストになっている。ただし、書物の順序は、途中まではラビ的伝統に従っているものの、最終的にはギリシア語聖書と同様になっている。

ルツ記を士師記に、哀歌をエレミヤ書に組み込むのは、当時のユダヤ的な伝統であったろう。またオリゲネスは、詩篇が五部に分かれているというユダヤ的な見解を正しく伝えている。ラビたちが『トビト記』、『ユディト記』、『ソロモンの知恵』、そして『第一エノク書』を正典に組み込んでいないことも知っていた。

聖書、特に五書の著者性に関して、オリゲネスはしばしばそれをモーセに、ときに神に帰している。これはユダヤ的伝統に忠実だが、エズラが執筆を継承したという修正を加えている。申命記におけるモーセの死を、いったいどのようにモーセが記したのかという矛盾を解消するためである。この説明は、クレメンスやエイレナイオスも知っていた。ヨシュア記はヨシュアによって書かれ、箴言、コヘレト書、雅歌はソロモンによって書かれ、そして詩篇の大部分はダビデによって書かれたと、オリゲネスは報告している。

オリゲネスは、シナゴーグでの聖書朗読を実際に体験したことがあるようだが、当時のシナゴーグにおいてギリシア語訳が一緒に朗読されていたかどうかについては述べてはいないが、アクィラ訳がユダヤ人たちの間で高い評価を得ていたことを伝えている。実際、アクィラ訳は6世紀まで活用されており、カイロ・ゲニザにも写本が残っている。『ミシュナー』では聖書の翻訳の使用は禁じられているが、後代のラビたちはそれを許していたようである。カイサリアを訪れたラビ・レヴィ・バル・ヘイタは、シェマアがギリシア語で朗誦されているのを聞いたことがあると言う。

『ヘクサプラ』の第二欄にあるヘブライ語テクストのギリシア文字による音訳は、当時のシナゴーグでの音訳テクストの使用を推測させるものである。オリゲネスがヘブライ語をほとんど解さなかったことを鑑みるに、ヘブライ語テクストやその音訳を含む『ヘクサプラ』は、彼のユダヤ人助手の手によるものかもしれない。音訳は、母音記号のなかった当時のヘブライ語の発音を保存している。そうした補助がありながら、オリゲネス自身がヘブライ語テクストに基づいて聖書解釈をすることはまれで、ヘブライ語テクストを知りたいときにはアクィラ訳を参照するにとどまっていた。

オリゲネスは神の名前のテトラグラムの仕組みを知っていた。彼は、あるテクストにおいてはテトラグラムが古ヘブライ文字で書かれていることをも知っていた。こうしたことに関する知識は、もしかしたらフィロンを通じて得たものかもしれないが、実際にユダヤ人たちがテトラグラムを「主」と読み替えているのを見たとも考えられる。

当時のラビ的な教育がどのようなものだったのかについて、オリゲネスはほとんど記してないが、彼自身がそうした教育を多少受けたことがあるものと思われる。事実、若年者たちに創世記の冒頭、雅歌、エゼキエル書の冒頭と終わりとを教えてはいけないという、当時の伝統を彼は知っていた。

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