2016年2月2日火曜日

ポワティエのヒラリウスとユダヤ教口伝律法 Kamesar, "Hilary of Poitiers, Judeo-Christianity, and the Origins of the LXX"

  • Adam Kamesar, "Hilary of Poitiers, Judeo-Christianity, and the Origins of the LXX: A Translation of Tractatus Super Psalmos 2.2-3 with Introduction and Commentary," Vigiliae Christianae 59 (2005), pp. 264-85.
ポワティエのヒラリウス(c. 310-c. 367)は、『詩篇注解』の中で、七十人訳の卓越性を証明するために、七十人の翻訳者がモーセにさかのぼる口伝律法の後継者であるという議論を展開している。彼の議論の根拠は、マタイ23:1-3:
イエスは群衆と弟子たちに話した。「律法学者たちやパリサイ派の人々はモーセの座についている。だから、彼らが言うことはすべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは見倣ってはならない」。
という箇所である。ヒラリウスによれば、口伝律法という聖書外伝承の知識を持つことによって、七十人はヘブライ語聖書原典にある不明瞭さを解釈することのできるようになり、他のどの翻訳よりも正確に訳すことができたというのである。Kamesarは、これと似たロジックは『タンフマ』や『プシクタ・ラバティ』におけるラビ・ユダ・バル・シャロームの議論にも見られるというが、ラビにとっての口伝律法が『ミシュナー』に結実するものであるのに対し、ヒラリウスはその口伝律法はすでに七十人訳者に託されたのだと考えている。

このヒラリウスの議論の出所についてはさまざまに論じられてきたが、Kamesarは、ヒラリウスの独自性をまず認めたうえで、偽クレメンス文学、エピファニオス、そしてオリゲネスの議論に見られる類似の箇所との比較を試みている。

偽クレメンス文学においては、モーセが出エジプト記や民数記に出てくる70人の長老に口伝律法を伝えたために、その伝承によって彼らが聖書をより正確に解釈できるようにしたという記述が出てくる。つまり、口伝律法と七十人の長老に関する記述はあるのだが、それをギリシア語訳聖書である七十人訳に繋げてはいないのである。

これに対しエピファニオスは、モーセによる70人の長老の任命は、七十人訳の翻訳者の任命の予型であると言明している。ただし、この両者に直接的な繋がりがあるとは述べていない。ヒラリウスが述べているように、口伝律法がモーセから70人の長老に受け継がれ、さらにそれが七十人訳の翻訳者にまで受け継がれていったと考えることと、エピファニオスが述べているように、70人の長老の任命が翻訳者の任命の予型であると考えることとは、似ているようで実は異なっている。

論文著者は、ヒラリウスの口伝律法理解には、オリゲネスに代表されるアレクサンドリア的な粉飾があるという。というのも、ヒラリウスは七十人訳に受け継がれた「霊的」性質とアクィラ訳の「字義通りの」性質とを対置しているからである。ただし、ここでの七十人訳の「霊的」性質にもヒラリウス独特のものがある。オリゲネスやアウグスティヌスなどが七十人訳の霊性の理由を翻訳者の預言的な霊感に求めるのに対し、ヒラリウスは口伝律法の霊的性質に求めるからである。この口伝律法の霊性とは、ただ翻訳者に霊感が降りてきたというだけのものではなく、モーセから70人の長老たちへ、長老たちから翻訳者たちへ、そして翻訳者たちからイエス時代のパリサイ派にまで連綿と続く霊性である。

オリゲネスは、ルカ11:52で示されているように、パリサイ派は聖書理解の「鍵」、すなわち霊的解釈を持っているにもかかわらず、それを使うことを怠ったと述べている。これはヒラリウスによる、パリサイ派に口伝律法が受け継がれているという指摘を想起させる。ゆえに、ヒラリウスに影響した伝承をオリゲネスも知っていたといえるのである。パリサイ派に聖書の霊的かつ口伝の解釈を帰するというのは、パリサイ派を字義的な解釈者と見なすという教父の伝統的な理解とは異なっている。エウセビオスなどは、霊的あるいは寓意的な解釈をアレクサンドリアのユダヤ教やエッセネ派に帰するのに対し、ヒラリウスは聖書の霊的な理解をパリサイ派の伝統と理解しているのである。

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