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2014年11月6日木曜日

第四マカバイ記におけるノモス Redditt, "The Concept of Nomos in Fourth Maccabees"

  • Paul L. Redditt, "The Concept of Nomos in Fourth Maccabees," The Catholic Biblical Quarterly 45 (1983): 249-70.
第四マカバイ記の主題は、敬虔な理性が情念を支配できるかを議論することである。しかし、Urs Breitensteinによれば、実際中心的に語られているのは、理性が敬虔さに基づいていること、そしてその本質は律法遵守にあることであるという。言い換えれば、四マカにおいては、律法、すなわちノモスの概念こそが中心的な議題なのである。ノモスという語は四マカにおいて40回出てくるが、そのうち5箇所は明らかに五書に出典があるものであり、その他も五書を指していると考えられる。

このノモスの機能として、Redditは5つの特徴を挙げている。
  1. 教育すること(teaching):古代ギリシアにおいて、ノモスという語は子供のしつけや一般的な訓練のことを意味していた。ここから、ユダヤ文化の継承をノモスという語が示すようにもなった。
  2. 理性的な生を可能にすること(enabling rational living):人間が創造されたときに、ヌースにノモスが与えられたことで、理性的な行動が可能になった。
  3. 奨励すること(encouraging):ノモスは人間に敬虔な振る舞いをするように奨励する。
  4. 非難すること/しないこと(condemning/not condemning):ノモスは、脅迫に屈して律法遵守を破った者を非難することもあれば、そうした脅迫に対抗できるように励ますこともある。
  5. 当為命令と禁止命令(commanding/prohibiting):ノモスは人間にさまざまな命令を下す。人間はそれは従うべきだが、生命の危険など、さまざまな理由で例外的に従わなくてもよい場合もある。
以上より、Redditは、ノモスは単に律法というだけではなく、理性的な生を教えるものでもあると結論付ける。

Breitensteinは、四マカに表れる哲学について次のように述べている。第一に、哲学が殉教物語にきちんと統合されていない。第二に、一貫したギリシア哲学の原理を欠いており、直接の引用もない。第三に、ノモスを中心とした宗教的粉飾が施されている。これを受けてRedditは、自然、理性、知性、知恵、哲学、そして真理といったギリシア哲学の用語が四マカにおいてどのように使われているかを検証した。
  1. 自然(ピュシス):ストア派以前はピュシスとノモスとはまったく別物であったが、ストア派は自然に従って生きることが恣意性を克服する人間的なノモスだと考えた。さらにユダヤ教はそのノモスを人ではなく神に帰した。いうなれば、四マカにとってピュシスとは、神によって創造された世界秩序としてのノモスと理解することができるため、ストア派の言う「人間はピュシスに即した生を送るべき」という考え方は、人間はノモスに従って生きるべきと言い換えることができる。こうしてノモス=トーラー=ピュシス=神という等式が完成する。
  2. 理性(ロギスモス):ロギスモスが十全に機能するためには宗教への帰依が必要とされる。つまり、ロギスモスは独立したものではなく、宗教(エウセベイア)との関係の中で働く。ユダヤ教においてはノモスもエウセベイアも共にロギスモスとの関係の中にあるので、ノモスとエウセベイアとは同一視される。これに対して、ギリシア哲学では、ノモスとは人間の慣習でしかないので、決して宗教とは結びつかない。
  3. 知性(ヌース):ほぼロギスモスと同じ意味で使われている。創造のときに人間のヌースにはノモスが与えられたと説明されている。
  4. 知恵(ソフィア):ソフィアの範疇として、ストア派の枢要徳が挙げられている。一方で、旧約的な知恵文学の影響から、ソフィアとノモスとは同一視される(箴1:7「神への畏れは知恵の始まり」)。
  5. 哲学(フィロソフィア):ソフィアと同様に、フィロソフィアもノモスと同一視される。四マカで王はユダヤ教をばかげたフィロソフィアと述べるが、エレアザルは、自分たちのフィロソフィアをピュシスに即した極めて合理的なものと反論している。
  6. 真理(アレテイア):ヘレニズム的なアレテイアを持ち出す王に対し、エレアザルはユダヤ的なエメットは神を喜ばせる生の秩序であると述べている。
以上から、四マカにおいてノモスは人間の慣習とはまったく違うものと考えられていることが分かる。また、ノモスは自然的であると共に理性的なものである。ゆえに、ノモスに従って生きることは単なる慣習ではなく、知恵や哲学のしるしに他ならない。四マカはノモスの説明のために、ギリシア哲学的な用語を用いてはいるが、その中身はすぐれてユダヤ的である。

四マカにおける殉教物語に出てくる殉教者への賞賛は、ギリシア文学のジャンルであるエピタフ(墓碑銘、追悼詩文)と共通する特徴を持っている。エピタフの4つの特徴としては、第一に、ペルシアの王が暴君のプロトタイプとして出てくること、第二に、暴君に屈するよりも自分自身の法に従う者が出てくること、第三に、殉教者の戦いが宗教的な敬虔さの戦いとして描かれること、そして第四に、生の一時性と死後の永遠の報いを強調することがある。まさにこれを踏襲している四マカは、修辞法であるディアトリベーとエピタフとの混合物であるといえる。また殉教物語は著者の主張の証拠として機能している。

四マカはユダヤ人の共同体がギリシア世界の中でどのように生きるべきかを語っている。特に食餌規定の遵守は何度も言及しているが、割礼、安息日、神殿あるいはシナゴーグでの礼拝などについては欠落している。著者はこうした特徴を、四マカが書かれたと考えられるアンティオキアのユダヤ人共同体の特徴と重ねて説明している。

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