2016年11月17日木曜日

東方の聖書解釈史 Simonetti, Biblical Interpretation in the Early Church #3

  • Manlio Simonetti, Biblical Interpretation in the Early Church: An Historical Introduction to Patristic Exegesis (trans. John A. Hughes; Edinburgh: T&T Clark,1994 [1981]), pp. 53-85.
Biblical Interpretation in the Early Church: An Historical Introduction to Patristic ExegesisBiblical Interpretation in the Early Church: An Historical Introduction to Patristic Exegesis
Manlio Simonetti Anders Bergquist

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4世紀から5世紀にかけて、説教と注解の二大ジャンルによる聖書解釈の伝統が花開いた。これには当時の神学論争における、アレイオス主義とマニ教の脅威への対抗意識も働いている。オリゲネスに代表される寓意的解釈の影響は絶大だったが、その方法論の恣意性は、たとえば新プラトン主義哲学者であるポルフュリオスらによって、批判の対象にもなっていた。また、歴史的、科学的、考古学的な聖書の読み、すなわち世俗的な関心に基づく聖書の読み方も、寓意的解釈よりは字義的解釈を引き寄せることになった。

カイサリアのエウセビオスは、オリゲネスの崇拝者ではあったが、その文献学的な側面に注目した。事実、彼はオリゲネスの『テトラプラ』を筆写している。エウセビオスの聖書解釈の特徴は、歴史的・考古学的な関心を持っていたことである。ただし、そうした関心は予型論的な解釈と結びついていた。確かにエウセビオスは歴史的な人物としての父祖たちに大いに関心があったが、それはキリストの予型としての彼への関心であった。ヒエロニュムスは、エウセビオスがイザヤ書を歴史的に解釈すると言いながら、実際にはオリゲネス的な寓意的解釈をしている点を批判している。エウセビオスによれば、預言者たちはときに字義的に、またときに寓意的にそのメッセージを伝えてくるのである。この点で、聖書全体と通して霊的な解釈が可能だと考えていたオリゲネスとは異なる。エウセビオスは特に詩篇を重視した。というのも、詩篇は旧約聖書全体の要約であると考えたからである。

アンティオキア学派の黎明。シリア・パレスティナを中心とするアンティオキア学派は、七十人訳の校訂版を作成したルキアノスによって始められたと考えられているが、彼の聖書解釈は知られていない。アンティオキア学派の聖書解釈の特徴は、伝統的な予型論的解釈を伴った、字義的解釈である。ここには、ユスティノスやエイレナイオスらのアジア学派とオリゲネスのアレクサンドリア学派との両方からの影響が見られるが、それだけでなく、エウセビオスからの影響も見られる。すなわち、寓意的解釈の再考と、文献学・歴史学への目配りである。

4世紀のシリア・パレスティナ地方で、上のような影響下で字義的解釈を押し進めた者たちとしては、カイサリアのアカキオスエメサのエウセビオス、そしてラオディケイアのアポリナリスがいる。彼らは字義的解釈を中心に、倫理的に応用された予型論的解釈をも用いた。言い換えれば、彼らは寓意的解釈を否定することはなかったが、そのすべてを受け入れることもなかったのである。寓意的解釈は一見魅力的だが、テクストの問題点を解決することからの逃げでもあったからである。他にも、ニシビスのエフライムは、基本的に字義的解釈にこだわり、ごくたまにだけキリスト論的解釈をしている。これは、学術的、歴史的、そして科学的な当時の傾向をよく表している。

カッパドキア教父もまた字義的解釈を好んだ。カッパドキアはもともと、アステリオスなどアレイオス主義者が多くいた土地柄だった。バシレイオスはオリゲネスの称揚者だったが、現存する著作の中では主として字義的解釈を好み、奨励的・倫理的な説教をした。また彼は動物学など当時の科学的な知識をも活用した。ニュッサのグレゴリオスは、初期には寓意的解釈を批判したが、次第に神秘主義的な性格を強め、寓意的解釈に傾いた。グレゴリオスによれば、雅歌を始めとする聖書の語りは謎めいており、また寓話になっており、より高次の解釈を必要としている。『モーセの生涯』においては、グレゴリオスは歴史的な解釈と寓意的解釈を同じテクストに対して行なっている。後者の部分には、フィロンからの強い影響が見られる。

アンティオキア学派は、学問的な組織であったアレクサンドリア学派と比べて、組織性は低い。アンティオキア学派とアレクサンドリア学派とは、しばしばそれぞれが字義的解釈と寓意的解釈を方法論としていたという点で比較されることがあるが、近年では再考が問われている。なぜなら、アンティオキア学派の字義的解釈はそう単純なものではないからである。彼らの「テオーリア」という解釈、すなわち字義的解釈を前提とした上で、その上部にあるより高次の意味を探る解釈は特筆に値する。さらに、アンティオキア学派と一口に言っても、さまざまな注解者がいるので、一枚岩とは言えないのである。

アンティオキア学派の創始者とされるディオドロスは、寓意的解釈とテオーリアとを区別している。彼の著作は字義的解釈に終始しており、それぞれが一貫するように書かれている。

モプスエスティアのテオドロスは、旧約聖書の出来事を新約聖書の予型として解釈したこともあったが、基本的には字義的解釈を旨とした。たとえば詩篇については、はっきりと新約聖書でキリストに応用されている例のみを予型論的に解釈した。雅歌については、キリストと教会の比喩ではなく、単純な愛の歌として解釈している。またテオドロスは誰よりも旧約と新約との差を強調した。そして彼の歴史観である、異教、ユダヤ教、キリスト教の三部構造を、多神教、一神教、三位一体に当てはめた。テオドロスによれば、聖書解釈とは過度に脱線することなく、聖書の難しいところを説明することであった。テオドロスは、象徴的にもなり得る比喩的言語を否定することなく、しかし何よりも字義的解釈に拘ったのである。

ヨアンネス・クリュソストモスはアンティオキア学派でも随一の雄弁家であった。彼は字義的解釈を旨としつつも、その意図としては、聴衆を教化し、倫理的にさせようとしていた。

テオドレトスは、ディオドロスやテオドロスの厳格な字義的解釈に、伝統的なキリスト論的解釈を加えた。すなわち、アンティオキア学派特有の字義的解釈を緩め、アレクサンドリア学派の聖書解釈と和解したのである。そのためには、しばしばオリゲネスに依拠することさえあった。ただし、彼の注解は読者の便宜を図るために、極めて短いものであった。その代わり、ほとんどすべての律法と歴史書に関する注解を残している。

4世紀のアレクサンドリア学派であるアタナシオスは旧約聖書にキリスト論的な解釈を施した。盲目のディデュモスは忠実なオリゲネスの追随者ではあったが、オリゲネスの持っていた文献学的な関心はあまりなかった。ディデュモスは、字義的(歴史的)な意味はあくまで神秘的かつ寓意的な解釈へ至るための手段として考えていた。ディデュモスの『創世記注解』は、ギリシア教父によって書かれた、全体が残っている創世記注解としては最古のものであるが、ここからオリゲネスの解釈を再構成できる。またハガルとサラの物語の解釈については、フィロンのものに依拠している。

アレクサンドリアのキュリロスは、一見するとアレクサンドリア学派的な寓意的解釈を旨としたように見えるが、実際には寓意的解釈と字義的解釈の中和を図ったと見なし得る。彼の注解は、アレクサンドリア学派の誰よりも字義的であり、過度な寓意的解釈に走らず、節度を持ったものであった。キュリロスによれば、モーセはキリストの予型ではあるが、それはモーセが出てくるすべての場面でそうなのではない。すなわち、旧約聖書を常にキリスト論的に読むことはできないということである。こうした寓意的解釈への節度は、同時代におけるオリゲネスの異端論争が影響していると考えられる。一方で、アレクサンドリア学派による寓意的解釈の全体性は、キュリロスの注解では失われ、コンパクトなものになっている。

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