2015年10月13日火曜日

エピクロス派とストア派 Long, "Epicureans and Stoics"

  • A.A. Long, "Epicureans and Stoics," in Classical Mediterranean Spirituality, ed. A.H. Armstrong (London: SCM Press, 1986), pp. 135-53.
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本論文の中で著者はエピクロス派とストア派とを対比的に説明している。ストア派にとっての神は最高神のゼウスであるが、自然の全体に内在し、人間の倫理的な幸福に関心を持っている。一方で、エピクロス派の神は人間のかたちをしているが、この世界の者ではなく、人間界の出来事といかなる因果関係も持っていない。両者共に、ギリシアの伝統的な神理解を用いて自身の哲学を説明しようとしている。

前341年にアテーナイで生まれたエピクロスは、永続する幸福を獲得することを目標とした。彼の教えは哲学と宗教の両方にまたがり、すべての原理を空間の中にあるアトムに帰した。彼のシステムの全体は、ものごとの正しい理解を通して、いかにして精神的な健康と幸福とを獲得するかということであった。彼の作った共同体では、当時としては異例なことに、女性もまた男性と同等に扱われていた。

さまざまな人間界の欲望に対し、エピクロスは人間が必要な基本的な幸福は実はシンプルなものだと説明した。彼によれば、人間の欲望には、「自然な」ものと「無駄な」ものとがあり、「自然な」ものの中には「必要な」ものと「ただ自然な」ものとがあるという。さらに、「必要な」もののうちには、「幸福のために必要な」もの、「肉体の自由のために必要な」もの、そして「人生そのもののために必要な」ものとがあるという。

エピクロス派の神学としては、否定的なものと肯定的なものとがある。否定的な神学において説かれているのは、世界は神々によって作られたものではなく、人間のふるまいを含めたすべての出来事は神々を喜ばせたり悲しませたりはしないということである。世界は神々によって作られたにしてはあまりに不完全だというのが彼の考え方であった。一方で肯定的な神学において説かれているのは、神の存在は疑いなく、その像を正しく受け取れば人間にとってよいことになるということである。ただし、神の像は原子的なイメージによって作られているので、それを人間が誤って受け取ってしまうと、ときに人間を傷つけるということもあり得る。エピクロスは神々が人間の姿をしていると考えたが、それは人々の間で共通のイメージを用いて自身の神学を説明するためであった。エピクロスの神々は客観的な存在として生きているのではなく、人間の生の理想化されたものであるともいえる。

エピクロスは、神々が世界と人間の運命をコントロールとしていることを否定することによって、宗教信仰の中心にあると考えられていたことを取り除いたのである。

ストア派は、キティウムのゼノン、クレアンテス、クリュシッポスらから始まり、キケロー、セネカ、プルタルコス、エピクテトス、そしてマルクス・アウレリウスらの思想にも大きく影響を及ぼしている。ストア派は、多くの点に関して、プラトン、アリストテレス、キリスト教と歩調を合わせ、エピクロス派を否定することを述べている。たとえば、第一に、神的な事柄は世界の存在や我々自身の基礎であり、第二に、世界は秩序とシステムを示すことで、神的な原理の存在を証ししており、第三に、人間は神の似姿をしている、といったストア派的な言説のうち、第一と第二はエピクロス派と真っ向から対立する。一方で、プラトンやアリストテレスと大きく異なる点として、人間の魂や最高神ゼウスを肉体的(corporeal)なものとして捉えていることと、世界が創造され、のちに破壊されることとを説いている。またストア派は理性の概念を広げ、欲望やよい感情(エウパテイアイ)などをも含めつつ、情念や精神的な動揺などといった魂の無秩序な状態に対比させている。

ストア派は伝統的な宗教的アイデアや言説を基にして自分たちの神概念を形成した。ゼウスをはじめとする神々をそのまま受け継ぎつつ、それらに世界の特定の特徴を付与したのである。ストア派はこのようにして一貫したシステムを築き上げ、第一に、神はすべてのものの設計者であり作成者であること、第二に、人間は神々の枝分かれでありパートナーであること、そして第三に、人間の機能は神々と調和して生きることを強調した。

第一と第二の点に関して、ゼウスはすべての存在を創造し、自然法(natural law)を活動させる者として、その力の代理者である雷を持っている。この自然法によって出来事の不可避的な秩序が保たれ、さらには倫理的な秩序も保たれる。この世で起きるすべての出来事は正しいという理解から、出来事の秩序と倫理的な秩序とは同一視されている。ストア派によれば、人間の精神活動のすべては、神の一部でありパートナーなのだと理解される。

第三の点に関して、神は自然のすべてを構築したが、人間の理性(ロゴス)のみは神の属性でもあり、それによって人間は神と特別に関係していると考えられる。正しい理性には、内面的な側面と外面的な側面とがある。内面的な側面は、いわゆるストア派的な倫理の原理を作っている。外面的な側面は実際の出来事の中で自らを明らかにする。しかもそれはもはや神の領域でもあるので、人間の倫理的な価値観では測れない。ストア派的な神学とは、倫理的な掟と、世界は神々が我々に提供した最良のものであるという主張とを和解させる試みであるといえる。

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