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2015年1月27日火曜日

「義の教師」運動とは何か Wise, "The Origins and History of the Teacher's Movement"

  • Michael O. Wise, "The Origins and History of the Teacher's Movement," in The Oxford Handbook of the Dead Sea Scrolls, ed. Timothy H. Lim and John J. Collins (Oxford: Oxford University Press, 2010), pp. 92-122.
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死海文書は、前161-135年のヨナタンあるいはシモン・マカバイの治世に、クムランの遺跡に住んでいたエッセネ派によって書かれたものだというのが、一般的な理解である。この共同体は、当時の大祭司に反対する「義の教師」に率いられ、エルサレムを自発的に離れた者たちから成り立っていたという。しかし著者は、そもそもクムラン遺跡は文書と関係あるのか、遺跡とその住民の本質はどのようなものだったのかという問いを立てる。そして、結論として、この一般的な理解は相当程度修正されるべきとしている。

遺跡と文書とを関係付ける証拠としては、遺跡で出土した壺と、大プリニウスによる記述とが挙げられるが、著者によれば、いずれも十分な証拠たり得ない。そしてさまざまな反証から、文書は遺跡とは無関係であり、どこか別のところで書かれたものであると結論付けている。

古代の文書から年代特定をするためには、古文書学的分析や文学的分析などが用いられるが、クムラン学においてFrank Moore Crossが提示した古文書学的な原理は多くの問題を含んでいるために現在では有効ではない。文学的分析においては、『ダマスコ文書』1:3-11における「バビロン捕囚から390年」という記述が重視されてきたが、これを字義通りに取ることはできない。また『ハバクク書注解』(1QpHab 8:8-13)における「悪の祭司」をヨナタン・マカバイと解釈すると、一般的な理解と同じような時代設定になるが、これも説得的ではない。

そこで著者は、むしろ義の教師自身が書いたと想定される『ホダヨット』ないし『感謝の詩篇』を中心に分析をするべきだと述べる。著者は『ホダヨット』は実際の歴史的状況を記録していると考える。著者によると、義の教師の敵対者であるドルシェ・ハラコットは実はパリサイ派を指している(「嘘の人」という描写もある)。両者は律法と神殿祭儀に関する問題で衝突していた。これは『律法儀礼遵守論』(4QMMT)との比較からも導き出される。すなわち、義の教師は、パリサイ派による宗教改革に反対した人物だと考えられるが、そうした解釈を裏付ける歴史的事実としては、アレクサンドロス・ヤンナイオスとその妻アレクサンドラの治世(前70年代)が挙げられる。

アレクサンドロスは当初は祭司グループと共にパリサイ派との対立路線を取っていたが、妻アレクサンドラに王位を譲るに際し、政治的理由からパリサイ派と協力するように助言した。アレクサンドラは息子のヨハネ・ヒルカノス二世を大祭司に任じ、パリサイ派的な法解釈を採用していった。「悪の祭司」はこのヨハネ・ヒルカノス二世のことを指していると考えられる。そして、権力を得たパリサイ派は、敵対していた義の教師を含む祭司グループをエルサレムから追放したのだった。つまり、一般的な理解のように、義の教師は自発的に砂漠へ逃げていった者ではなかった。さらに、逃げていった先はクムランではなかった。というのも、追放された者は国外にいかなければならなかったが、クムランは当時のハスモン王朝の区分では国内だからである。そこで、一般的な理解ではクムランを指しているとされている『ダマスコ文書』におけるダマスコは、字義通りの意味と解される。しかしその逃げていった先で義の教師は仲間たちの離反にあい、死ぬことになる。残された者たちはこの一連の出来事を再解釈し、ローマの侵攻を天恵と捉えた。そして自らの受難をモーセとイスラエルの民が砂漠を彷徨ったときの様子になぞらえたが、共同体としては一世紀初頭に消滅した。

以上より、著者は「義の教師」運動は前一世紀のことであり、一般的な理解は間違っていると主張している。

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