2015年1月26日月曜日

エッセネ派とクムラン共同体の起源 Garcia Martinez, "The Origins of the Essene Movement and of the Qumran Sect"

  • Florentino Garcia Martinez, "The Origins of the Essene Movement and of the Qumran Sect," in The People of the Dead Sea Scrolls: Their Writings, Beliefs and Practice, ed. Florentino Garcia Martinez and Julio Trebolle Barrera (Leiden: Brill, 1995), pp. 77-96.
The People of the Dead Sea Scrolls: Their Writings, Beliefs and PracticesThe People of the Dead Sea Scrolls: Their Writings, Beliefs and Practices
F. Garcia Martinez Julio Trebolle Barrera Florentino Garcia Martinez J. Trebolle Barrera Wilfred G. E. Watson

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著者はこの論文の中で、著者独自の新仮説として、エッセネ派運動をパレスチナのヘレニズム化およびマカバイ戦争よりも以前に起きた、黙示的な伝統であると主張している。これは既存の二つの仮説、すなわち、1)クムラン共同体とエッセネ派運動を同一視し、エッセネ派運動の起源をマカバイ王朝時代のハシディームに求める説と、2)エッセネ派とクムラン共同体とを区別し、エッセネ派をバビロニア起源であるとする説とに対する異論である。

著者によれば、1)の仮説は、第一に、エッセネ派運動をクムランのような周辺的な運動に矮小化しており、第二に、エッセネ派運動に対してもクムラン共同体に対しても、マカバイ戦争が何らかの重要な意味を持つことを証明する文書は存在しないことから、説得的ではない。一方で、2)の仮説は、『ダマスコ文書』に見られる「シェヴィ・イスラエル」を「イスラエルへの帰還者たち」と訳すことを基にして、J. Murphy-O'Connerによって主張されているが、著者はこの表現はむしろ「イスラエルの改悛者たち」と訳すべきなので、説得的ではないと述べている。

これらのよく知られる仮説に対し、著者は四つの方法論的予想を述べる。第一に、クムラン共同体の起源はヨハネ・ヒルカノスが大祭司だった時代(前134-前104年)より前のことであるという。「悪の祭司」は集合的な名称で、何人もの大祭司たちがこの名で呼ばれたが、ヨハネ・ヒルカノスは最後の「悪の祭司」に当たる。第二に、クムラン共同体とそのもとであるエッセネ派運動との間には時間的な隔たりがある。第三に、クムランで見つかった多くの非聖書文書は、クムラン共同体のみならず、それに起因するイデオロギー的運動にも関係している。クムランで見つかった文書は必ずしもクムラン共同体そのものによる文書とは限らないが、少なくとも自分たちのイデオロギーに抵触しない内容であることは間違いない。第四に、クムランの文書はいくつかの理念が混合した文書であるため、ある文書に書かれていることはさまざまな時空を異にする要素から成り立っている場合がある。

以上のような方法論的予想をもとに、著者はエッセネ派とクムラン共同体との起源を峻別する。エッセネ派運動の起源に関する情報は、エッセネ派に言及した古典的テキストや、クムランに保存されたエッセネ派的文書から得られるが、クムラン共同体の起源に関する情報は、クムランが出来上がる以前の時代の文書から得られる。

エッセネ派運動の起源については、まずヨセフスの記述が挙げられる。ヨセフスによると、エッセネ派運動は典型的なパレスチナ的現象であり、マカバイ王朝より以前から存在するものだったという。これは『夢の書』あるいは『動物の黙示録』などからも分かることである。さらに、フィロンの著作などから、エッセネ派運動は、パレスチナの黙示的伝統に属するものでもあるともいえる。エッセネ派運動は天使の世界との交わりという特徴もある。そして『神殿巻物』(11QTemple)からは、終末的な神殿の概念も見られる。これらはみな前3世紀の黙示的伝統に連なるものであり、明らかにマカバイ戦争より以前の観念である。

一方でクムラン共同体の起源については、義の教師によるハラハー解釈と終末への期待が特徴として挙げられる。終末論は『ヨベル書』や『夢の書』における黙示的伝統と軌を一にするものである。ハラハー解釈については、『神殿巻物』(11QTemple、クムラン共同体の設立前の成立)と『律法儀礼遵守論』(4QMMT、クムラン共同体設立後の成立)の中で、祭日、犠牲、暦、神殿、清め、十分の一税、結婚などが語られている。中でも特に暦法についての議論は、クムラン共同体がエッセネ派運動から離脱する大きな要因になっていると考えられる。エッセネ派が他のユダヤ教諸派と同じ暦法を採用したのに対し、クムラン共同体はフィロンが描くテラペウタイと同じ暦法を採用したのである。暦法の違いは終末がいつ訪れるかの計算にも影響を及ぼすものだった。さらに、義の教師による「正しい」律法解釈(「嘘の人」とは異なる解釈)は、義の教師の支持者と、残りのエッセネ派たちとの分離を招いた。

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