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2019年11月10日日曜日

フィロンにおける自由学芸 Mendelson, "Encyclical Studies in Philo"

  • Alan Mendelson, Secular Education in Philo of Alexandria (Cincinnati: Hebrew Union College Press, 1982), xvii-xxv, 1-24.

Secular Education in Philo of Alexandria
Alan Mendelson
Hebrew Union College Pr
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導入

ヨセフスが伝えているソロイのクレアルコスによるアリストテレスとユダヤ人との邂逅譚からも分かるように、ギリシア文化はユダヤ人にも浸透していた。しかしそれはパレスチナにおいてよりも、アレクサンドリアにおいて顕著であった。中でもフィロンはギリシア語訳聖書を用いて悪びれず、むしろヘブライ語テクストと同等の価値を認めた。さらにフィロンは、トーラーの問題を解決するためにギリシア哲学から本質的な点を借用した。すなわち、フィロンのギリシア哲学への依拠は単に便利さの問題ではなく信念の問題だったのである。フィロンやその読者にとって、ギリシア哲学は聖書を新しい意味で満たすものであった。これは非常に深いユダヤ教とヘレニズムのフュージョンといえる。

一方で、フィロンはユダヤ教徒としての意識も強く持っており、哲学はあくまで聖書の侍女であり、聖書こそがフィロンの思想を規定していた。それゆえに、フィロンはプラトンからの強い影響を受けていたにもかかわらず、ギリシア文化の理想としての同性愛には強く反対していた。なぜなら同性愛はレビ記などで否定されているからである。フィロンはギリシア文化とユダヤ教との間に線を引いていたのである。

こうした観点から、本書はフィロンがギリシアの世俗の教育、いわゆる自由学芸についてどのように適切に用い、また拒絶したのかを明らかにするものである。当時のユダヤ人がギリシア的教育に対して取った態度には、パレスチナで見られたように完全に拒否する者もいれば、フィロンの甥のティベリウス・ユリウス・アレクサンデルのように無批判に完全に受け入れた者もいた。ギリシア的教育に対するフィロンの態度を知るには、『予備教育』を検証する必要がある。

自由学芸の問題は研究に値する。というのも、2つの特異点、すなわち宗教的な点と哲学的な点が認められるからである。第一に、宗教的な特異点としては、伝統的な宗教と世俗の教育が出くわした際に起こる聖性と冒涜との緊張である。その例としては、ラビ・ユダヤ教とギリシア的知恵(ホフマー・ヤヴァニット)との邂逅がある。バビロニアでもパレスチナでも、ラビたちはギリシア的知恵を異端に近いものと見なしていた。霊的な価値を持たない世俗的な体系を聖書の聖なる教えとどのように折衷させるか、という問題はラビとフィロンに共通のものであった。

第二に、哲学的な特異点としては、キオスのアリストンが述べるように、自由学芸や科学はそれ自体を学ぶのではなく、哲学というより高次の知識の予備的な教育として学ぶ必要があるという考え方があった。自由学芸を意味する「エンキュクリオス・パイデイア」という用語自体はシケリアのディオドロスやハリカルナッソスのディオニュシオスより前には見られないが、同様の見解はプラトンやクセノフォンからセネカにまで見られる。哲学と自由学芸の関係は、ペーネロペーとその侍女の関係に対比されたが、フィロンはこれをサラとハガルの関係で説明した。ただし、フィロンはさらにそこから一歩進み、自由学芸にも固有の霊的価値があると理解している点で異なっている。フィロンの教育論に関する先行研究は、Colson, Marcus, Alexandreらのものしかない。


第1章:フィロンにおける自由学芸

「パイデイア」(教育)という言葉は、教育の過程を指す場合と、教育の結果を指す場合がある。フィロンも両方の意味でこの語を用いている。またパイデイアの欠如は、訓練されていない、規律がない、文明的でない、などといった状態であると見なされた。

「エンキュクリオス・パイデイア」は、フィロンにおいて、自由学芸および科学の教育のこと指している。最近までエンキュクリオス・パイデイアは「エンキュクリオス」という語から、「すべての人が享受可能な、毎日するような通常の教育」の意味だと捉えられてきた(H.I. Marrou)。しかしM. AlexantreやL.M. de Rijkらは、「エンキュクリオス」がもともと音楽用語であること、また音楽や文化一般が人間に教え込むべき調和というところからより広い教育的な意味を持つことを指摘している。フィロンにおいても、エンキュクリオス・パイデイアは普通の日常のトレーニングではなく、調和における教育を意味している。フィロンは同義語として、メセー・パイデイア、メサイ・エピステーマイ、メサイ・テクナイ、あるいはメサイ・テクナイといった表現を用いている。

自由学芸には七科があることが知られている。三科としては、文法学、修辞学、弁証学があり、四科としては、幾何学、算術、音楽、天文学がある。重要なことに、三科と四科の区別はしていないものの、フィロンはこれらすべての科目に言及している。そして、これら以外の科目には言及していないこともまた重要な点である。自由学芸に言及したテクストには、『予備教育』74-77、『ケルビム』105、『農耕』18、『夢』1.205、『出エジプト記問答』2.103、『予備教育』11, 15-18、『創世記問答』3.21、『モーセ』1.23の8つがある。これらのテクストによると、自由学芸一般の特徴として、国際的な由来を持つこと、また(知的な世界ではなく)感覚的な世界に属することが挙げられる。

文法学。『夢』によると、文法学は初等教育としての読み書きと、より高次の教育としての詩人についての知識や古代の歴史の学習に分かれるという。前者はグランマティスティケー、後者はグランマティケーと呼ばれる。「文学(Letters)」と呼ぶに相応しい後者の文脈では、文学は否定的な例を挙げることで避けるべき振る舞いを示すという役割がある。フィロンにとって肯定的な、模倣するべき徳の源泉は常に聖書であった。こうした「上向きの」学びは、最終的には哲学に行き着くものであった。

修辞学。修辞学を学ぶ者が涵養すべきは、思考(heuresin)、表現(phrasin)、整理(taxin)、取り扱い(oikonomian)、記憶(mnemen)、伝達(hypokrisin)である。修辞学は、言語的な能力が決定的になるような場面において重要になってくる。フィロン自身は修辞学を、アレクサンドリアのソフィストたちとの戦いにおいて自己を防衛するために必要不可欠な武器だと見なしていた。ただし、それだけではなく、修辞学の最終的なゴールは最後まで確実に正しく理解されるようなスピーチをすることでもである。そのために、フィロンはストア派のロゴス論、すなわち心の中にある思考からの動きを促進するロゴス・エンディアテトスと、弁論の中に映されたロゴスであるロゴス・プロフォリコスを取り入れている。ただし、知識の体系というよりもマスターするべき技術である修辞学は直接哲学へと繋がっているわけではない。修辞学自体はソフィストの持っている技術である。

弁証学。フィロンが自由学芸について触れている8つのテクストの中で、弁証学については『予備教育』18でしか言及していない。フィロンは弁証学と修辞学は双子の姉妹であると位置づける一方で、両者を区別してもいる。キティウムのゼノンによれば、修辞学が分かりやすい物語によって述べられたことを上手に説く科学であるのに対し、弁証学は問答によってある主題を正確に論じるものであるという。つまり、修辞学の強調点は形式的な技術ではなく語りの巧みさであるが、弁証学は構造を持つ原理である。弁証学は論理学とも比較できるが、哲学の一分野として抽象的な問題を扱う論理学と異なり、弁証学はより具体的な現実生活を扱う実用的なものである。

幾何学。これは七科のうち、8つのテクストのすべてで言及されている唯一の科目である。幾何学の学習には2つの利点がある。第一に、実用的な点としては、計算を必要とするような事柄において完全な正確性をもたらすことができる。第二に、倫理的な点としては、幾何学が平等と均整を学ぶことを愛する魂を涵養することができる。とりわけ平等は、原理そのものの主要な特徴であると同時に、その学びから得られる望ましい教訓でもある。ただし、幾何学も文法学同様に、突き詰めるとある点から哲学に変わってしまう。

算術。8つのテクストのうち4つで言及されている。算術はものごとにおける完全な正確さを得るためのものである。また数秘術的な伝承を学ぶためのものでもある。「数秘術(arithmetic)」と「数学(arithmology)」の区別はフィロン自身はまったくしておらず、同じものと考えている。フィロンは小数、集合、累乗の定理、比例などを知っていた。フィロンの数に関する説明の多くは、あまり専門的でない算術と伝承の組み合わせといっていい。そしてそれをある種の倫理的価値観でまとめている。

音楽。8つのテクストのうち6つで言及されている。最も詳しい説明をしている『予備教育』76からは、フィロンが音楽の専門用語に通じており、また音楽の学びの範囲が理論に向けられていることが分かる。一方で、理論でない実用的な記述もある。快楽をもたらす芸術である音楽を忌避すべきという見解も持っていた。

天文学。古代において、上のさまざまな科目の掉尾を飾るのが天文学である。科学の女王ともいえるが、フィロンは『予備教育』11でしか触れていない。天文学が科学としての統一性を欠いているからと説明するとする研究者と、天文学が現世的な科学を超越しているからと説明する研究者がいるが、本書の著者はこれらの説明をいずれも退ける。

まず統一性を欠くからと説明するColsonは、天文学は幾何学の一部門と見なすべきというクインティリアヌスの主張を紹介するが、フィロンとクインティリアヌスは目標が異なる。Drummondはフィロンが天文学を過小評価したと主張するが、これはフィロンの記述を表層的にしか読んでいないための結論である。フィロンは現在で言うところの天文学と占星術を曖昧ながらも区別しているので、その天文学に対する態度は複雑である。星の崇拝のようなやり方には攻撃を加えるが、純粋に研究された天文学そのものを過小評価することはない。

現世的な科学を超越しているという説明はBréhierに見られる。彼によれば、天文学は他の諸学芸と共に置かれるべきではなく、知恵への最初の一歩であるという。それどころか、星の神聖視するような記述すらある(「星は神聖な魂である」『巨人』8)。Wolfsonはこの表現はギリシアの大衆的な宗教からの単純な言葉の借用なので、実際に神聖視していたわけではないと説明する。Goodenoughは、フィロンが否定していたのは低級な神々を崇拝することであって、その存在そのものではないと主張することで、フィロンの一身強敵見解と『巨人』での発言を両立させた。しかし、フィロンにとって星を含む天はそもそも現世的な感覚世界の問題である(『予備教育』50)。

天文学astronomiaと占星術astrologiaの用語について、Marrouは、両方ともわれわれが科学と呼ぶものと迷信と呼ぶもの両方を指し得ると説明する。しかし、古代人が天文学において彼らが科学的と考える部分と迷信的と考える部分を区別していたかは分からない。フィロンはastrologiaという語はまったく用いていないがastronomiaは頻繁に使っている。似た用語として、meteorologia、meteorologikos、chakdaikosなどは肯定的にも否定的にも用いられていることから、その使用は体系的でない。フィロンは今では占星術の一種と呼ぶべき兆しやお告げも重要視している。星座の理解も天文学を学ぶ者が重視すべきことと考えている。ただし、星座そのものを崇拝することは禁止する。天文学のリミットを知らない者は星の決定論や唯物論や汎神論のような異端的な考え方に至ってしまうので、注意が必要である。

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