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2019年2月9日土曜日

説教者オリゲネスについて Heine, "Origen as Preacher in Caesarea"

  • Ronald E. Heine, Origen: Scholarship in the Service of the Church (Christian Theology in Context; Oxford: Oxford University Press, 2010), 171-87.


おそらく239年から244年にかけて、オリゲネスは、カイサリア教会での3年サイクルの説教者に任じられた。月曜日から土曜日の朝に行われる正餐を含まない祈りでは、旧約聖書の一節が朗読されたあとにその箇所に関する説教が行われる。これには信者と洗礼志願者の両方が出席できる。また日曜日、水曜日と金曜日の夕方に行われる正餐を含む祈りでは、福音書が朗読されたあとにその箇所に関する説教が行われる。これには信者しか出席することができない。このようにして3年かけて聖書を通読するのだった。

P. Nautinによると、オリゲネスの説教は詩篇、知恵文学、預言書、そして創世記から士師記までの歴史書という順で行われた。詩篇の中でも、第36篇についての説教が最も古いものと考えられている。

カイサリアにおいてオリゲネスは強力なラビ共同体に直面していた。彼は『詩篇説教』(36.1.1)において、申32:21「彼らは紙ではないもので私の妬みを引き起こし、空しいもので私を怒らせた。私も民ではないもので彼らを妬ませ、愚かな国民で彼らを怒らせる」における「民ではないもの」をキリスト者、「愚かな国民」をユダヤ人と解釈しているが、これはおそらくカイサリアにおけるユダヤ人との何らかのコンタクトを反映したものであろう。

オリゲネスはカイサリアに来て、アレクサンドリアにいたときよりもユダヤ人とキリスト者の関係性について神学的に考えるようになった。アレクサンドリアで彼が実際に相対していたのは、結局のところ彼が「ヘブライ人」と呼ぶキリスト者だったが、カイサリアでは大規模なユダヤ共同体と渡り合っていたのである。ここから、ユダヤ人とキリスト者の問題が扱われているパウロ書簡に多大な関心を寄せるようにもなった。オリゲネスだけではなく、彼の教会メンバーも日常的にユダヤ人と関わりを持っていたので、旧約聖書には直接は書かれていないユダヤ法を遵守する者すらいた。オリゲネスはユダヤ人とは異なるキリスト教的な聖書の読解を説いたが、かといってユダヤ人の聖書が完全に無意味なものになったとは考えなかった。字義通りの意味ではすでに無効でも、予言や予型の機能を話すことはできるからである。オリゲネスはユダヤ人と論争したが、彼らのことも彼らの聖書のことも否定することはなかった。説教においては、イスラエルをユダヤ人、ユダをキリスト者と見なしたり(エレ3章)、ヤイロの娘をシナゴーグ、長血の女を異邦人教会と見なしたり(ルカ8章)した。

オリゲネスの旧約聖書の説教は洗礼志願者のものではなかったが、彼らに配慮した内容になっている。たとえば彼は、さまざまな説教の中で、出エジプトになぞらえて洗礼志願者たちの進歩に言及している。出エジプトにおいて祭司がヨルダンで海を割ったように、教会における洗礼は祭司によって執り行われた。またギリシア語訳聖書においてヨシュアはイエスと音写されているのは、ヨシュアもイエスも人々を率いたからであった。

オリゲネスの聴衆には、聖書のコピーを所有するほど裕福だったり、それにアクセスすることができるほど高度な知識を盛っていたりする者たちがいた。オリゲネスはそうした者たちに、帰宅してから自分で聖書を読み返すように勧めている。彼らの中には祭司の家系の者たちもいた。一方で、占星術や予言のような迷信を信じていた者たち、サーカス、競馬、武術の試合などの興行にうつつを抜かす者たち(カイサリアには劇場などがたくさんあった)、ろくに教会に来ず、来ても噂話に興じる者たち、家のことばかりに気をとられて無駄話をする女性たち、説教の途中で帰る者たちなどもいた。オリゲネスはこうした者たちに我慢できずに、説教の中で不満を表明している。ここから、カイサリアにおけるオリゲネスが説教者として常に幸福な状態にあったとは言えないだろう。

オリゲネスが説教を通じて行おうとしていたのは、テクストの意味の解説というよりは、教会を教化することであった。そしてその教化の中身は、浄化、教化、完全化といった段階を経ていく魂の遍歴であった。そのためにオリゲネスは比喩や文彩を用いて、束縛の家としてのエジプトから自由の家としてのユダとエルサレムへの魂の遍歴を語った。そして雅歌における恋人たちのイメージから、花婿としてのキリストとの結婚こそを魂の遍歴の終着点だと説明している。こうした高度な教化を目指していたとすれば、実際の聴衆の体たらくはオリゲネスに強いストレスを与えたことだったろう。いずれにせよ、オリゲネスにとってキリスト教的生活とは静的な完成ではなく、もっと動的な前進を意味していた。

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