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2015年9月25日金曜日

ヨセフス『アピオーンへの反論』における歴史学 Cohen, "History and Historiography in the Against Apion of Josephus"

  • Shaye J.D. Cohen, "History and Historiography in the Against Apion of Josephus," in Essays in Jewish Historiography, ed. Ada Rapoport-Albert (History and Theory, Studies in the Philosophy of History 27: Wesleyan University, 1988), pp. 1-11.
Essays in Jewish Historiography (South Florida Studies in the History of Judaism)Essays in Jewish Historiography (South Florida Studies in the History of Judaism)
Ada Rapoport-Albert

Univ of South Florida 1991-01-01
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ヨセフスはさまざまな著作を残しているが、論文著者によると、『アピオーンへの反論』(以下『反論』)こそに、ヨセフスの歴史家としての方法論が明らかにされているのだという。『反論』は護教的著作であると共に、歴史記述や歴史批判に関するエッセイにもなっている。

『反論』は、ギリシアの歴史家たちがユダヤ人は新しい民族であると言ってユダヤ人の歴史に言及しないことに対し、むしろギリシア人たちこそがオリエントの諸民族に比べれば新しい民族であり、またその歴史も信頼できないものだという反論で始まる。著者は、『反論』とプルタルコス『ヘロドトスの悪意について』との類似性を指摘する。両者は共に、歴史家がバイアスや詐欺によって記録を意図的に歪めることを批判しているのである。

ただし、ヨセフスがこうした歴史批判の姿勢を学んだのは、彼のユダヤ的な背景からではなく、ギリシアの歴史家たちだった。聖書の歴史家たちは互いを批判せず、また決して表に出てこようとしなかったが、ギリシアの歴史家たちは自分の正体を明かし、他の歴史家の誤りを批判した。すなわち、ヨセフスはギリシアの歴史学の信頼性・統一性を批判しているのだが、その歴史批判のアイデアとテクニックは、当のギリシアの歴史家たちから学んだものだったのだ。

ヨセフスにとって、ギリシア人とは分裂と不安定の象徴であり、一方でユダヤ人は調和と安定を示している。ヨセフスはこの対比を、歴史正典、そして共同体という観点から説明している。すなわち、歴史に関して言えば、ユダヤ人はモーセによって定められた不変の律法を守っているが、ギリシア人は自分たちの法を軽視している。正典に関して言えば、ユダヤ人の歴史的文書は数として少ないが、ギリシア人たちは数多の歴史書を書いており、しかも互いに矛盾している。そして共同体に関して言えば、ユダヤ人はどんな場所でも同じように律法を守るという調和を美徳としているが、ギリシア人はばらばらである。

このうち、特に正典と共同体の議論においては、ギリシアにおける「普遍的な合意(universal consensus)」という考え方が重要である。ギリシアには、より多くの人々に受け入れられていることの方が、より少ない人々に受け入れられていることよりも良いという考え方があった。すなわち、正典の議論では、ユダヤ教の文書が数は少なくとも一致しているがゆえに正しく、また共同体の議論では、ユダヤ人が皆一致してモーセの律法を守っているがゆえに正しいということになるのである。

ただし、この合意の考え方を用いるあまり、『反論』においてヨセフスはトーラーが神の啓示であるというポイントを逸している。『古代誌』においてはそうした指摘をしているにも関わらず、ヨセフスは『反論』においてこの議論をしていない。むしろ、聖書が歴史書として正しいのは、神の霊感に満ちているからだという説明を正しいと思っていない節さえある。いうなれば、説明の順序が逆になっている。『反論』においてヨセフスは、トーラーが完全であるがゆえに、トーラーは神的であると説明しているのに対し、『古代誌』(およびラビ文学とキリスト教文学)では、トーラーは神的であるがゆえに完全であると説明している。

ヨセフスは「合意」の考え方を推し進める。ギリシアの歴史家が議論百出しつつも、トライ・アンド・エラーで少しずつ議論を洗練させていくことをよしとしたのに対し、ヨセフスは歴史的真実は人間によって発見されるような類いのものではなく、「客観的」な「事実」なのであるから、意見が一致していることこそが真実の証であると考えた。それゆえに、ユダヤ教の派閥を説明するときも(調和を旨とするユダヤ人になぜ派閥があるかは説明しない)、師からの教えを記憶して改変しないパリサイ派の美徳がユダヤ教の美徳であるとし、創造性の余地のあるサドカイ派を批判する。ただし、モーセの律法から変わることのないユダヤ教という不変性の主張に関しては、オリエントの歴史家たちからの影響も見られる。

ようするに、ヨセフスによるユダヤ教養護とヘレニズム攻撃とは、まったく公平なものではないのである。『反論』には、歴史と歴史記述に対するヨセフスの考え方が最もよく表れている。ヨセフスは、オリエントの歴史家たちのように、ギリシアの歴史記述を批判するが、その歴史批判の精神はギリシアから学んだものである。彼はギリシア的な「合意」の考え方に依拠して議論するが、その使い方は、不変をよしとする非ギリシア的な姿勢に基づいている。「客観的な真実」としての歴史という考え方は聖書に見られるものである。

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