2014年5月15日木曜日

エンキュクリオス・パイデイアとは何か De Rijk, "Enkyklios Paideia: A Study of its Original Meaning"

  • L. M. de Rijk, "Ἐγκύκλιος παιδεία: A Study of its Original Meaning," Vivarium 3 (1965): 24-93.
リベラル・アーツの起源に当たるギリシアのエンキュクリオス・パイデイアという言葉の正確な意味については、さまざまに研究が重ねられてきた。この言葉は、もともとは「(百科事典のように)博学な」という意味ではなかった。研究者たちによれば、アリストテレスの時代には、エンキュクリオス・パイデイアは専門教育前の準備教育のことを指していると考えられており、エンキュクリオスという形容詞の意味は、ordinary, every-dayと取られていた。しかしR. Kuehnertは、ギリシア・ローマ世界でこの語がordinary, every-dayの意味で用いられたことはなく、むしろキュクロス(円形の)という語根の空間的な意味から発して、occuring in a cycleという時間的な意味になり、最終的にregularという一般的な意味に落ち着いたのだと主張した。De Rijkは、エンキュクリオスという言葉の主要な3つの意味を並べた上で、パイデイアと一緒になったときにどれが最も適切かを議論している。

(1)円形の(in a circle, circular, round)
  a. コロスとして
  b. 天体現象として
(2)普通の、毎日の(ordinary, every-day, regular)
(3)ありふれた(banal, vulgar)

このうち、(3)の「ありふれた」は、一例しかないので除外され、また(2)の「普通の、毎日の」も、当時のギリシア人が皆高等教育を受けていたわけではなく、ともするとソフィストの教師が高額な授業料を要求していたことなどから、除外される。すなわち、エンキュクリオス・パイデイアという言葉におけるエンキュクリオスの主要や意味は(1)の「円形の」になるわけだが、De Rijkはこのうち「コロスとして」の方、すなわち音楽的な意味こそがふさわしいと説明している。エンキュクリオス・パイデイアのもともとの意味は、旋律(ἐμμελής)、韻律(ἔμμετρος)、律動(ἔνρυθμος)のある「(コロスのような)音楽的な教育(choric education)」というものだったのだ。これはだいたい前5世紀の頃の話である。

教育における音楽を重視したのは、ピタゴラス派の哲学者たちだった。彼らはホメロスやヘシオドスの詩歌を味読することで、精神の調和に至ろうとしたという。ピタゴラスはさらに、こうした知恵を愛する者たちのことをフィロソフォスと呼び、また知恵を愛することをフィロソフィアという言葉で初めて表した。これを受けて、プラトンは、知者(ソフォス)と知恵を愛する者(フィロソフォス)とを区別した。前者は、特に『パイドロス』においては、神のみを指す言葉としている。プラトンはさらに、『パイドン』の中で、ピタゴラス派の言説として、「哲学(フィロソフィア)とは最高の音楽(ムーシケー)である」と述べている。

プラトンと哲学(フィロソフィア)との関係は、以下のようにまとめられる。まず、プラトンは、基礎となる意味としての「学びを愛する」という意味を知っていたが、それにとどまらず、学問を「文学(literary culture)」と「科学(scientific pursuit)」に分けたときに、彼は哲学を「科学」=数学の意味で用いた。なおかつ、真の哲学とは、ものごとを論理的に考えていく弁証法(dialectic)であるとも述べている。すなわち、プラトンは哲学を「文学」の意味では用いなかった。ここでいう哲学は、のちに四科(幾何学、算術、天文学、音楽)へと分化する。

一方で、プラトンは、科学に対する「文学」のことを音楽(ムーシケー)と呼んだ。すなわち、のちに三科(文法学、論理学、修辞学)と呼ばれるものである。「文学」としてのムーシケーは、初期ピタゴラス派の言うところの音楽理論のことを指す。しかし一方で、プラトンは、心の修養のための学問全般を指して、つまり「科学」と「文学」とを両方含むものとして、ムーシケーという言葉を用いることもあるが、これはプラトン当時には稀な用法だった。

ではプラトン以前はどうだったのか。もともとすべての教育とは、上でも述べたように、音楽によって心の教育をすることを基礎としていた。中でも、リズム、ハルモニア、ロゴスによって感情を表現することのできるダンスに重点が置かれていた。なぜなら、こうした規則性および不規則性を感じることができるのは人間だけだからである。それゆえに、音楽的素養のなさは、教養のなさと見なされるようにすらなった。こうした音楽的教育は、前5世紀頃になると、声あるいは精神に関わる部分はムーシケーと呼ばれ、一方で体に関わる部分はギュムナスティケーと呼ばれて分離した。特にムーシケーは、さらに律動論、詩歌論、文体論、文法などいくつかのテクネーに分かれた。ただし、この段階でのムーシケーは、プラトンがそう考えていたように、「文学」としての役割しか持っておらず、「科学」は入っていなかった。

「科学」がムーシケーに併合されたのは、プラトンが死んだあと、偽プラトンによる『エピノミス』における記述からのことだった。これによると、算術に固有の調和や釣合いといった本質は、すべての芸術や科学の紐帯となるものであるという。なぜならば、数字の科学は、文学と共通するような、調和と基準を持っているからである。ただし、プラトンの『ピレボス』によると、数学的な学問が学習者の刺激として有効なのは、真の存在(true being)について学ぶときのことであって、そうでなければ、哲学者にとって数学的な学問は無用であるという。

前1世紀になると、フィロンの教育論が現れる。フィロンは、ムーシケーを単なる音楽の意味でも用いたが、学問全体としてのエンキュクリオス・パイデイアの意味で用いることもあった。しかしその名称はさまざまで、エンキュクリオス・パイデイアの他にも、メレテー、エピステーメー、マセーマタ、セオーリア、パイデウマタなどがある。そしてフィロンは、このエンキュクリオス・パイデイアを、哲学を学ぶための予備教育として明確に位置づけたのだった(『予備教育』79-80)。ここで言う、「哲学に対する準備」という概念を表すために、彼は、「プロパイデウマタ」あるいは「メセ・パイデイア」という言葉を用いた。そしてその説明の中では、〔哲学に対する〕侍女(セラパイニス)という言葉を用い、サラに対するハガルを比喩として用いることが多かった(女主人と侍女の比喩は、ホメロスにおける、ペネロペの求婚者の比喩からヒントを得たものと思われる)。フィロンが音楽的な用語を用いるときは、新ピタゴラス派からの影響が伺われる。こうした新ピタゴラス派の用語を用いることで、フィロンは、エンキュクリオス・パイデイアを、専門科目の準備としての全般的な教育と考えた。その専門科目とは、特に弁論家になるためのものであった。これはクインティリアヌスらにも共有されている考え方である。

2 件のコメント:

  1. 古代ギリシャでは自由民と奴隷に分かれ、奴隷は労働するので一段低い者と見られ、その者たちの技能をアートと呼ぶと習いました。ところが自由民のためのリベラルアーツには低い者たちのアートが入っています。これはどういう分けでしょうか?当時はリベラルアーツが決まってなかったかもしれませんし、ギリシャ語では違うのかもしれませんが。あるいは、リベラルアーツと英語で呼ぶ時代には、自由民も労働をしていたのでアーツで良しとのことでしょうか?

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  2. コメントをありがとうございます。アートの語源であるarsはギリシア語ではテクネーに当たると思いますが、これらは単なるテクニックのみならず芸術など高度な技のことも指すようです。ホラティウスの『詩論』もars poeticaです。ですから、アートが必ずしも奴隷の技のみを指すとは思いません。またリベラルアーツはギリシア語ではエンキュクリオス・パイデイアで、これにはどこにも奴隷の技という意味はありません。

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