2014年1月22日水曜日

書簡とは何か?その2 Gibson and Morrison, "What is a Letter?"

  • Roy K. Gibson and A.D. Morrison, "Introduction: What is a Letter?" in Ancient Letters: Classical and Late Antique Epistolography, ed. Ruth Morello and A.D. Morrison (Oxford: Oxford University Press, 2007), pp. 1-16.
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Ruth Morello

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古代の書簡のアンソロジーのイントロを読みました。著者は、書簡とは何かを考えるにあたり、文学のジャンルを定義づけることの難しさについて述べています。たとえば、「教訓詩」とは、たいていの場合、(1)単独の著者から誰かに向けて書かれたもの、(2)本格的な文学的形式を取っているもの、(3)主題としては、単に奨励的というより、教育的なもの、(4)多くの場合、極めて技巧的であり、かつ詳細なもの、(5)物語の中に組み込まれるかたちで、神話などに主題を取った説明的なシーンがあるもの、(6)叙事詩の韻律であるヘクサメーターが使われているもの、などを挙げることができます。しかし、こうした特徴のリストが明らかにしている特徴とは、実際には、それによってある詩の区分けを「教訓詩」とするような特徴でしかありません。つまり、先にある詩が教訓詩であると決めてかかってから、定義を引き出していることになります。こうした問題は書簡の定義の場合も同様です。著者はここで、Trappによる定義を引合いに出しています:
  1. ある人から別の人(あるいは人々)へと書かれたメッセージ。
  2. 何らかの触ることのできる媒体に書きとめられたもの。
  3. 送り主から受取人へと物理的に送られるもの。
  4. 送り主と受取人の取引を明記するような定型の挨拶文が冒頭と結びにあるもの。
  5. 送り主と受取人とが互いに離れたところにいて、直接会うことができないときのためのもの。
  6. ある程度の長さでまとまっているもの。
これもやはり、(Trapp自身も指摘していたように)定義の堂々巡りになってしまいます。こうした問題を解決するために、著者は書簡と書簡でないものとの境界線に位置するもの、つまり、かつては書簡と考えられていたが、現在ではそうではないと考えられているものについて考察することにしました。その例として挙げているのが、ピンダロス『ピュティア』『イストミア』などのギリシアの書簡詩(Greek verse epistles)と、キケローの『義務について』です。前者のピンダロスを見ていくと、冒頭と結びの挨拶こそないもの、離れた場所にいる送り主と受取人がいることなど、上の定義と一致するようなさまざまな特徴がみられます。しかし、これもやはりピンダロスの書いたものを書簡と決めてかかった上で定義に当てはめたがゆえに、書簡に見えていることは否めません。なぜなら、こうした(書簡の特徴と思われていた)特徴は、実は「祝勝歌(epinician poetry)」の特徴だったからです。

キケロー『義務について』は、息子に宛てて書かれた、哲学的な内容を持った書簡のかたちを取っています。上の定義を当てはめてみると、ほぼきれいに当てはまっていきます。最後の長さだけは少し問題で、『義務について』は書簡と言うには少々長いかもしれません。しかし、それ以上に『義務について』を書簡と考えることができない理由としては、キケロー自身がこれを書簡と考えていなかったことが挙げられます。彼は『義務について』を、とあるコメンタリーの中に配置されるべき三巻本であると述べています。するとやはりここでも、ある書き物が書簡の特徴を備えていても、そこから外れる特徴も持っているときに、それをどう定義すればよいかは難しい問題となります。

そこで、著者はウィトゲンシュタインの「家族的特徴(family-resemblance concept)」を用いて、文学のジャンル分けをすることを提言しています。「家族的特徴」とは、あるものと別のあるものとが、必要十分条件ではなく、部分的に共通する特徴によってゆるく繋がっている状態を指しています。つまり、ウェルギリウス『牧歌』とルクレティウス『物の本質について』とは同じ韻律と言語を共通して持っており、ヘシオドス『仕事と日』はそれらと同じ韻律を持っているだけですが、それらは一つでも共通点を持っているということから、皆同じジャンルに分けられるのだということです。こうした考え方をすると、完全に書簡とはいえなくても、書簡の特徴を部分的に持ったものはたくさんあることが分かってきますし、そこから、そういうテクストが書簡を想起させることによる文学的効果についても思いが及びます。書簡の定義を定めるということは、書簡でないものを締め出すということです。著者は、そのような定義は無駄なのでするべきではないと述べています。

それなりに面白く読んだことは読んだのですが、何となく疑問なのは、せっかく古代の著者たち自身による文学ジャンルの定義の試みに少し触れたのですから、最後までそのラインで話をすべきではなかったのではないかということです。ウィトゲンシュタインもいいですが、やはりキケローが語っていることをもう少し掘り下げてほしいと思いました。

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