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2020年7月19日日曜日

ユダヤ教におけるフィロンの受容 Cohen, "Philo Judaeus and the Torah True Library"

  • Naomi G. Cohen, "Philo Judaeus and the Torah True Library," Tradition 41.3 (2008): 31-48.

フィロンはこれまでキリスト教神学、ギリシア文学、古代哲学といった枠内で読まれてきた。それはフィロン研究がそうした分野の研究者たちによって牽引されてきたからである。しかし、20世紀初頭になると、ユダヤ教にコミットし、ユダヤ教古典に通暁した研究者たち(Isaac Heinemann, Edmund Stein, H.A. Wolfson, Samuel Belkinら)の台頭により、フィロンをよりユダヤ的に理解しようとする試みが行われるようになった。

ただし、いかなる意味でもラビ・ユダヤ教的ではないフィロンが、ユダヤ世界で再び紹介されるのは、アザリヤ・デイ・ロッシの登場を待たなければならなかった。なぜフィロンがユダヤ世界で失われてしまったのかというと、様々な要因はあれど、大きな理由はフィロンが初期キリスト教によって熱狂的に受け入れられたからであろう。

フィロンが使うギリシア語にはユダヤ・ギリシア語的なコノテーションがある。ノモス、ソフィア、エウセベイア、ディカイオシュネなどといった重要な用語には、元来のギリシア語を超えたユダヤ的な意味が含まれている。しかしながら、読者がユダヤ人でなくキリスト教徒になると、そうした意味は失われてしまう。

アザリヤ・デイ・ロッシは16世紀イタリア・ルネサンス時代の博識家で、『メオール・エナイム』という著作がある。この著作の中でデイ・ロッシはフィロンを「イェディディヤ・ハ・アレクサンドロニ(アレクサンドリアの神の友)」と呼びつつ、現在のフィロン研究でも議論されているトピックを初めて提起した。すなわち、フィロンはヘブライ語の知識を持っているか、七十人訳を用いているという指摘、フィロンと口伝律法やユダヤ教セクトについて、その著作が非ユダヤ人向けである可能性、無からの創造という概念理解などである。

『メオール・エナイム』第5章によると、フィロンには4つの欠点があるという。第一に、フィロンはトーラーの原典を見たことがない。第二に、世界の創造時に原初の物質が存在していたと考えている。第三に、聖書の物語の本当の意味を単純に哲学的・知的な考えだと考えている。そして第四に、成文律法と共に口伝律法があると述べていない。他にもデイ・ロッシは、フィロンが聖書の引用や解釈に七十人訳を用いていることなどについてさらに追及しつつも、ときに擁護することもある。

デイ・ロッシのこのようなアンビヴァレントな態度の理由は、彼自身も当時異端の疑いをかけられていたからである。デイ・ロッシはタルムードのアガダーの歴史的価値について態度を保留しており、また創造から現在までの時間の伝統的な数え方も異なっていたので、ユダヤ教を破門はされないまでも、敵対者からも厳しく攻撃されていた。またその著書はイタリア各地で禁書に指定されていた。そこで、フィロンの思想を紹介しつつも、これ以上保守的な勢力から攻撃を受けないように、扱いが慎重だったのである。

しかし、上で見たデイ・ロッシからの4つの批判は、今日ではもはや大きな問題ではないだろう。唯一あるとすれば、それは原初の物質(primordial matter)に関する議論である。この問題は伝統的なユダヤ教徒がフィロンに躓いてしまう大きな理由であるが、元来は対グノーシスの議論の中で出てきたものである。タルムードの賢者たちは、創造時にいくつもの力(multiple creative powers)があったと主張するグノーシスの異端者たちを問題視している(ただし、これに対抗する「無からの創造」説がはっきりするのは後2世紀のキリスト教文学である)。ちなみにフィロンの著作にグノーシス的なところがあるかというと、それはグノーシスをどう定義するかによる。フィロンには二元論的なところや物質に対する否定的価値観などがあることは確かだが、それらはグノーシスの専売特許というわけではないので、フィロンをグノーシス主義者とは呼べない。

フィロンの思想はラビ・ユダヤ教とは確かに異なるところがある。とりわけ法的・ハラハー的議論が少ないことは明白である。しかし、一方でラビ・ユダヤ教を法的関心のみに制限することもまた誤りである。律法学者がユダヤ教において活躍してきたことは確かだが、イェフダ・ハレヴィ、ゲルソニデス、ヨセフ・アルボ、ベシュトらは律法の専門性ゆえに有名なわけではない。それにそもそもフィロンにも法的議論は現れている。

フィロンは、よく言われるように、プロト改革派のユダヤ人ではない。Alan MendelsonやYehoshua Amir(改革派ラビ養成校ヒブル・ユニオン・カレッジ教授David Neumarkの息子)などは、フィロンにフレキシブルでリベラルな精神を見出すが、論文著者はこれに反対する。フィロンは、テフィリンやメズザーの使用やトーラー学習の教え、口伝律法の遵守など、ユダヤ教の実践についてもかなり詳しく言及している。フィロンは自らをギリシア哲学者としてはではなく、敬虔な律法遵守のユダヤ人として示したかったのである。ユダヤ的なプリズムを通してみれば、フィロンの思想は現代の伝統はユダヤ教の精神とそれほどかけ離れてはいない。現在進行中のフィロン著作の現代ヘブライ語訳が、伝統的なユダヤ人読者の手に渡る日も近い。

2020年7月17日金曜日

アブラハムとロトの別れ(4) Rickett, Separating Abram and Lot #4

  • Dan Rickett, Separating Abram and Lot: The Narrative Role and Early Reception of Genesis 13 (Themes in Biblical Narrative 26; Leiden: Brill, 2020), 90-122.

より後代のユダヤ教聖書解釈においても、アブラハムに関する諸問題(ロトの帯同、争う羊飼いたち、土地の提供など)は明確に意識されている。その上で、トーラーを遵守する模範であるアブラムと、その好対照としての、トーラーを拒絶するロトという図式が出来上がっている。『ヨベル書』や『創世記アポクリュフォン』と比較すると、後代のユダヤ教聖書解釈はロトに対してより否定的になっている。

フィロンは、アブラムの旅路にロトが同行していることに触れ、それをロトが言い出したことであると見なし、もってアブラムは犠牲者であるとした。羊飼いの争いに関しては、その原因はロトとその羊飼いにあるとし、一方でアブラムは争いのない静寂を求めてロトにより良い土地を譲ったのだと説明した。

ヨセフスは巧妙に説明をあいまいにし、話題の焦点を、アブラムによる問題ある申し出からロトによる出発の決断に移している。

各種タルグムはロトの財産について問題視した上で、それがアブラムに由来するものだと結論付ける。論争については、フィロン同様に、ロトとその羊飼いに責任があると論じている。アブラムの家畜は口輪をはめて他人の地所から勝手にものを食べないようにされているが、ロトの家畜はそうされず、どこにでも行ってよいとされていた。このようにアブラムとその羊飼いは肯定的に、ロトとその羊飼いは否定的に描かれている。

ミドラッシュ文学(『創世記ラバー』『ペシクタ・ラバティ』『ミドラッシュ・タンフマ』『バビロニア・タルムード』など)は、ロトがトーラーの拒絶者であることを強調する。その財産もアブラムのおかげで手にしたものであって、自分で得たものではない。羊飼いの争いは、そのままその主人たちの倫理的違いを反映している。つまり、悪なるロトの羊飼いもまた悪であり、善なるアブラムの羊飼いもまた善なのである。それゆえに、神もまたロトがアブラムの後継者には倫理的・関係性的に不適切だと断じている。つまり、ラビたちはアブラムやその羊飼いの問題からロトとその羊飼いの非道徳的な振る舞いに焦点を移しているのである。

ロトが「目を上げる」のは出エジプト記のポティファルが情欲を持ってヨセフに対して「目を上げる」のと同じであるし、「丸いヨルダン平野」を求めたのは箴言の言葉のように「売春婦を買う」のと同じであった。聖書テクストではロトがアブラムから離れようとしているとは書いていないが、ラビたちは、ロトはアブラムから離れようとしたことで、知恵とトーラーを拒絶したのだと解釈している。

『ヨベル書』や『創世記アポクリュフォン』は、アブラムがロトに土地を提供しようとした件をなかったことにしているが、ラビたちはそれが必然だったと解釈する。すなわち、神とアブラムとの約束が履行されるためには(創13:14-17)、ロトがいなくなることを待たねばならなかったのである。それゆえに結果的にロトからのアブラムの別離は、倫理的にも宗教的にも必要性のあることだった。

ここまで論じた後、著者はアブラムとロトの別離をルツ記と比較する。こうした比較は上記のような伝統的な解釈に基づいているわけではないが、それ自体は興味深い。著者によれば、両方とも、イスラエル人による別離の要求に対するモアブ人の反応を扱っている。より具体的には、両物語は親戚関係を扱っており(ロトとアブラムは血統上の親戚関係であり、ルツ、オルパ、ナオミは結婚による親戚関係)、またある親族グループの構成員が別のグループからの別離を求めている。

とはいえ異なっている点もある。第一に、オルパやルツが最初はナオミとの同居を求めるのに対し、ロトはそのような素振りはなかった。第二に、ロトは住むための特定の場所を選んだが、オルパは自分たちの土地に戻っていった。第三に、確かにオルパとロトはイスラエル人から離れようという点で共通しているが、ルツはロトとは対照的に、イスラエル人と共にいることを選んだ。ここから、ルツ記におけるオルパはロトと比較可能な存在であり、一方でルツはロトと対照的な存在であることが分かる。ロトがオルパと同様にアブラムや神を受け入れることを拒んだのに対し、ルツはナオミが別離を求めてもそれを拒み、もって神やトーラーに従おうとした。ルツははっきりと、オルパやロトと対照をなしている。

さらにルツ記はイスラエルとモアブの関係性をめぐる問題にも関係している。ロトはイスラエルの先祖であるアブラハムと血統的につながっているが、ルツは上のようにイスラエル人のナオミを求め、その神を求めながらも、モアブ人である。申命記にはモアブ人が神の集まりに入ることは許されないと記されている(23:3)。ラビたちはしかし、神の集まりに入ることが許されないのは男性のモアブ人だけであり、女性はそれには当たらないと説明する。ルツがイスラエル人ボアズと結婚できたのは、このためである。

感想としては、ルツ記との比較は興味深いが、ミドラッシュの処理に問題を感じる。著者はテーマごとにさまざまなミドラッシュ文学を紹介している。たとえば、「アブラハムとの旅におけるロトの存在」というテーマのもとに『創世記ラバー』『バビロニア・タルムード』『ペシクタ・ラバティ』『ミドラッシュ・タンフマ』を、また「羊飼いたちの争い」というテーマについて『ペシクタ・ラバティ』『創世記ラバー』を、さらに「後継者としてのロト」というテーマに『創世記ラバー』『ペシクタ・ラバティ』を、といったように。ミドラッシュ文学は多様なので、あるテーマについてうまく説明している任意の箇所をどれかから引っ張ってくるのは簡単である。しかし、そうした紹介の仕方は恣意的になりかねない。そのようにテーマ毎にさまざまな文書から解釈を紹介するよりも、むしろ作品ごとに解釈を紹介し、各文書にそのテーマがあるかないかを示した方が恣意性を低めることができるのではないか。

2020年7月10日金曜日

アブラハムとロトの別れ(3) Rickett, Separating Abram and Lot #3

  • Dan Rickett, Separating Abram and Lot: The Narrative Role and Early Reception of Genesis 13 (Themes in Biblical Narrative 26; Leiden: Brill, 2020), 69-89.

James Kugelによると、古代の聖書解釈には聖書に対する4つの主要な前提があったという。第一に、聖書とは表面上の意味と深層の意味を持つ謎めいた文書である。第二に、聖書とは読者の現在の問題にも関わる指導の書である。第三に、聖書は完璧で調和的な文書である。そして第四に、聖書は神の霊感を受けた文書である。

著者はこうした聖書の4つの要素にもう一つ付け加える。すなわち、聖書はアブラハムを守ろうとする。古代における多くの聖書解釈は、聖書を真剣に捉え、深く読み込み、アブラハムに関して起きる潜在的な問題を認識した上で、アブラハムの名誉を守るような方法でそうした部分を解釈しようとするのである。

著者はこの章で、創世記13章におけるロトの性格付けの発展について、七十人訳、『ヨベル書』、『創世記アポクリュフォン』をretellingの例として分析している。これらの聖書解釈においては、アブラムをめぐる潜在的な問題をから、ロトの倫理的問題やアブラムとの関係に焦点が動いているという。つまり、アブラムに関する部分について、言い回しを変えたり解釈を加えたり問題部分を削除したりすることで、アブラムの問題は免除される。一方で、ロトは聖書テクスト自体では不明瞭な人物であるに留まっていたが、これらの解釈えは不敬虔なよそ者として見なされるようになったのである。

たとえば、創世記12:4-5でアブラムがカナンの地に行くときに、特に理由なくロトを連れて行っているが、『ヨベル書』はアブラムの父テラがロトを連れて行くように言った台詞を加えている。そうすることで、ロトを連れて行ったのはアブラムの責任ではなくテラがそう言ったからであり、ロトがアブラム家の一員であるかのように読書に思わせることができる。

その後ロトとアブラムは分かれるわけだが、聖書はその経緯を詳らかにしない。これに対し、retellerたちはロトを悪徳の都市ソドムと同列に並べ、また別離の理由をアブラムの提案ではなくロトの選択だったように書き換えている。ロトがソドムの「中に」住んでいることを強調することで、ロトが悪人であることが強調される。また「アブラムはロトを自分の後継者と見なしていたにも関わらず、ロトは自分から離れていってしまった。アブラムはロトの別離に胸を痛めている」といった描写により、読者はアブラムに同情する。

こうしたことから、1世紀の終わりにはすでに、アブラムはいかなる潜在的な悪行からも免除され、ロトは不明瞭な性格の登場人物からはっきりと不敬虔なよそ者という性格付けを与えられているといえる。

2020年7月5日日曜日

アブラハムとロトの別れ(2) Rickett, Separating Abram and Lot #2

  • Dan Rickett, Separating Abram and Lot: The Narrative Role and Early Reception of Genesis 13 (Themes in Biblical Narrative 26; Leiden: Brill, 2020), 29-68.

第2章:兄弟愛、分離、定住

この章で著者は、アブラハムの倫理的な対比としてのロトという概念を分析するために、「兄弟愛」「分離」「定住」というテーマを掘り下げている。実質的には創世記13:6-18のコメンタリーになっている。まず「兄弟愛」については8節で触れられているが、すぐそのあとに9節でアブラムはロトに対し「分離」を提案している。アブラムがロトに対しどこに行くかを先に選ばせていることから、この提案はアブラムの寛大さを表していると多くの注解者は評価するが、著者は「分かれよう」というアブラムの台詞の中にある命令形に注目し、実際にはアブラムがロトに「分離」以外の選択肢を与えていないことを指摘する。

そう言われたロトは10節で「目を上げ」てヨルダン平和を見渡す。注解者たちの中にはこの行為がロトの利己的な性格を表していると見る向きもあるが、著者は創世記における「目を上げる」の用例をチェックした上で、このフレーズは否定的なものではなく、中立的なものだと指摘する。

11節でロトはヨルダン平野を選び、東に移動して、アブラムと「分離」するわけだが、著者はこの箇所を創世記13章のクライマックスであると考える。ロトに先に選択させたアブラムが「融和的」であるのに対し、自分のために最善の選択をしたロトのことは「自己中心的」であると注解者たちは解釈する傾向がある。とりわけ11節における「自分のために選ぶ」という一節がこの解釈を支えている。しかしながら、著者はここでもこのフレーズの用例をサムエル記上などに求めた上で、必ずしも自己中心的な意味を含んではいないことを示す。そして、純粋に現実的な判断を下したからといって、ロトを自己中心的であると見なすことはない、と主張するのだった。

11節では「ロトは東に移動した」という記述がある。この「東」に注目するHelyerの注解を著者は紹介している。それによると、ヘブライ的方向感覚は東向きだという。それは「東」を意味するケデムが「前方」をも意味することから分かる。となると、その方向から見て右は南、左は北、そして後方は西ということになる。こうしたことを踏まえると、「ロトが東に移動した」のはアブラムにとって計算外の行動だったといえる。アブラムは西を見ながらカナンの地の北と南のどちらを取るかとロトに尋ねていたのに、当のロトは東に移動してソドムにテントを張り、アブラムがカナンの地に定住するという事態になってしまったのである。こうして12節において、アブラムとロトの「分離」が完成する。

13節ではソドムの町の悪徳が説明されている。著者は、ソドムへの言及が多くある13章と19章を、14章と18章が橋渡ししていると考えている。14章ではロトがソドムに住み着き、アブラムとの間には思想的・地理的に継続的な分離があることが描かれている。また18章は13章と似た用語や似た構造を用い、共にロトを主要人物としている。こうして14章と18章に橋渡しされて、ようやく19章が始まる。

19章はロトの「定住」の進展における最終段階を提示している。19章にはロトによる使者のもてなしと、その使者たちを引き出そうとするソドムの者たちへの対応の挿話がある。ロトは「兄弟たちよ」と語りかけ、「悪を行うな」と命じるが、ソドムの者たちはロトを異邦人と見なす。ここにはアブラムとロトとの「分離」のみならず、ロトとソドムの者たちとの「分離」も描かれている。ロトはソドムの者たちに対し、使者の代わりに自分の娘を差し出そうという提案をする。解釈者の中にはこれを許されざる行為として激しく批判する者もいるが、著者によれば、これはあえて莫迦げた提案をしてソドムの者たちの興奮を収めようとしたロトの「皮肉の間接的なリクエスト(sarcastic indirect request)」だったのだという。

19:14では、使者たちが町を滅ぼすために遣わされたと知ったロトが、婿たちに町から逃げるように言うが無視されたとされている。このことから、ロトのキャラクターは道化役や愚か者といった無視されるべき役回りなのだと解釈する向きもあるが、著者はこのことを否定的に捉える必要はなく、むしろ使者たちの話にすぐに反応したロトと、それを見くびった婿たちとの対比を強調してると捉えている。また16節におけるロトのためらいも、ロトの不敬虔の証とされることがあるが(テクストからはその理由は自明でない)、これも逃げようとしない家族をロトが見捨てられないからだと肯定的に解釈できる。同じ理由から、18節でロトが「山へ逃げろ」と言う使者の助言を受け付けていないことも説明できる。つまり、自分勝手に見えるロトの行動は、その実彼の他者への配慮によるものだったのである。

19:29では、ロトは神がアブラムのことを「忘れず」にいたために助けられたと述べられている。このことは、ノアの動物たちがノアと共にいたために助かったことが想起される。つまり、神がロトに示した慈悲心は、ロト自身に固有の何かによるものであると同時に、ロトの外側の何か、すなわちアブラムとのつながりによるものでもあった。

以上のように創世記19章を詳しく見た上で13章と比較すると、物語はロトを「異邦人」として描いていることが分かる。それゆえにロトは「東」へと移り、モアブとアンモンというイスラエルから分離した者たちの父となったのである。ロトの倫理について、テクストから確かなことは言えない。ロトは敬虔であるかもしれないし不敬虔であるかもしれない。いずれにせよ、19章からロトが自分勝手であったり、悪の民のそばにいたがったりといった解釈はできない。

13章のつづき(14節から最後)においても、ロトはもはやアブラムの「子孫」には入っておらず、神を崇める祭壇での礼拝にも関わっていない。以上の分析から、ロトがアブラムの後継者であり、また敬虔なアブラムに対する不敬虔な対照者であるという一般的な理解は正しくないと言える。創世記13章は、ロトをアブラムから「分離」させ、アブラムを「定住」させているが、この「分離」は本来連れて行けないはずのロトを解決するための手段であり、「定住」はアブラムからの無理のある提案が発端だった。ロトはアブラムの後継者ではなく、「兄弟」として描かれている。

以上から、ロトを否定的に捉える一般的な理解は本文から出てきたものではないことが分かる。ではこれが本文に固有のものでないなら、その起源はどこからなのか。これを検証するために、著者は第二神殿時代の文学、初期ユダヤ教文学、教父文学にさかのぼっていく。

2020年6月28日日曜日

ヤン・ヨーステンのチャイルド・ポルノ事件

日本ではまったく話題になっていないようなのでここに少しまとめておこうと思うのですが、ヤン・ヨーステン(Jan Joosten)という著名な旧約聖書学者が、滞在先のフランスで6月18日にチャイルド・ポルノの所持で禁固1年の有罪判決を受けました。子ども(多くはアジア系)のレイプを含む27,000もの画像と7,000本の動画を所持していたとのことです。これらは少なくとも6年間もの長きに亘ってダウンロードされてきたもので、昨日や今日始まったことではありません。ヨーステンはこれから3年間の治療を受ける必要があり、また今後一切未成年者の教育に関わることを禁じられました。

報道について詳しくは『ガーディアン』紙(6月22日の記事)をご覧ください。
https://www.theguardian.com/world/2020/jun/22/oxford-university-professor-jan-joosten-jailed-france-child-abuse-images

ヨーステンはストラスブール大学やオックスフォード大学で教授を務め、旧約聖書学では大きな業績を挙げてきた研究者です。旧約聖書学のリーディング・ジャーナルの一つである『Vetus Testamentum』誌の編集長も努めていました。また生まれ故郷のベルギーでは牧師でもあったそうです。

この報道を受けて、各学術機関も対応を始めています。勤務先であるオックスフォード大学オリエント学部およびクライスト・チャーチは、ヨーステンを停職処分にしています。
https://www.chch.ox.ac.uk/news/house/statement-regarding-professor-jan-joosten
また聖書学関係の学会であるSBL、IOSCS、SOTS、学術雑誌のJBL、DSDなども、ヨーステンをポジションから外すことを決定しました。

こうした状況の中で、驚くべきことに先日ヨーステン本人が自身のAcademiaページで声明を発表しました。インターネット犯罪の有罪判決を受けているのに、パソコンにアクセスできるというのは不思議なことだと思うのですが、どうなっているのでしょう。またこの声明では家族や同僚や友人に対する謝罪は書かれているのですが、彼が間接的に加担した犯罪の被害者である子どもたちへの謝罪は書かれていません。
https://www.academia.edu/43435754/Statement

リーズ大学のジョアンナ・スティーベルト(Johanna Stiebert)もまた、ブログポストの中で、ヨーステンがパソコンへのアクセスができることに驚いています。彼女はもともと知り合いでもあったヨーステンに対し、今回のことを非難するメールを書いたのですが、それに対し彼からすぐに返事があったそうです(このブログポストには、スティーベルトがかつて交流したことのある「囚人」とのエピソードなども対比的に書いてあり、とても読ませる内容です)。
http://shiloh-project.group.shef.ac.uk/privilege-beyond-bounds-a-response-to-the-conviction-of-jan-joosten/

公判中にヨーステンは、自分がチャイルド・ポルノへの中毒に陥っていたと述べ、その中毒状態のことを「自分自身とは矛盾する秘密の園(a secret garden, in contradiction with myself)」と表現したようです。これについて、バーネットの有名な小説『秘密の花園』や、旧約聖書の雅歌の一節(4:12「私の妹、花嫁は閉じられた園。閉じられた池、封じられた泉」)を暗示しているのではないか、という指摘があります。そうだとするならば、文学全般、とりわけ彼自身の専門である旧約聖書への度し難い冒涜といえるでしょう。
https://www.csbvbristol.org.uk/2020/06/26/responsible-scholarship/

一連の事態に対し、近接分野の研究者たちはさまざまに反応しています。大方は彼を断罪するものですが、中には、彼の行為は許しがたいが研究上の業績は別物であるという意見もあります。これはたとえば米国カトリック大学のアラム語学者エドワード・クック(Edward Cook)の記事などに見られます。
https://ralphriver.blogspot.com/2020/06/statement-regarding-prof-jan-joosten.html

こうした観点から、インターネット上では、チャイルド・ポルノのような重大犯罪を犯した研究者の学術的な著作を出版したり引用したりするのは倫理的に許されることなのか、という議論に発展しています。この点について、アパラチア州立大学のスティーヴン・ヤングが分かりやすい記事を書いています。この中で彼は上のクックのような半擁護派の言説を紹介したあと、そうした態度は男性の性犯罪者に対する共感的な甘さ「Himpathy(HimとSympathyを組み合わせたKate Manneの造語)」に過ぎないと断じています。そして、「重大犯罪を犯した研究者の人間性と研究成果を区別するなどというのはレトリックに過ぎない」というニューヨーク大学のアネット・ヨシコ・リード(Annette Yoshiko Reed)のツイートなどを紹介しています。愛すべきは犯罪者の業績ではなく犠牲者だろうに、というのがヤングの結論です。
https://religiondispatches.org/love-the-scholarship-but-hate-the-scholars-sin-himpathy-for-an-academic-pedophile-enables-a-culture-of-abuse/

これはひょっとすると私が知らないだけでどの学問分野でも起こっていることなのかもしれませんが、ここ何年か特に聖書学者や古典学者によるチャイルド・ポルノ関係の事件をときどき目にします。古くはミネソタ大学のリチャード・ペルヴォ(Richard Pervo)の事件があります。
https://www.upi.com/Archives/2001/02/13/Kiddie-porn-found-on-profs-computer/1138982040400/
彼はチャイルド・ポルノ所持で2001年に有罪判決を受けたのですが、驚くべきことに2017年に彼の業績を記念する献呈論文集が出版されており、そこにはこの犯罪についての言及がありません。
https://www.mohrsiebeck.com/en/book/delightful-acts-9783161555114?no_cache=1&createPdf=true

他にも近年では、たとえば次のような研究者たちによる犯罪が思い出されます。

アウグスティヌス研究で知られていたヴィラノヴァ大学のクリストファー・ハース(Christopher Haas)は、チャイルド・ポルノ所持で逮捕され、収監直前に自殺しました。
https://www.delcotimes.com/news/villanova-prof-facing-prison-time-for-child-porn-takes-own-life/article_b75d8292-e521-5b97-b0e9-2585ce704cc1.html

ヘブライ語・アラム語文学研究で非常に有名な研究者であるダラム大学のリチャード・ヘイワード(C.T.R. Hayward)も、チャイルド・ポルノ所持で捕まりましたが、禁固刑を免れ、それどころかダラム大学でレクチャーをする機会すら与えられました(大学に雇われているわけではないようですが)。
https://virtueonline.org/durham-uk-convicted-child-porn-theology-professor-back-teaching-university

シンシナティ大学の古典学者ホルト・パーカー(Holt Parker)は、チャイルド・ポルノの所持のみならず、ダディー・クルーエルという名前でそうした画像を頒布してもいたことで逮捕されました。逮捕時に証拠隠滅を図ったことも分かっています。
https://www.cincinnati.com/story/news/2017/01/26/ex-uc-professor-sentenced-thursday-had-child-porn-addiction/97080718/

最後の古典学者であるパーカーはともかく、聖書学者の中には学者であると同時に聖職者でもある者もいるので、これは学問の問題というよりも、映画『スポットライト』で描かれていたような教会の問題でもあるのかもしれません。いずれにせよ、ヨーステンをはじめとする犯罪者たちが厳罰に処されることを望みます。

2020年6月10日水曜日

アブラハムとロトの別れ(1) Rickett, Separating Abram and Lot #1

  • Dan Rickett, Separating Abram and Lot: The Narrative Role and Early Reception of Genesis 13 (Themes in Biblical Narrative 26; Leiden: Brill, 2020), 1-28.

導入

創世記13章はアブラムとロトの別れの物語を伝えている。創世記13章はいかに機能し、またロトは個人として、そしてアブラムとの関係に関していかに特徴付けられるのか。これらの問いに対し、現代の釈義家たちは、創世記13章は潜在的な相続人としてのロトを取り除く機能を持っており、またロトはアブラムに対する倫理的な対比として特徴付けられていると答える。しかし、この答えは正しいのだろうか。

こうした問題を扱うために、著者は研究の方法論として、文芸学的(literary)/物語的(narrative)方法を採る。すなわち、テクストの成立史や歴史学的な問題はひとまず脇に置き、テクストをすでに完成した統一的なものとして、またホリスティックな物語ユニットとして捉えるのである。こうした方法論によるテクスト読解は、共時的なものとなる。

これまで、アブラムとロトの別れは、モアブとアンモンに対するイスラエルの衝突であるとされてきた。また多くの研究者は、創世記13章の機能とはアブラムの潜在的な相続人としてのロトを排除し、また彼をアブラムとの倫理的な対比として描くことだと考えてきた。つまり、アブラムは正しく敬虔な人物であるのに対し、ロトは自分勝手な愚か者とされているという解釈である。

こうした通説に対し、著者は3つの問いを立てる。第一に、ロトをアブラムの相続人であると同時にその倫理的な対応相手であると理解することは、テクストが表していることを最もよく反映しているだろうか。第二に、もしそうした理解がテクスト固有のものでないとすると、そうした読みの起源は何だろうか。そして第三に、そうした理解がベストでないとすると、創世記13章はどのように理解されるべきだろうか。

著者は創世記13章のテクストと初期の受容に目を向ける。すると言えるのは、第一に、上のような現代の釈義家たちの理解は物語の中心テーマを最もよく反映してはいない。第二に、そうした読みはもともと古代のユダヤ・キリスト教釈義家たちがアブラムを守るために発展させたものである。そして第三に、著者はアブラハム物語や創世記全体における創世記13章の位置と機能について、新しい読みを提案する。

ユダヤ・キリスト教釈義家たちは、この箇所をめぐるさまざまな問題に気づいていた。ユダヤ人釈義家はロトをトーラー否定の例として捉え、キリスト教釈義家はのちに彼がソドムから救われることを通して見た。どちらかというと、ユダヤ教の解釈でロトは否定的に描かれている。こうした伝統的な解釈を見ると、現代の釈義家による、アブラムのネガティブな対象相手としてのロトという理解は、テクストそのものが持っているものではなく、アブラムの立場を守ろうとする古代の釈義家の関心を反映したものだと言える。

著者は、創世記13章の新たな読みを提案することで、アブラムに対するロトの関係性を父子関係ではなく兄弟関係(brotherhood)の中に見出すことができると主張する。


第1章

著者は創世記12:4におけるアブラムの召命と13章の冒頭を精読することで、次のようなことを明らかにした。第一に、アブラムが「父の家」、すなわち家族の最小単位を離れるように命じられていること。第二に、ロトはその「父の家」の成員として描かれていること。第三に、アブラムがロトを養子にしたり、自分の相続人となり得ると見なしたりということは言明されていないこと。そして第四に、ロトがアブラムの「家」とは別の「家」の成員であるという描写は、創世記12章にはじまり、13章に続いていることである。

ロトがアブラムの「家」の者であるならば、ロトを連れて行ったことは問題ないが、別の「家」の者であるならば、それは主の命令に反したことになる。創世記12章の家計図によれば、ロトはあくまでアブラムの兄弟ハランの子、またアブラムの父テラの孫として説明されている。つまり、テラの「家」の者であって、アブラムの息子ではない。それゆえに、本来であればロトはアブラムの旅に付いていくべきではない。

13章では、アブラムのみが主の名を呼んで賛美したことや、アブラムとロトがそれぞれに裕福であることなどが語られる。ロトの財産への言及は、彼がアブラムと独立して裕福であり、別の「家」の成員であることを示している。

2020年3月1日日曜日

党派の分裂 Boccaccini, "The Schism between Qumran and Enochic Judaism"

  • Gabriele Boccaccini, Beyond the Essene Hypothesis: The Parting of the Ways between Qumran and Enochic Judaism (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1998), 119-62.


『ダマスコ文書』はクムラン共同体の起源を理解するために重要な文書である。同書はエノク派運動の内部で、義の教師の支持者による特別な党派の存在を前提としている。とはいえ、これ自体はクムラン以前の文書なので、実際には初期エノク派文書とクムランの党派的テクストの橋渡し役と言える。というのも、同書は党派的テクストの特徴を持ちつつも、人間の自由意志をある程度認め、予定説をあまり強調せず、二元論も秀でていない。社会学的観点からいうと、それまでのエノク派伝統よりも厳格な、他のユダヤ人口からの分離を求めつつも、イスラエルの公共の宗教的機関から完全に分離するには至っていないといえる。

『ダマスコ文書』が「ツァドクの子ら」(4:2-4)に言及していることから、クムラン共同体が、分離したツァドク派祭司によって設立されたと説明されることがあるが、著者によれば、これはエノク派ユダヤ教がツァドク派と同じ祭司的環境にあったことによる。

『ダマスコ文書』は、エノク派ユダヤ教のエリートによって、より広いエノク派運動に向けて書かれたものである。彼らはマカベア戦争以後に徐々に自分たちが選ばれた別のグループであるという意識を強めていき、全イスラエルに代わって神の約束を成就させるという使命を担っていると考えるようになった。

クムランではどのテクストが見つからないのかを考えることも重要である:パリサイ派的なテクスト(『ソロモンの詩篇』)、ハスモン朝的なテクスト(『第一マカベア書』、『ユディト記』)、ヘレニズム・ユダヤ教的なテクスト(『アリステアスの手紙』、『第三マカベア書』、『ソロモンの知恵』、フィロンの著作など)、キリスト教的なテクスト(新約聖書など)は見つかっていない。

これら以上に特筆すべきは、後期エノク派文学の不在である。『寝ずの番人の書』、『天文の書』、『夢幻の書』、『プロト・エノク書簡』などは、死海文書のうちでも中心的な存在であったが、『エノク書簡』、『十二族長の遺訓』、『たとえの書』のような、前1世紀頃に書かれたエノク派ユダヤ教の重要文書は、クムランには見られない。党派的テクストも、エノクに関する伝承に関心を失っていることが見て取れる。

クムランでは知られていなかったエノク派文書としては、まず『エノク書簡』がある。『プロト・エノク書簡』はプレ党派的文書だったが、『エノク書簡』は、クムラン共同体以外のグループによって書かれたポスト党派的な文書である。クムランで見つかっている『エノク書簡』断片は『プロト・エノク書簡』の部分のみであり、より長く後代の94:6-104:6部分はない。さらに106-7章が『ノアの書』から採られ、『エノク書』全体のサマリーのようなものとして編纂者によって付け加えられている。

さらに、『プロト・エノク書簡』の思想と違い、『エノク書簡』は神殿、神殿祭儀、祭司制に反対の立場を取っている。とりわけ98:4には、人間は自分の犯した罪の責任があるという、反クムラン的な考え方が見られる。「罪」は人間に責任があるという考えは、『エノク書』全体で言われている、悪は天使に由来するという考えと矛盾しない。なぜなら、罪を「発明」したのは個人なので、個人に責任があるからである。このようにして、『エノク書』全体としては、人間の責任と人間の犠牲という相矛盾する考えが同居することになる。どちらかだけを取ると、神が悪の源になってしまうからである。罪はこの世に輸入されたものなので人間にその責任はないというラディカルな立場は、クムランだけに見られる。

このように、『エノク書簡』の研究は、いかに『プロト・エノク書簡』が修正されたかを見極めることといえる。修正者の目的は、クムランの党派的な神学思想に沿って『プロト・エノク書』を発展させることであった。『エノク書簡』は「選ばれた者」と「悪人」を区別しつつ、それぞれを「貧者」と「富者」と同一視している。このときの「貧者」は個人を重視する『ダマスコ文書』と異なり、社会学的なレベルで包括的な意味を持っている。これは、クムラン的な「分離」の思想とはかけ離れている。「選ばれた者」=「貧者」は、救済されているのではなく、救済の候補者である。

『十二族長の遺訓』は、クムランで見つかっていない。現在の状態がキリスト教的であるがゆえに、その起源からキリスト教文書であった可能性を指摘する研究者もいるが、非ラビ・ユダヤ教的であるからといって、非ユダヤ的であるとはいえない。『十二族長』の非ラビ・ユダヤ教的な要素は「中期ユダヤ教」の多層性に由来する。『十二族長』は、悪が人間以上の存在に起源を持つこと、モーセ以前の祭司伝統、エノクの権威、イスラエルが依然として捕囚の身であること、神殿の回復は終末に実現することなどから、エノク派ユダヤ教の伝統に位置する。

『十二族長』は、クムランの党派的文書とアイデアを共有している。しかし、悪の存在を人間の責任にも帰するという考え方において、非常に異なっている。人間は単なる天使的な罪の被害者ではなく、天使同様に責任ある立場である。善と悪の内的な戦いという、人間に共通するイメージを持つ『十二族長』は、エノク派的伝統よりもさらに普遍主義的なアプローチを取る。

『たとえの書』は最後のエノク派ユダヤ教テクストというわけではないが、クムランの文書と起源を同じくしない最初のテクストである。非クムラン的、さらに言えば、反クムラン的文書といえる。同書の断片はクムランからは見つかっていない。その理由を研究者たちはさまざまに語るが、著者によれば、それは『たとえの書』がクムランとエノク派が分裂したあとに書かれた文書だからであるという。

同書においては、世界は善悪の二元論で説明される。個人の予定論は否定され、『エノク書簡』のように、義人と罪人は貧者と富者と同一視される。堕天使による原罪は、アダムの原罪に取って代わられる。『たとえの書』はJ.C. VanderKamによれば「反転の概念(notion of reversal)」を中心としているという。現世では富者が貧者を虐げているが、終末においてはそれが反転する。

クムランでは予定論的な考え方をするために、メシア待望は中心的ではなかったが、『たとえの書』はダニエル的な「人の子」を悪のエノク的教義における中心人物とみなしている。人の子が先在することで、天使や人の自由を否定しない形で、神がこの世を予見し、支配しているということができる。

このように、クムラン共同体はエノク派文学に関心を失ったわけだが、それはクムランが黙示的でなくなったのではなく、エノク派的でなくなったのである。その結果が『たとえの書』に現れている分裂であった。

『たとえの書』以降のさまざまな党派的テクストも、分裂以後のものである。ペシャリーム、『共同体の規則』、『戦いの巻物』、『会衆規定』などがそれに当たる。そこでは、義の教師、悪の祭司、敵対グループ、内部の反発者グループの存在が示されている。敵対者は、外部の者も内部の者も同様に否定的に描かれる。他のユダヤ教グループからの分離を正当化するために、二元論と予定論が組み合わされる。エノク派から分裂したことで終末論も変化し、終末においてはすべての民がクムラン共同体に統一されることになるという。『共同体の規則』はヤハドのみの規則ではなく、すべての民の規則である。こうして、クムラン党派テクストは、キリスト教に受け継がれる「交替の神学(theology of supersession)」を初めて示した。これらの考え方は、クムラン共同体を外界から完全に分離させたのだった(dualism, individual predestination, and self-segregation)。

クムランの党派的テクストで中期ユダヤ思想の発展において重要な影響を与えたものはない。クムラン外部の党派的テクストは、マサダとカイロ・ゲニザで見つかっている。マサダでは、ヘブライ語『ベン・シラ』と『ヨベル書』断片意外に、党派的テクストとしては『安息日犠牲の歌』が見つかっている。一方で、カイロ・ゲニザでは2つの『ダマスコ文書』写本が見つかっている。この理由は、マサダに関しては、おそらくクムランからマサダにやってきた避難民がこれらの写本を携えていたから、そしてカイロ・ゲニザに関しては、クムラン周辺で見つかった写本をカライ派が書き写し、保存していたからであろう。このように、エノク派文学は、キリスト教徒やラビたちを含め、クムラン外部でも読まれていたが、最もよく読まれていたであろう『ヨベル書』は、最も非党派的なテクストである。エノク派が外界との接触を保っていたのに対し、クムラン共同体は内にこもったのだった。

まとめ:以上のように、エノク派文学からクムラン文学にはひとつの鎖が続いている。『寝ずの番人の書』『アラム語レビの遺訓』『天文の書』(前4-3世紀)から、『夢幻の書』(マカベア戦争)、『ヨベル書』『神殿の巻物』(戦争直後)、『プロト・エノク書簡』『ハラハー書簡』(前2世紀中盤)、『ダマスコ文書』と党派的文書(前2世紀後半から後1世紀)。悪が人間の責任ではないという考えを共有しつつ、『ダマスコ文書』以降は義の教師のもとでエノク派ユダヤ教から独立したグループが生じ、党派的文書の時代にクムランに定住した。

『ヨベル書』および『神殿の巻物』の時代には、クムランにはツァドク派文学からの影響も入った。エゼキエル書を共有しつつ、エノク派とツァドク派はそれぞれの道を歩んだ。しかし、マカベア戦争とともにツァドク派の力は衰え、その文学はユダヤ教の遺産として共有されるようになった。

エノク派の鎖は、クムラン共同体の設立の直前で分離している。クムランの文学をつぶさに観察すると、自分たちの世界観に合致しないテクストを注意深く排除しつつ、合致するものだけを集めていることが分かる。つまり、クムラン文書は偶然の産物ではない。『エノク書簡』、『十二族長の遺訓』、『たとえの書』を持つグループは、そのままエノク派の遺産を受け継いでいった。一方で、クムランの流れはより予定論的な思想を発展させ、過激な少数派となっていった。