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2020年7月10日金曜日

アブラハムとロトの別れ(3) Rickett, Separating Abram and Lot #3

  • Dan Rickett, Separating Abram and Lot: The Narrative Role and Early Reception of Genesis 13 (Themes in Biblical Narrative 26; Leiden: Brill, 2020), 69-89.

James Kugelによると、古代の聖書解釈には聖書に対する4つの主要な前提があったという。第一に、聖書とは表面上の意味と深層の意味を持つ謎めいた文書である。第二に、聖書とは読者の現在の問題にも関わる指導の書である。第三に、聖書は完璧で調和的な文書である。そして第四に、聖書は神の霊感を受けた文書である。

著者はこうした聖書の4つの要素にもう一つ付け加える。すなわち、聖書はアブラハムを守ろうとする。古代における多くの聖書解釈は、聖書を真剣に捉え、深く読み込み、アブラハムに関して起きる潜在的な問題を認識した上で、アブラハムの名誉を守るような方法でそうした部分を解釈しようとするのである。

著者はこの章で、創世記13章におけるロトの性格付けの発展について、七十人訳、『ヨベル書』、『創世記アポクリュフォン』をretellingの例として分析している。これらの聖書解釈においては、アブラムをめぐる潜在的な問題をから、ロトの倫理的問題やアブラムとの関係に焦点が動いているという。つまり、アブラムに関する部分について、言い回しを変えたり解釈を加えたり問題部分を削除したりすることで、アブラムの問題は免除される。一方で、ロトは聖書テクスト自体では不明瞭な人物であるに留まっていたが、これらの解釈えは不敬虔なよそ者として見なされるようになったのである。

たとえば、創世記12:4-5でアブラムがカナンの地に行くときに、特に理由なくロトを連れて行っているが、『ヨベル書』はアブラムの父テラがロトを連れて行くように言った台詞を加えている。そうすることで、ロトを連れて行ったのはアブラムの責任ではなくテラがそう言ったからであり、ロトがアブラム家の一員であるかのように読書に思わせることができる。

その後ロトとアブラムは分かれるわけだが、聖書はその経緯を詳らかにしない。これに対し、retellerたちはロトを悪徳の都市ソドムと同列に並べ、また別離の理由をアブラムの提案ではなくロトの選択だったように書き換えている。ロトがソドムの「中に」住んでいることを強調することで、ロトが悪人であることが強調される。また「アブラムはロトを自分の後継者と見なしていたにも関わらず、ロトは自分から離れていってしまった。アブラムはロトの別離に胸を痛めている」といった描写により、読者はアブラムに同情する。

こうしたことから、1世紀の終わりにはすでに、アブラムはいかなる潜在的な悪行からも免除され、ロトは不明瞭な性格の登場人物からはっきりと不敬虔なよそ者という性格付けを与えられているといえる。

2020年7月5日日曜日

アブラハムとロトの別れ(2) Rickett, Separating Abram and Lot #2

  • Dan Rickett, Separating Abram and Lot: The Narrative Role and Early Reception of Genesis 13 (Themes in Biblical Narrative 26; Leiden: Brill, 2020), 29-68.

第2章:兄弟愛、分離、定住

この章で著者は、アブラハムの倫理的な対比としてのロトという概念を分析するために、「兄弟愛」「分離」「定住」というテーマを掘り下げている。実質的には創世記13:6-18のコメンタリーになっている。まず「兄弟愛」については8節で触れられているが、すぐそのあとに9節でアブラムはロトに対し「分離」を提案している。アブラムがロトに対しどこに行くかを先に選ばせていることから、この提案はアブラムの寛大さを表していると多くの注解者は評価するが、著者は「分かれよう」というアブラムの台詞の中にある命令形に注目し、実際にはアブラムがロトに「分離」以外の選択肢を与えていないことを指摘する。

そう言われたロトは10節で「目を上げ」てヨルダン平和を見渡す。注解者たちの中にはこの行為がロトの利己的な性格を表していると見る向きもあるが、著者は創世記における「目を上げる」の用例をチェックした上で、このフレーズは否定的なものではなく、中立的なものだと指摘する。

11節でロトはヨルダン平野を選び、東に移動して、アブラムと「分離」するわけだが、著者はこの箇所を創世記13章のクライマックスであると考える。ロトに先に選択させたアブラムが「融和的」であるのに対し、自分のために最善の選択をしたロトのことは「自己中心的」であると注解者たちは解釈する傾向がある。とりわけ11節における「自分のために選ぶ」という一節がこの解釈を支えている。しかしながら、著者はここでもこのフレーズの用例をサムエル記上などに求めた上で、必ずしも自己中心的な意味を含んではいないことを示す。そして、純粋に現実的な判断を下したからといって、ロトを自己中心的であると見なすことはない、と主張するのだった。

11節では「ロトは東に移動した」という記述がある。この「東」に注目するHelyerの注解を著者は紹介している。それによると、ヘブライ的方向感覚は東向きだという。それは「東」を意味するケデムが「前方」をも意味することから分かる。となると、その方向から見て右は南、左は北、そして後方は西ということになる。こうしたことを踏まえると、「ロトが東に移動した」のはアブラムにとって計算外の行動だったといえる。アブラムは西を見ながらカナンの地の北と南のどちらを取るかとロトに尋ねていたのに、当のロトは東に移動してソドムにテントを張り、アブラムがカナンの地に定住するという事態になってしまったのである。こうして12節において、アブラムとロトの「分離」が完成する。

13節ではソドムの町の悪徳が説明されている。著者は、ソドムへの言及が多くある13章と19章を、14章と18章が橋渡ししていると考えている。14章ではロトがソドムに住み着き、アブラムとの間には思想的・地理的に継続的な分離があることが描かれている。また18章は13章と似た用語や似た構造を用い、共にロトを主要人物としている。こうして14章と18章に橋渡しされて、ようやく19章が始まる。

19章はロトの「定住」の進展における最終段階を提示している。19章にはロトによる使者のもてなしと、その使者たちを引き出そうとするソドムの者たちへの対応の挿話がある。ロトは「兄弟たちよ」と語りかけ、「悪を行うな」と命じるが、ソドムの者たちはロトを異邦人と見なす。ここにはアブラムとロトとの「分離」のみならず、ロトとソドムの者たちとの「分離」も描かれている。ロトはソドムの者たちに対し、使者の代わりに自分の娘を差し出そうという提案をする。解釈者の中にはこれを許されざる行為として激しく批判する者もいるが、著者によれば、これはあえて莫迦げた提案をしてソドムの者たちの興奮を収めようとしたロトの「皮肉の間接的なリクエスト(sarcastic indirect request)」だったのだという。

19:14では、使者たちが町を滅ぼすために遣わされたと知ったロトが、婿たちに町から逃げるように言うが無視されたとされている。このことから、ロトのキャラクターは道化役や愚か者といった無視されるべき役回りなのだと解釈する向きもあるが、著者はこのことを否定的に捉える必要はなく、むしろ使者たちの話にすぐに反応したロトと、それを見くびった婿たちとの対比を強調してると捉えている。また16節におけるロトのためらいも、ロトの不敬虔の証とされることがあるが(テクストからはその理由は自明でない)、これも逃げようとしない家族をロトが見捨てられないからだと肯定的に解釈できる。同じ理由から、18節でロトが「山へ逃げろ」と言う使者の助言を受け付けていないことも説明できる。つまり、自分勝手に見えるロトの行動は、その実彼の他者への配慮によるものだったのである。

19:29では、ロトは神がアブラムのことを「忘れず」にいたために助けられたと述べられている。このことは、ノアの動物たちがノアと共にいたために助かったことが想起される。つまり、神がロトに示した慈悲心は、ロト自身に固有の何かによるものであると同時に、ロトの外側の何か、すなわちアブラムとのつながりによるものでもあった。

以上のように創世記19章を詳しく見た上で13章と比較すると、物語はロトを「異邦人」として描いていることが分かる。それゆえにロトは「東」へと移り、モアブとアンモンというイスラエルから分離した者たちの父となったのである。ロトの倫理について、テクストから確かなことは言えない。ロトは敬虔であるかもしれないし不敬虔であるかもしれない。いずれにせよ、19章からロトが自分勝手であったり、悪の民のそばにいたがったりといった解釈はできない。

13章のつづき(14節から最後)においても、ロトはもはやアブラムの「子孫」には入っておらず、神を崇める祭壇での礼拝にも関わっていない。以上の分析から、ロトがアブラムの後継者であり、また敬虔なアブラムに対する不敬虔な対照者であるという一般的な理解は正しくないと言える。創世記13章は、ロトをアブラムから「分離」させ、アブラムを「定住」させているが、この「分離」は本来連れて行けないはずのロトを解決するための手段であり、「定住」はアブラムからの無理のある提案が発端だった。ロトはアブラムの後継者ではなく、「兄弟」として描かれている。

以上から、ロトを否定的に捉える一般的な理解は本文から出てきたものではないことが分かる。ではこれが本文に固有のものでないなら、その起源はどこからなのか。これを検証するために、著者は第二神殿時代の文学、初期ユダヤ教文学、教父文学にさかのぼっていく。

2020年6月28日日曜日

ヤン・ヨーステンのチャイルド・ポルノ事件

日本ではまったく話題になっていないようなのでここに少しまとめておこうと思うのですが、ヤン・ヨーステン(Jan Joosten)という著名な旧約聖書学者が、滞在先のフランスで6月18日にチャイルド・ポルノの所持で禁固1年の有罪判決を受けました。子ども(多くはアジア系)のレイプを含む27,000もの画像と7,000本の動画を所持していたとのことです。これらは少なくとも6年間もの長きに亘ってダウンロードされてきたもので、昨日や今日始まったことではありません。ヨーステンはこれから3年間の治療を受ける必要があり、また今後一切未成年者の教育に関わることを禁じられました。

報道について詳しくは『ガーディアン』紙(6月22日の記事)をご覧ください。
https://www.theguardian.com/world/2020/jun/22/oxford-university-professor-jan-joosten-jailed-france-child-abuse-images

ヨーステンはストラスブール大学やオックスフォード大学で教授を務め、旧約聖書学では大きな業績を挙げてきた研究者です。旧約聖書学のリーディング・ジャーナルの一つである『Vetus Testamentum』誌の編集長も努めていました。また生まれ故郷のベルギーでは牧師でもあったそうです。

この報道を受けて、各学術機関も対応を始めています。勤務先であるオックスフォード大学オリエント学部およびクライスト・チャーチは、ヨーステンを停職処分にしています。
https://www.chch.ox.ac.uk/news/house/statement-regarding-professor-jan-joosten
また聖書学関係の学会であるSBL、IOSCS、SOTS、学術雑誌のJBL、DSDなども、ヨーステンをポジションから外すことを決定しました。

こうした状況の中で、驚くべきことに先日ヨーステン本人が自身のAcademiaページで声明を発表しました。インターネット犯罪の有罪判決を受けているのに、パソコンにアクセスできるというのは不思議なことだと思うのですが、どうなっているのでしょう。またこの声明では家族や同僚や友人に対する謝罪は書かれているのですが、彼が間接的に加担した犯罪の被害者である子どもたちへの謝罪は書かれていません。
https://www.academia.edu/43435754/Statement

リーズ大学のジョアンナ・スティーベルト(Johanna Stiebert)もまた、ブログポストの中で、ヨーステンがパソコンへのアクセスができることに驚いています。彼女はもともと知り合いでもあったヨーステンに対し、今回のことを非難するメールを書いたのですが、それに対し彼からすぐに返事があったそうです(このブログポストには、スティーベルトがかつて交流したことのある「囚人」とのエピソードなども対比的に書いてあり、とても読ませる内容です)。
http://shiloh-project.group.shef.ac.uk/privilege-beyond-bounds-a-response-to-the-conviction-of-jan-joosten/

公判中にヨーステンは、自分がチャイルド・ポルノへの中毒に陥っていたと述べ、その中毒状態のことを「自分自身とは矛盾する秘密の園(a secret garden, in contradiction with myself)」と表現したようです。これについて、バーネットの有名な小説『秘密の花園』や、旧約聖書の雅歌の一節(4:12「私の妹、花嫁は閉じられた園。閉じられた池、封じられた泉」)を暗示しているのではないか、という指摘があります。そうだとするならば、文学全般、とりわけ彼自身の専門である旧約聖書への度し難い冒涜といえるでしょう。
https://www.csbvbristol.org.uk/2020/06/26/responsible-scholarship/

一連の事態に対し、近接分野の研究者たちはさまざまに反応しています。大方は彼を断罪するものですが、中には、彼の行為は許しがたいが研究上の業績は別物であるという意見もあります。これはたとえば米国カトリック大学のアラム語学者エドワード・クック(Edward Cook)の記事などに見られます。
https://ralphriver.blogspot.com/2020/06/statement-regarding-prof-jan-joosten.html

こうした観点から、インターネット上では、チャイルド・ポルノのような重大犯罪を犯した研究者の学術的な著作を出版したり引用したりするのは倫理的に許されることなのか、という議論に発展しています。この点について、アパラチア州立大学のスティーヴン・ヤングが分かりやすい記事を書いています。この中で彼は上のクックのような半擁護派の言説を紹介したあと、そうした態度は男性の性犯罪者に対する共感的な甘さ「Himpathy(HimとSympathyを組み合わせたKate Manneの造語)」に過ぎないと断じています。そして、「重大犯罪を犯した研究者の人間性と研究成果を区別するなどというのはレトリックに過ぎない」というニューヨーク大学のアネット・ヨシコ・リード(Annette Yoshiko Reed)のツイートなどを紹介しています。愛すべきは犯罪者の業績ではなく犠牲者だろうに、というのがヤングの結論です。
https://religiondispatches.org/love-the-scholarship-but-hate-the-scholars-sin-himpathy-for-an-academic-pedophile-enables-a-culture-of-abuse/

これはひょっとすると私が知らないだけでどの学問分野でも起こっていることなのかもしれませんが、ここ何年か特に聖書学者や古典学者によるチャイルド・ポルノ関係の事件をときどき目にします。古くはミネソタ大学のリチャード・ペルヴォ(Richard Pervo)の事件があります。
https://www.upi.com/Archives/2001/02/13/Kiddie-porn-found-on-profs-computer/1138982040400/
彼はチャイルド・ポルノ所持で2001年に有罪判決を受けたのですが、驚くべきことに2017年に彼の業績を記念する献呈論文集が出版されており、そこにはこの犯罪についての言及がありません。
https://www.mohrsiebeck.com/en/book/delightful-acts-9783161555114?no_cache=1&createPdf=true

他にも近年では、たとえば次のような研究者たちによる犯罪が思い出されます。

アウグスティヌス研究で知られていたヴィラノヴァ大学のクリストファー・ハース(Christopher Haas)は、チャイルド・ポルノ所持で逮捕され、収監直前に自殺しました。
https://www.delcotimes.com/news/villanova-prof-facing-prison-time-for-child-porn-takes-own-life/article_b75d8292-e521-5b97-b0e9-2585ce704cc1.html

ヘブライ語・アラム語文学研究で非常に有名な研究者であるダラム大学のリチャード・ヘイワード(C.T.R. Hayward)も、チャイルド・ポルノ所持で捕まりましたが、禁固刑を免れ、それどころかダラム大学でレクチャーをする機会すら与えられました(大学に雇われているわけではないようですが)。
https://virtueonline.org/durham-uk-convicted-child-porn-theology-professor-back-teaching-university

シンシナティ大学の古典学者ホルト・パーカー(Holt Parker)は、チャイルド・ポルノの所持のみならず、ダディー・クルーエルという名前でそうした画像を頒布してもいたことで逮捕されました。逮捕時に証拠隠滅を図ったことも分かっています。
https://www.cincinnati.com/story/news/2017/01/26/ex-uc-professor-sentenced-thursday-had-child-porn-addiction/97080718/

最後の古典学者であるパーカーはともかく、聖書学者の中には学者であると同時に聖職者でもある者もいるので、これは学問の問題というよりも、映画『スポットライト』で描かれていたような教会の問題でもあるのかもしれません。いずれにせよ、ヨーステンをはじめとする犯罪者たちが厳罰に処されることを望みます。

2020年6月10日水曜日

アブラハムとロトの別れ(1) Rickett, Separating Abram and Lot #1

  • Dan Rickett, Separating Abram and Lot: The Narrative Role and Early Reception of Genesis 13 (Themes in Biblical Narrative 26; Leiden: Brill, 2020), 1-28.

導入

創世記13章はアブラムとロトの別れの物語を伝えている。創世記13章はいかに機能し、またロトは個人として、そしてアブラムとの関係に関していかに特徴付けられるのか。これらの問いに対し、現代の釈義家たちは、創世記13章は潜在的な相続人としてのロトを取り除く機能を持っており、またロトはアブラムに対する倫理的な対比として特徴付けられていると答える。しかし、この答えは正しいのだろうか。

こうした問題を扱うために、著者は研究の方法論として、文芸学的(literary)/物語的(narrative)方法を採る。すなわち、テクストの成立史や歴史学的な問題はひとまず脇に置き、テクストをすでに完成した統一的なものとして、またホリスティックな物語ユニットとして捉えるのである。こうした方法論によるテクスト読解は、共時的なものとなる。

これまで、アブラムとロトの別れは、モアブとアンモンに対するイスラエルの衝突であるとされてきた。また多くの研究者は、創世記13章の機能とはアブラムの潜在的な相続人としてのロトを排除し、また彼をアブラムとの倫理的な対比として描くことだと考えてきた。つまり、アブラムは正しく敬虔な人物であるのに対し、ロトは自分勝手な愚か者とされているという解釈である。

こうした通説に対し、著者は3つの問いを立てる。第一に、ロトをアブラムの相続人であると同時にその倫理的な対応相手であると理解することは、テクストが表していることを最もよく反映しているだろうか。第二に、もしそうした理解がテクスト固有のものでないとすると、そうした読みの起源は何だろうか。そして第三に、そうした理解がベストでないとすると、創世記13章はどのように理解されるべきだろうか。

著者は創世記13章のテクストと初期の受容に目を向ける。すると言えるのは、第一に、上のような現代の釈義家たちの理解は物語の中心テーマを最もよく反映してはいない。第二に、そうした読みはもともと古代のユダヤ・キリスト教釈義家たちがアブラムを守るために発展させたものである。そして第三に、著者はアブラハム物語や創世記全体における創世記13章の位置と機能について、新しい読みを提案する。

ユダヤ・キリスト教釈義家たちは、この箇所をめぐるさまざまな問題に気づいていた。ユダヤ人釈義家はロトをトーラー否定の例として捉え、キリスト教釈義家はのちに彼がソドムから救われることを通して見た。どちらかというと、ユダヤ教の解釈でロトは否定的に描かれている。こうした伝統的な解釈を見ると、現代の釈義家による、アブラムのネガティブな対象相手としてのロトという理解は、テクストそのものが持っているものではなく、アブラムの立場を守ろうとする古代の釈義家の関心を反映したものだと言える。

著者は、創世記13章の新たな読みを提案することで、アブラムに対するロトの関係性を父子関係ではなく兄弟関係(brotherhood)の中に見出すことができると主張する。


第1章

著者は創世記12:4におけるアブラムの召命と13章の冒頭を精読することで、次のようなことを明らかにした。第一に、アブラムが「父の家」、すなわち家族の最小単位を離れるように命じられていること。第二に、ロトはその「父の家」の成員として描かれていること。第三に、アブラムがロトを養子にしたり、自分の相続人となり得ると見なしたりということは言明されていないこと。そして第四に、ロトがアブラムの「家」とは別の「家」の成員であるという描写は、創世記12章にはじまり、13章に続いていることである。

ロトがアブラムの「家」の者であるならば、ロトを連れて行ったことは問題ないが、別の「家」の者であるならば、それは主の命令に反したことになる。創世記12章の家計図によれば、ロトはあくまでアブラムの兄弟ハランの子、またアブラムの父テラの孫として説明されている。つまり、テラの「家」の者であって、アブラムの息子ではない。それゆえに、本来であればロトはアブラムの旅に付いていくべきではない。

13章では、アブラムのみが主の名を呼んで賛美したことや、アブラムとロトがそれぞれに裕福であることなどが語られる。ロトの財産への言及は、彼がアブラムと独立して裕福であり、別の「家」の成員であることを示している。

2020年3月1日日曜日

党派の分裂 Boccaccini, "The Schism between Qumran and Enochic Judaism"

  • Gabriele Boccaccini, Beyond the Essene Hypothesis: The Parting of the Ways between Qumran and Enochic Judaism (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1998), 119-62.


『ダマスコ文書』はクムラン共同体の起源を理解するために重要な文書である。同書はエノク派運動の内部で、義の教師の支持者による特別な党派の存在を前提としている。とはいえ、これ自体はクムラン以前の文書なので、実際には初期エノク派文書とクムランの党派的テクストの橋渡し役と言える。というのも、同書は党派的テクストの特徴を持ちつつも、人間の自由意志をある程度認め、予定説をあまり強調せず、二元論も秀でていない。社会学的観点からいうと、それまでのエノク派伝統よりも厳格な、他のユダヤ人口からの分離を求めつつも、イスラエルの公共の宗教的機関から完全に分離するには至っていないといえる。

『ダマスコ文書』が「ツァドクの子ら」(4:2-4)に言及していることから、クムラン共同体が、分離したツァドク派祭司によって設立されたと説明されることがあるが、著者によれば、これはエノク派ユダヤ教がツァドク派と同じ祭司的環境にあったことによる。

『ダマスコ文書』は、エノク派ユダヤ教のエリートによって、より広いエノク派運動に向けて書かれたものである。彼らはマカベア戦争以後に徐々に自分たちが選ばれた別のグループであるという意識を強めていき、全イスラエルに代わって神の約束を成就させるという使命を担っていると考えるようになった。

クムランではどのテクストが見つからないのかを考えることも重要である:パリサイ派的なテクスト(『ソロモンの詩篇』)、ハスモン朝的なテクスト(『第一マカベア書』、『ユディト記』)、ヘレニズム・ユダヤ教的なテクスト(『アリステアスの手紙』、『第三マカベア書』、『ソロモンの知恵』、フィロンの著作など)、キリスト教的なテクスト(新約聖書など)は見つかっていない。

これら以上に特筆すべきは、後期エノク派文学の不在である。『寝ずの番人の書』、『天文の書』、『夢幻の書』、『プロト・エノク書簡』などは、死海文書のうちでも中心的な存在であったが、『エノク書簡』、『十二族長の遺訓』、『たとえの書』のような、前1世紀頃に書かれたエノク派ユダヤ教の重要文書は、クムランには見られない。党派的テクストも、エノクに関する伝承に関心を失っていることが見て取れる。

クムランでは知られていなかったエノク派文書としては、まず『エノク書簡』がある。『プロト・エノク書簡』はプレ党派的文書だったが、『エノク書簡』は、クムラン共同体以外のグループによって書かれたポスト党派的な文書である。クムランで見つかっている『エノク書簡』断片は『プロト・エノク書簡』の部分のみであり、より長く後代の94:6-104:6部分はない。さらに106-7章が『ノアの書』から採られ、『エノク書』全体のサマリーのようなものとして編纂者によって付け加えられている。

さらに、『プロト・エノク書簡』の思想と違い、『エノク書簡』は神殿、神殿祭儀、祭司制に反対の立場を取っている。とりわけ98:4には、人間は自分の犯した罪の責任があるという、反クムラン的な考え方が見られる。「罪」は人間に責任があるという考えは、『エノク書』全体で言われている、悪は天使に由来するという考えと矛盾しない。なぜなら、罪を「発明」したのは個人なので、個人に責任があるからである。このようにして、『エノク書』全体としては、人間の責任と人間の犠牲という相矛盾する考えが同居することになる。どちらかだけを取ると、神が悪の源になってしまうからである。罪はこの世に輸入されたものなので人間にその責任はないというラディカルな立場は、クムランだけに見られる。

このように、『エノク書簡』の研究は、いかに『プロト・エノク書簡』が修正されたかを見極めることといえる。修正者の目的は、クムランの党派的な神学思想に沿って『プロト・エノク書』を発展させることであった。『エノク書簡』は「選ばれた者」と「悪人」を区別しつつ、それぞれを「貧者」と「富者」と同一視している。このときの「貧者」は個人を重視する『ダマスコ文書』と異なり、社会学的なレベルで包括的な意味を持っている。これは、クムラン的な「分離」の思想とはかけ離れている。「選ばれた者」=「貧者」は、救済されているのではなく、救済の候補者である。

『十二族長の遺訓』は、クムランで見つかっていない。現在の状態がキリスト教的であるがゆえに、その起源からキリスト教文書であった可能性を指摘する研究者もいるが、非ラビ・ユダヤ教的であるからといって、非ユダヤ的であるとはいえない。『十二族長』の非ラビ・ユダヤ教的な要素は「中期ユダヤ教」の多層性に由来する。『十二族長』は、悪が人間以上の存在に起源を持つこと、モーセ以前の祭司伝統、エノクの権威、イスラエルが依然として捕囚の身であること、神殿の回復は終末に実現することなどから、エノク派ユダヤ教の伝統に位置する。

『十二族長』は、クムランの党派的文書とアイデアを共有している。しかし、悪の存在を人間の責任にも帰するという考え方において、非常に異なっている。人間は単なる天使的な罪の被害者ではなく、天使同様に責任ある立場である。善と悪の内的な戦いという、人間に共通するイメージを持つ『十二族長』は、エノク派的伝統よりもさらに普遍主義的なアプローチを取る。

『たとえの書』は最後のエノク派ユダヤ教テクストというわけではないが、クムランの文書と起源を同じくしない最初のテクストである。非クムラン的、さらに言えば、反クムラン的文書といえる。同書の断片はクムランからは見つかっていない。その理由を研究者たちはさまざまに語るが、著者によれば、それは『たとえの書』がクムランとエノク派が分裂したあとに書かれた文書だからであるという。

同書においては、世界は善悪の二元論で説明される。個人の予定論は否定され、『エノク書簡』のように、義人と罪人は貧者と富者と同一視される。堕天使による原罪は、アダムの原罪に取って代わられる。『たとえの書』はJ.C. VanderKamによれば「反転の概念(notion of reversal)」を中心としているという。現世では富者が貧者を虐げているが、終末においてはそれが反転する。

クムランでは予定論的な考え方をするために、メシア待望は中心的ではなかったが、『たとえの書』はダニエル的な「人の子」を悪のエノク的教義における中心人物とみなしている。人の子が先在することで、天使や人の自由を否定しない形で、神がこの世を予見し、支配しているということができる。

このように、クムラン共同体はエノク派文学に関心を失ったわけだが、それはクムランが黙示的でなくなったのではなく、エノク派的でなくなったのである。その結果が『たとえの書』に現れている分裂であった。

『たとえの書』以降のさまざまな党派的テクストも、分裂以後のものである。ペシャリーム、『共同体の規則』、『戦いの巻物』、『会衆規定』などがそれに当たる。そこでは、義の教師、悪の祭司、敵対グループ、内部の反発者グループの存在が示されている。敵対者は、外部の者も内部の者も同様に否定的に描かれる。他のユダヤ教グループからの分離を正当化するために、二元論と予定論が組み合わされる。エノク派から分裂したことで終末論も変化し、終末においてはすべての民がクムラン共同体に統一されることになるという。『共同体の規則』はヤハドのみの規則ではなく、すべての民の規則である。こうして、クムラン党派テクストは、キリスト教に受け継がれる「交替の神学(theology of supersession)」を初めて示した。これらの考え方は、クムラン共同体を外界から完全に分離させたのだった(dualism, individual predestination, and self-segregation)。

クムランの党派的テクストで中期ユダヤ思想の発展において重要な影響を与えたものはない。クムラン外部の党派的テクストは、マサダとカイロ・ゲニザで見つかっている。マサダでは、ヘブライ語『ベン・シラ』と『ヨベル書』断片意外に、党派的テクストとしては『安息日犠牲の歌』が見つかっている。一方で、カイロ・ゲニザでは2つの『ダマスコ文書』写本が見つかっている。この理由は、マサダに関しては、おそらくクムランからマサダにやってきた避難民がこれらの写本を携えていたから、そしてカイロ・ゲニザに関しては、クムラン周辺で見つかった写本をカライ派が書き写し、保存していたからであろう。このように、エノク派文学は、キリスト教徒やラビたちを含め、クムラン外部でも読まれていたが、最もよく読まれていたであろう『ヨベル書』は、最も非党派的なテクストである。エノク派が外界との接触を保っていたのに対し、クムラン共同体は内にこもったのだった。

まとめ:以上のように、エノク派文学からクムラン文学にはひとつの鎖が続いている。『寝ずの番人の書』『アラム語レビの遺訓』『天文の書』(前4-3世紀)から、『夢幻の書』(マカベア戦争)、『ヨベル書』『神殿の巻物』(戦争直後)、『プロト・エノク書簡』『ハラハー書簡』(前2世紀中盤)、『ダマスコ文書』と党派的文書(前2世紀後半から後1世紀)。悪が人間の責任ではないという考えを共有しつつ、『ダマスコ文書』以降は義の教師のもとでエノク派ユダヤ教から独立したグループが生じ、党派的文書の時代にクムランに定住した。

『ヨベル書』および『神殿の巻物』の時代には、クムランにはツァドク派文学からの影響も入った。エゼキエル書を共有しつつ、エノク派とツァドク派はそれぞれの道を歩んだ。しかし、マカベア戦争とともにツァドク派の力は衰え、その文学はユダヤ教の遺産として共有されるようになった。

エノク派の鎖は、クムラン共同体の設立の直前で分離している。クムランの文学をつぶさに観察すると、自分たちの世界観に合致しないテクストを注意深く排除しつつ、合致するものだけを集めていることが分かる。つまり、クムラン文書は偶然の産物ではない。『エノク書簡』、『十二族長の遺訓』、『たとえの書』を持つグループは、そのままエノク派の遺産を受け継いでいった。一方で、クムランの流れはより予定論的な思想を発展させ、過激な少数派となっていった。

2020年2月14日金曜日

クムラン・セクトの形成期 Boccaccini, "The Formative Age"

  • Gabriele Boccaccini, Beyond the Essene Hypothesis: The Parting of the Ways between Qumran and Enochic Judaism (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1998), 81-.117


マカベア戦争期に書かれたダニエル書『夢幻の書』は、クムランの図書館でも権威あるものとして扱われていた。両者は共にジャンルとしては黙示文学(apocalypse)であり、同じ世界観である黙示思想(apocalypticism)を共有している。

エノクが登場する『夢幻の書』は反抗的な天使の罪に起因する悪と不浄の拡散についても言及しているので、明らかにエノク派文書だが、歴史的な観点も持っている。それゆえに、マカベア危機は天使の罪にはじまる劣化プロセス(degenerative process)の帰結と見なされている。同書の核心をなす「動物の黙示録」(エノク85:1-90:42)は、モーセのトーラーについて言及せず、無視している。

ダニエル書も同様の劣化(degeneration)の歴史観を持っている。ただし、劣化は歴史全体ではなくある一時代のことだけと考えている。またエノク派的な悪の教義は共有していない。またダニエル書は、モーセのトーラーと第二神殿の正当性を主張している点で、ツァドク派ユダヤ教の教義に同調している(ただし、ツァドク派の祭司制には批判的なので、クムランでも人気があった)。

こうした違いから、ダニエル書はラビ・ユダヤ教で正典とされ、『夢幻の書』のようなエノク派文学はそうされなかった。またここからダニエル書は黙示的(apocalyptic)でないと見なされることもある。確かに、P. Sacchiのように「黙示的」を「エノク派的」と捉えるならば、ダニエル書はエノク派でないがゆえに「非黙示的(nonapocalyptic)」あるいは「反黙示的(antiapocalyptic)」になってしまう。しかし、J.J. Collinsによると、「黙示思想(apocalypticism)」は単一の派閥ではなく世界観なので、エノク派にもツァドク派にも、さらにはキリスト教徒にも影響を与えたと言える。

『ヨベル書』(4:17-19)は、『寝ずの番人の書』『天文の書』『夢幻の書』に暗示的に言及しているので、マカベア危機のあとに書かれたものである。一方で、『ダマスコ文書』(16:2-4)で引用されているので、前党派的テクストである。思想的には、エノク派ユダヤ教の悪の概念、人間の歴史が反抗的な悪魔的力の影響下にあるという考え、劣化の歴史観を共有している。社会学的にも、ツァドク派ユダヤ教とは異なる祭司制を唱えている点で、エノク派的である。

ただし、以下の2点において、通常のエノク派文書とは異なる。第一に、ツァドク派伝統の主役であるモーセに与えられた書という自己認識がある点である。どのようにエノク派的伝統とツァドク派的伝統を混ぜ合わせるかというと、『ヨベル書』は、人間の行いがすべて書かれた天の書字板があるとする。そして、ノア、アブラハム、ヤコブ、そしてモーセなど、エノク以降の啓示者たちは皆その書字板を見ることで、神の啓示を受け取っていたと説明するのである。それゆえに、父祖たちがのちにモーセに顕かにされた律法を知っていたとしても、それはラビ・ユダヤ教が説明するように律法が先在していたからではなく、彼らが天の書字版へのアクセスを持っていたからだということになる。また完全な啓示はその天の書字版にしかないので、ツァドク派のトーラーはあくまでもその不完全なコピーのひとつにすぎない。そういう意味で、『ヨベル書』はエノク派的伝統とツァドク派的伝統を調和させてはいるが、前者が後者に優越していると見なしている。こうしてツァドク派のトーラーはツァドクの家だけのものではなくなった。

第二に、神の予定論に基づく独特の選びの教義である。『夢幻の書』においては、悪や不浄はユダヤ人も含め、すべての人類に影響するし、逆に救済は非ユダヤ人も含め、すべての人類にもたらされるものとされていた。ここでは「選び」はあいまいである。ところが、『ヨベル書』においては、ユダヤ民族ははっきりと特権的に選ばれた者たちとして描かれている。エノク派的な悪の概念とユダヤ民族の選びを調和させるために、『ヨベル書』はまず神の予定論を強調する。ユダヤ民族は最初から神に選ばれた聖なる民族であった。堕天使は天国と地上の領域を侵犯したことで創造の秩序を汚染したが、ユダヤ民族は選ばれたことで、そうした不浄の世界から切り離されたのである。しかし、ユダヤ民族は常に安全なのではなく、不浄をもたらす倫理的な罪を犯せば、その特権は失われる。このように、『ヨベル書』は浄と不浄、聖と冒涜に取り付かれている。

『ヨベル書』は他にも、太陰暦に対するはっきりとした論争をユダヤ思想の中で初めて表している。『天文の書』でも太陽暦が好まれているが、太陰暦を批判しているわけではなかった。太陽暦はツァドク派とエノク派が共有する第二神殿時代の伝統的な祭司的暦であるが、太陰暦はマカベア危機の時代にギリシアから導入されたヘレニズム的暦である。太陽暦の回復は、選ばれた民を悪の諸民族から切り離すために、『ヨベル書』にとって急務だった。

『神殿の巻物』をY. Yadinは党派的文書と説明したが、多くの現代の研究者は前党派的文書と見ている。『神殿の巻物』は、『ヨベル書』のように、ツァドク派のトーラーと並行するモーセ的啓示として、エルサレム祭司制に反対する祭司グループによって書かれた。共に太陽暦を用いている。しかし、『神殿の巻物』は『ヨベル書』よりも厳格な清浄規定を持っている。神殿の不浄規定と都市としてのエルサレムの不浄規定には差があるのが普通だが、『神殿の巻物』はエルサレムにも神殿並みの清浄さを要求する。ただし、『神殿の巻物』は党派的な分離を目指しているのではなく、イスラエル全体が等しく清浄であることを求めている。

『エノク書簡』(『エノク書』91-105章)の成立は複雑だが、前2世紀にクムラン共同体は、「週の黙示録」(93:1-10; 91:11-92:1)を含むプロト『エノク書簡』とでもいうべきものを持っていたはずである。成立時代にはさまざまな議論があるが、おそらくマカベア以降と考えられる。この文書は、エノクが息子たちに送った3つの語りでできている。このうちの第二の語りが「週の黙示録」に当たる。

そこにおいて『ヨベル書』や『神殿の巻物』の伝統と大きく異なるのは、多数派が忘れた知恵を受け継ぐことになる小数の選ばれたグループという考え方である。彼らは完全にイスラエルから分離したわけではないが、いわば選ばれた者たちのうちからさらに選ばれた者たちである。彼らの時代には、第一に、イスラエルが回復して新しい神殿が建設され、第二に、人類が回復し、第三に、最後の審判と共に原始の時代に戻り、新たなる創造がなされる。

イスラエルの民への忠誠心を裏切ることなく、エノク派は、神の意思と真の解釈と彼らが考えることを実行するために、イスラエルの改心を待つ必要はなくなった。選ばれた者たちからさらに選ばれた者たちとして、ユダヤ教の内部で分離したアイデンティティを持った。

『ハラハー書簡』は、分離したグループ(われわれグループ)が権威を持つ者(あなたグループ)に対し、多数派(彼らグループ)からの分離の理由を説明する文書である。律法解釈については、『神殿の巻物』のそれと比較可能である。『ハラハー書簡』によれば、ユダヤ民族はいまだ捕囚の状態にあり、現在は新しい創造へと導く最後の出来事の始まりであるという。L.H. Schiffmanは、『ハラハー書簡』にはのちのラビ・ユダヤ教がサドカイ派に帰するハラハー理解があるが、それはツァドク派ユダヤ教とエノク派ユダヤ教が共に祭司的なルーツを持つからである。「われわれグループ」が多数派である「彼らグループ」から分離したのは、自ら課した分離であって、孤立ではない。「われわれグループ」はいまだに自分たちをイスラエルの一部と考えている。これらはクムラン・グループそのものではなく、クムランの親グループである。

2020年2月7日金曜日

歴史記述的分析と系統的分析 Boccaccini, Beyond the Essene Hypothesis, Chs 2-3

  • Gabriele Boccaccini, Beyond the Essene Hypothesis: The Parting of the Ways between Qumran and Enochic Judaism (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1998), 21-79.

第2章:歴史記述的分析(hisotriographical analysis)

ユダヤ人作家であるフィロンおよびヨセフスが語るのは、パレスチナ地方におけるエッセネ派共同体のネットワークであり、非ユダヤ人作家であるプリニウスおよびディオン・クリュソストモスが語るのは、死海近くの単一のエッセネ派共同体である。これらは、エッセネ派運動の歴史における二つの異なる段階というわけではなく、同時代の別の共同体である。つまり、エッセネ派とはパレスチナにおける諸共同体の幅広い運動であり、その複雑さはユダヤ人作家には知られていた。一方で、死海近くに住む特定のエッセネ派共同体は、プリニウスやディオンのような非ユダヤ人作家の興味を引いたのだった。

ユダヤ人作家と非ユダヤ人作家の描写を比較すると、いくつかの興味深い要素が浮かび上がる。第一に、ユダヤ人作家は死海近くの特定の共同体について触れず、非ユダヤ人作家はパレスチナ全体のネットワークについて触れていないが、両者は共にエッセネ派という名前を使っている。第二に、非ユダヤ人作家によって記録された死海の共同体に関する要素のすべてには、ユダヤ人作家によって記録されたパレスチナの諸共同体にも並行する記述が見られる(逆はそうではない)。第三に、死海近くの共同体は、パレスチナの諸共同体よりも過激化しており、他者からの孤立化、特殊化を示している。そして第四に、非ユダヤ人作家は外部の視点からなるべくセンセーショナルな事柄を求めて死海近くの共同体のことを記述しているのに対し、ユダヤ人作家はユダヤ思想を最もよく体現するものを描くという目的に合致するものとしてパレスチナの諸共同体のことを説明している。

短く言えば、歴史記述的分析により分かることは、プリニウスやディオンによって描かれた死海の共同体とは、フィロンやヨセフスによって描かれたより広いエッセネ派運動の内部にいる、過激で少数派のグループである。


第3章:党派以前の歴史の系統的分析(systemic analysis)

クムランの図書館は、世俗的・非ユダヤ的文書がない(のでヘレニズム的な知の集成ではない)こと、また同じ文書が複数所蔵されている(ので個人の所有ではない)ことから、クムランに住む単一のグループに属するユダヤ教宗教文書のコレクションと言える。ただし、単一のグループの持ち物であるからといって、単一の神学を示すとは限らない。それは書物の持ち主であること(ownership)と著者であること(authorship)を混同している。クムラン共同体は書物の持ち主であって、必ずしも著者ではないので、複数の神学を反映していても不思議ではない。

これを分類するのに、(1)聖書文書、(2)外典・偽典、(3)これまで知られていなかったテクスト、という区分を用いるのはアナクロニズムである。『エノク書』と『神殿の巻物』は現代では、その存在が前から知られていたかどうかという基準の下に、前者が第二の区分に、後者が第三の区分に分類されるが、これはクムランの住民にとってまるで意味を成さない。より中立的な区分は以下のように言える:

(1)同種のテクストのグループで、独自のアイデンティティをもった単一の共同体の産物であり、ownershipとauthorshipが重なるテクスト
(2)党派性はわずかで、時系列的にも思想的にも「死海文書の共同体」の形成期に属し、ownershipが必ずしもauthorshipと重ならないテクスト
(3)党派性がなく、聖書に代表されるテクストで、ownershipがauthorshipと重ならないテクスト

これらのテクストを系統的に分析すると、通時的に見て、より古いテクストはより党派性が薄いことが分かる。時を経るにしたがって、共同体は注意深く所有するテクストを選定し、自分たちの考えを代表するものを意図的に残したのだった。つまり、死海文書は党派的グループの組織立った図書館の残りなのである。

死海文書とその他の第二神殿時代の文学を分けるのは、宇宙論的二元論、個人の予定論、不浄と悪の同一視に基づく独特の悪理解である。宇宙的二元論(cosmic dualism)はこの世を、「光の王子」率いる善玉と「闇の天使」率いる悪玉に二分する。ただし、クムランの二元論では、神ははっきりと善玉の味方であり、悪玉は神から離れた自主性はないので、二元論は最終的に善が悪を倒すことになる。死海文書は、宇宙はすべて神の制御下にあると考えている。

予定論(predeterminism)は神の全能性を強調し、人間の自主性を否定的に捉える。ただし、個人の運命は、個人の中にある悪に対し、善がどのくらいの割合があるか(善6:悪3、善1:悪8、善8:悪1など)で決まる(4Q561)。人間に自由がないことは、共同体のメンバーにとっては、神との絆が強まることとして喜ばれた。

不浄と悪の同一視。祭儀的な「不浄」が道徳上の「悪」と同一視される。つまり、罪ある人間は存在論的に不浄であり、不浄さは人間を罪ある状態にする。すべての人間はその本性から不浄であり、それゆえに、彼らはその本性から悪なのである。神の選びによって義とされない限りは。悪と不浄の同一視は、一方で、贖罪と浄化の同一視にもつながる。こうした清浄な状態は、共同体が他の人間たちから孤立することによって保たれる。その外部では神の義が不可能になるからである。

クムランから出たマカベア戦争前の文書を、時代錯誤的でなく分類するためには、「ツァドク派的」「エノク派的」という用語を使う必要がある。「ツァドク派的文学(Zadokite literature)」は、エステル記やダニエル書以外のほとんどの聖書文書や、外典文学などを含む。聖書文書はさまざまな時代に作成されたが、それらはペルシア時代や初期ヘレニズム時代にエルサレム神殿の権威(=ツァドクの家の大祭司)によって集められ編纂された。クムランのツァドク派文学には、『シラ書』15:14bを除いて、党派的な編集などはなされておらず、権威あるものとして引用されたり暗示されたしている。

「エノク派文学(Enochic literature)」である『エノク書』は、クムランでアラム語断片が発見されるまでは、マカベア戦争後の文学と考えられていたが、最初期の部分である「寝ずの番人の書」(6-36章)と「天文の書」(73-82章)はマカベア戦争以前にさかのぼることが明らかになった。エノク派文学の重要性は、ツァドクの時代にあっても園権威に従わない祭司の伝統があったと知らせてくれる点である。

ツァドクの祭司たちは、自分たちが神の領域であるエルサレムの神殿を不浄な世界から清浄に保つことで、善なる神の秩序を守っていると考えていた。これに対し、エノク派文学は、反抗的な天使たちが悪や不浄の伝播の原因であり、彼らが人類に秘密の知識を明らかにするという違反を犯したために、神の創造が汚されたと考えた。この罪は大洪水の後にも消えず、悪霊としてこの世をさまよっている。そして悪の伝播は天使に起因するものなので、人間の手には負えない。つまり、ツァドクの祭司たちが持っている清浄化の力などは幻想であり、悪や不浄には人間の力は及ばないのである。またツァドクの祭司がアロンを祖とし、またモーセに権威を見ることに対し、エノク派文学はより古いエノクに権威を帰している。

ではツァドク派とエノク派の分裂はいつのことだったか。それはエノク派文学が文書として成立するより前に違いない。Ben Zion Wacholderは、エゼキエルこそが反ツァドクの最初であるとする。「寝ずの番人の書」はエゼキエル書にきわめて似た内容を持っている。ただし、エゼキエルの影響は、エノク派ユダヤ教だけでなく、ツァドク派ユダヤ教にも同程度見られる。ツァドク派が神の秩序が第二神殿の完成によって回復されたと考えるのに対し、エノク派は回復はいまだなされていないと考える。「寝ずの番人の書」の分析により、Paolo Sacchiは両派の分裂は前4世紀のこと、Michael E. StoneおよびDaivd W. Suterは前3世紀のことだったと主張している。いずれにせよ、エノク派ユダヤ教は反ツァドク派的な祭司のサークルから生じたといえる。エノク派は、サマリア人と異なり、分離派のグループではなく、神殿エリート内部の反対派だったのである。