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2019年9月12日木曜日

聖書翻訳の中のラビ伝承 Kraus, "Rabbinic Traditions in Jerome's Translation"

  • Matthew Kraus, "Rabbinic Traditions in Jerome's Translation of the Book of Numbers," Journal of Biblical Literature 136.3 (2017): 539-63.

ヒエロニュムスはラビ文献を直接読んだわけではないが、タルグムやミドラッシュやタルムードに保存された口頭伝承へのアクセスを持っていた。かつてはラビ伝承のためにウルガータを研究することは、場当たり的で方法論を欠いていた。単純にミドラッシュ的な自由な敷衍訳をしてあるところには直接的なラビ的影響があると考えるという姿勢だった。しかし、それはヒエロニュムスの翻訳底本である聖書のVorlageの違いかもしれない。こうした研究はウルガータを聖書注解としてよりもヘブライ語の解釈として読もうとしている。そこでは、翻訳者を文化のメディエーターとして見るという視点がない。この論文は、ヒエロニュムスがユダヤ的な知識や情報提供者を用いつつ、聖書翻訳を通じて聖書解釈をしていたという可能性を追求する。聖書注解にラビ伝承を入れ込んだように、聖書翻訳にもそうしていたのではないか。

こうした観点からの研究には、C.T.R. Hayward, Friedrich Avemarie, Sebastian Weigertらのものがある。Adam Kamesarによると、『創世記のヘブライ語研究』はすぐのちに始まった聖書翻訳のための新しい文献学的システムを防御するために書かれたものだというが、Haywardは、同書中の創世記の訳文とウルガータ創世記の訳文にはかなりの相違があるため、『研究』で取り入れたラビ伝承をウルガータでは避けたと主張する。しかし、論文著者はウルガータの中にさまざまなラビ伝承があることを示してみせる。さらに、そもそも『研究』とウルガータの訳文が異なるのは、前者が注解という性質上さまざまな可能性を残せるのに対し、後者は翻訳としてひとつの訳文を選択しなければならなかったからである。いわば、ヒエロニュムスの基本路線であるrecentiores-rabbinic philologyは彼の聖書翻訳をも導いていたといえる。

ヒエロニュムスが注解を書いていない聖書文書の翻訳から、どのようにラビ伝承を確実に抽出すべきか。論文著者は、まずそれが普通でない翻訳であることを確定し、それとギリシア語訳のテクスト伝承との関係を定義し、比較可能なラビ伝承を探し、そしてヒエロニュムスの他の著作から彼がその伝承を知っていたかを確認する、という手順を提案する。

具体例を挙げる段階では、たとえば専門用語に注目したり、ラビの聖書解釈テクニック(たとえば聖書のひとつの単語を2つの単語で言い換えたりすること)と同じものを探したり、古代末期の文脈でのラビの聖書解釈を見つけたりしている。中でも興味深いのは、民数記24:24において「キッティーム」を「ローマ人」と同一視する解釈は、死海文書の『ハバクク書ペシェル』にも見られるものである。『ダニエル書注解』11:30-31でも同様の解釈をしている。もうひとつ興味深いのは、民数記10:5-7におけるラッパの音の違いを訳し分けており、それが『ミシュナー』「ローシュ・ハシャナー」4.9や『ピルケー・デ・ラビ・エリエゼル』32でのラッパの音の違いに関する説明にも見られる点である。おそらくヒエロニュムスは実際にショファールを見たことがあったに違いない(ただしそれがローシュ・ハシャナーと結びついていることまでは知らなかったようである)。

Megan Hale Williamsは、ヒエロニュムスが自分の翻訳にラビ的影響があることを公言するのは、自己構築の現れであると主張した。ヒエロニュムスがユダヤ学習やユダヤ人を描いてみせたり否定してみせたりするのは、修道者として自らを作り上げるプロセスにおける肉付けだというのである。さらにWilliamsは、ヒエロニュムス自身が説明するユダヤ人やユダヤ学習との交流を研究することと、実際の交流関係を研究することとは異なるという、方法論的に重要な指摘もしている。そしてそれゆえに、ヒエロニュムスのユダヤ学習の展開は、ユダヤ教とキリスト教の間に橋ではなく壁を作ったと主張するが、論文著者はこれに反論する。なぜなら彼の翻訳の方法論は境界を越えることを要求するものであるため、これはまさに壁ではなく橋をかけているといえるからである。

George Steinerによると、翻訳プロセスの四段階は、信頼trust、攻撃aggression、結合incorporation、互恵reciprocityであるが、ヒエロニュムスが「攻撃」に留まったままだったのに対し、オリゲネスは「互恵」の段階に達していたと考えられる。

ウルガータ中のラビ伝承は次のように同定される。ヘブライ語とラテン語の普通でない不一致があること。ラビ文学の中にユニークで比較可能な伝承があること。ウルガータの外部の資料(注解など)にラビ伝承の知識について言及があること。基本的には文献学的な翻訳であるが、ときにラビ的な解釈が適用されることがあるという点では、タルグム・オンケロスとの類似が指摘できる。ただし、さまざまな影響を含んでいるので、Adam Kamesarによる「改訂者的・ラビ的文献学(recentionres-rabbinic philology)」という表現の方がより適切である。またヒエロニュムスの実際の翻訳へのユダヤ的影響と、自己構築のためのユダヤ的影響への言及を区別するというWilliamsの主張も再考が求められる。

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