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2018年12月1日土曜日

ヒエロニュムスの出エジプト記翻訳研究#1 Kraus, Jewish, Christian, and Classical Exegetical Traditions

  • Matthew A. Kraus, Jewish, Christian, and Classical Exegetical Traditions in Jerome's Translation of the Book of Exodus: Translation Technique and the Vulgate (VCS 141; Leiden: Brill, 2017), 1-14.

最新のヒエロニュムス研究書の序章"Jerome and Translation Technique"より。これまでウルガータ聖書研究は、漠然と翻訳としての良し悪しや正確さ不正確さといったカテゴリーで語られてきたが、本書は出エジプト記という特定の書物に関してヒエロニュムスが取った翻訳的な動きを厳密に検証することで、翻訳のプロセスを論じるという新しいアプローチを取っている。

さらに詳しく言えば、本書は第一に、ヒエロニュムスが翻訳に際し「改訂者的・ラビ的文献学(recentiores-rabbinic philology)」を取っていること、そして第二に、彼の翻訳の方法論と結果は古代末期の文脈を反映していることを明らかにする。「改訂者的・ラビ的文献学」とはAdam Kamesarの用語で、ヒエロニュムスがラビ的伝統と対話しつつ、古典文学やアンティオキア学派の文法理論(文献学)を、七十人訳、古ラテン語訳や諸改訂(アクィラ、シュンマコス、テオドティオン)の分析に結合させたことを指す。

著者はまず七十人訳の翻訳技法の研究をまとめる。この分野は、第一に、自由訳と逐語訳を区別する基準を明らかにしており、第二に、翻訳が依拠しているのは逐語的技法か、ヘブライ語の原型(Vorlage)か、それとも釈義的翻訳かを明らかにしており、そして第三に、翻訳学と七十人訳研究の新しい相乗効果を刺激している。

逐語訳と自由訳。ここでは、James Barr、Emanuel Tov、そしていわゆるフィンランド学派(Ilmari Soisalon-Soininen, Raija Sollamo, Anneli Aejmelaeusら)が取り上げられている。Barrは、逐語訳はテクニックの問題だが自由訳は実態的な方法論とはなり得ないと考え、専ら逐語訳について議論した。Tovも逐語訳の基準を統計学的に評価しようとした。Tovとフィンランド学派が逐語訳に注目したのは、本文批評的な理由である。つまり、逐語的な翻訳者が自由訳をしているのは実際には別のVorlageの可能性が高いのである。フィンランド学派はさらに、量的な分析と質的な分析を統合しようとした。

翻訳技法と釈義。W. Edward Glennyは、MTとLXXとの違いを説明するためにあらゆる可能性(違うVorlage、誤読、翻訳技法、転写の歴史、釈義など)を捨てないマキシマリストの立場を取った。そして、七十人訳における翻訳技法に対して、テクスト的アプローチと釈義的アプローチがあるとした。テクスト的アプローチは、翻訳者が原典に忠実であり、相違がVorlageの問題であることを前提とする。一方で釈義的アプローチは、翻訳者が聖書の読みや解釈の知識を翻訳に持ち込み、ミドラッシュ的な釈義技法をテクストに加えることを前提とする。この2つのアプローチを用いることで、Glennyは逐語訳のみならず自由訳の度合いについても扱えるようになった。統計学的な逐語訳の分析だけでは、翻訳のダイナミズムを見失うのである。

さらにGlennyは、翻訳技法の研究のために次の5つの点に注意を喚起している。翻訳技法は、第一に、翻訳技法は評価的ではなく記述であり、第二に、共時的なのものとして翻訳者と読者の文脈が考慮されるべきであり、第三に、パロール(個人的な発話行為)から検証されるべきであり、第四に、起点言語と目標言語の構造の比較分析を伴うものであるべきであり、そして第五に、起点言語を出発点とするべきである。

七十人訳の翻訳技法と翻訳学。Gideon Touryは、テクスト生成とテクスト受容の区別に基づいた記述的な翻訳研究を求めた。彼はさらに、翻訳の文化的な位置としての「機能」に注目した。これは、テクスト生成時よりも受容時のことの方が知られている七十人訳研究には適切なやり方である。七十人訳の場合、翻訳技法の再構成は不確かなものにならざるを得ない。それゆえに、より翻訳の一般的な特徴に関する理論的なモデルは、翻訳プロセスの解明に役立つ。Raija Sollamoは、Touryの理論に依拠しつつ、七十人訳によって、起点言語による目標言語への影響(干渉)の普遍的規範、暗示の明示(補足)、非定型の語彙パターニング、目標言語の過小評価などが明らかになると述べる。こうした規範は逐語訳にも自由訳にも適用できる。

Theo A.W. van der Louwは、翻訳に関する要素をいかに説明するかを論じている。彼のアプローチは、翻訳者の性格や文脈、翻訳者と翻訳の社会的・歴史的・文化的な文脈全般を分析している。変化を分類することは古代の聖書翻訳の分析にとって重要である。そしてとりわけVan der Louwの方法論が特徴的なのは、マソラー本文と比較する前に、七十人訳を独立したテクストとしてまず分析したことである。そうすることで目標言語の視点からギリシア語を理解することができる。その上で、マソラー本文との比較によって得られた変化をカテゴリー化し、本文批評的な発見を吟味し、一番最後に翻訳上の釈義的・イデオロギー的な要素を分析する。

以上のように七十人訳の翻訳技法の研究は、ウルガータの研究のためにも、Vorlageの問題とヒエロニュムスの起点テクストへの関わりの問題を考えることが重要だと知らせてくれる。しかしながら、七十人訳とウルガータの両者には決定的な違いもある。すなわち、七十人訳の翻訳者は無名であるために、彼らの活動時期、来歴、背景、性格、翻訳技法を知るために翻訳そのものしかデータがないが、我々はヒエロニュムスの教育、歴史的文脈、神学的興味、古典学からの影響、ユダヤ人情報提供者、解釈技法への通暁などを知っている。彼のVorlageとして、ヘブライ語テクスト、七十人訳、古ラテン語訳、「校訂者」などさまざまなものがあったことも知っている。そのうえ、彼は自身の翻訳技法について著作の中で言及すらしている。七十人訳の翻訳プロセスにおいては、文法、辞書、コンコルダンス、注解もなかったが、ヒエロニュムスは文献学の訓練、オリゲネスの『ヘクサプラ』、ラビ、先達者の注解、先行する諸訳を持っていた。

ここから、ウルガータは一般的には翻訳技法を分析するための、また各論的には釈義的翻訳を分析するための豊かなリソースとなり得ることが分かる。

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