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2015年12月2日水曜日

ヘロドトス『歴史』の方法論とジャンル Luraghi, "Meta-historie"

  • Nino Luraghi, "Meta-historie: Method and Genre in the Histories," in The Cambridge Companion to Herodotus, ed. Carolyn Dewald and John Marincola (Cambridge: Cambridge University Press, 2007), pp. 76-91.
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Carolyn Dewald

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ヘロドトスの記述の中には、歴史文学においては稀なことに、しばしば一人称で語り手が登場する。これは、他の多くの歴史家が、自分がある情報をどこで手に入れたかを問題にしないことが多いのに対し、ヘロドトスは情報入手のプロセスを語るために、一人称を必要とするからである。論文著者は、情報を集めて評価するプロセスに関する一人称と、「~人が言うところでは」という三人称とを同時に用いることを、「メタ・ヒストリエ」と呼んでいる。本論文は、このメタ・ヒストリエがヘロドトス『歴史』の中でどのように機能しているかを検証したものである。

ヘロドトスの歴史記述には三つの基礎があって、それらは、第一に口頭での情報(アコエー)、第二にヘロドトス自身の目撃証言(オプシス)、そして第三にヘロドトス自身の調査(グノーメー)である。オプシスがヘロドトス自身の経験に根差したものであり、グノーメーがヘロドトス自身が調査して正しいと考えているものであるのに対し、アコエーは必ずしもヘロドトスが正しいかどうか確信があるわけではなく、真実であることを保証しないものである。オプシスとアコエーは、ソクラテス以前の哲学者であるエフェソスのヘラクリトスによっても用いられている方法であったが、これらの方法論だけではヘロドトスの『歴史』を説明できない。そこで、論文著者は、アコエー、すなわち口頭伝承に注目している。

口頭伝承の収集というと、まるでヘロドトスが現代的な科学的な態度で、異なる版を比較し、情報提供者の妥当性を吟味し、情報の流通経路を確かめたかのように見えるかもしれない。実際に、植民地時代以前のアフリカの歴史を再構成するために、口頭伝承に注目したJan Vansinaなどは、ここで言うところの科学的な態度によって、口頭伝承の伝達や機能を分類することに成功した。しかしながら、ヘロドトスにおける語り手による情報提供者への言及を文字通りの意味で取ることはできない。なぜなら、ヘロドトスにおける口頭伝承の情報には、二つの傾向があるからである:第一に、ある民族グループが、いつでも彼ら自身の国で起こったことや、彼ら自身の先祖に起こったことのために引き合いに出されること、第二に、そうしたグループは自分たちを有利な立場にする説明のみを提供していることである。これらから見て、ヘロドトスが情報を得たとしている情報提供者を、現代的な意味でのそれを信じるわけにはいかない。彼は、読者によって期待されている関心や観点を、口頭伝承として提供しているのである。そのときにヘロドトスがあえて情報提供者を出すのは、彼が読者をだまそうとしているというよりも、自分自身をその情報から引き離すためなのである。また、ヘロドトスが他の歴史家からの引用をほとんどしなかったのは、当時は書かれた記録よりも、こうした口頭伝承の方が読者により信頼されたからであると考えられる。

さて、ヘロドトスがメタ・ヒストリエという方法論を採った理由のひとつは、読者の期待に沿うためだったわけだが、もう一つジャンルの問題がある。彼はメタ・ヒストリエの語り手として、自身や読者が必ずしも信じることを求められていないような説を挙げているが、それは、通常ならば文学のジャンルに縛られて語れないようなことを語るためであった。ホメロスがトロイア戦争で語っている内容には異説があるわけだが、ホメロスは叙事詩に適した説のみを歌っている。それぞれの文学ジャンルは、それぞれ語るに適切な内容を選ぶのである。ヘロドトス以前の歴史ジャンルは神話を扱っていたので、叙事詩と変わらない内容であった。しかし、メタ・ヒストリエの方法を用いることで、ヘロドトスは他の文学ジャンルとの違いを示したのである。また複数の語り手を出すことで、他の文学ジャンルであればそのジャンルに縛られて省いてしまうような内容をも語れるようにし、読者に判断を委ねたのだった。

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