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2015年12月17日木曜日

ユリアヌスがエルサレム神殿を再建しようとしたのはなぜか? Lewy, "Julian the Apostate and the Building of the Temple"

  • Yohanan (Hans) Lewy, "Julian the Apostate and the Building of the Temple," in The Jerusalem Cathedra: Studies in the History, Archaeology, Geography and Ethnography of the Land of Israel, vol. 3, ed. Lee I. Levine (Detroit, Mich.: Wayne State University Press, 1983), pp. 70-96; originally published in Zion 6 (1940/41), pp. 1-32 [Hebrew].
本論文は、ローマ皇帝ユリアヌスが後363年初頭にどうしてエルサレムにユダヤ教の神殿を自費で再建しようとしたのかを、特にその神学的な側面に注目して検証したものである。著者はそれをするのに、ユリアヌスからユダヤ人たちに宛てて書かれた2通の手紙を主たる参考文献としている。

ユリアヌス以前の思想状況。キリスト教の歴史理解においては、ダニエル書(9:27)やイエスによって預言された第二神殿の崩壊が成就したことから、イスラエルの選ばれた民という肩書は無効になった。これに対し、新プラトン主義者のポルフュリオスは、モーセ五書もギリシア文化もキリスト教に属するものでないこと、またキリスト教のダニエル書理解は間違っていることを証明しようとした。しかし、エウセビオスはポルフュリオスに反論し、新約聖書において成就されていない預言など一つも存在しないことを組織的に証明しようとした。そしてユリアヌスの目的は、哲学的にポルフュリオスの方法論に則りつつ、エウセビオスによって拡張されたキリスト教の歴史神学の土台を破壊することだった。

犠牲の政治的・宗教的側面。ユリアヌスはローマ帝国の一体化のために、市民が皇帝に犠牲を捧げることを望んでいたが、キリスト者たちは異教の神々に祈ることを嫌い、それを拒否していた。ユダヤ人は神殿を再建して犠牲祭儀を復活させることを望んでいたので、エルサレムにおける神殿再建はユリアヌスの意図とも合致していた。いうなれば、この犠牲の問題がユリアヌスにエルサレムにおける神殿再建を思いつかせたのであり、こうしたユリアヌスのユダヤ人に対する好意は、実はキリスト教に対する反発から来ていたのである。また犠牲は、ユリアヌスにとって、こうした政治的な意味のみならず、イアンブリコスに代表される新プラトン主義における「弁解の犠牲(sacrifice of pleading)のような宗教的な側面も持っていた。祭司が神に犠牲を捧げるユダヤ教は、この宗教的な側面ともよく調和するのである。

ユリアヌスのユダヤ人理解。ユリアヌスのユダヤ教贔屓には、キリスト教の歴史神学を破壊すること、そしてユダヤ教の犠牲祭儀をローマ式に更新することという2つの理由があったが、彼はユダヤ教のすべてを肯定したわけではなかった。彼は律法における戒律を称賛したが、ユダヤ教の神理解を批判した。特に十戒の第二戒であるヤハウェ以外に神なしという掟には反発した。ユリアヌスにとってユダヤ人とは、部分的な真理を持った、神を畏れる者たちなのである。すなわちユダヤ人は、物質世界を支配する神――ギリシア人は別の名であがめる神――の掟を遵守するという意味では正しいが、他の神々を拒否し、自分たちだけが選ばれたと考えているという意味では誤っているのである。

ユリアヌスの神学。ユリアヌスはユダヤ人の神を、イアンブリコスを通じて、プラトン『ティマイオス』におけるデミウルゴスとして理解していた。世界の創造主たるデミウルゴスは他の神々に人間の支配を委ね、一方でこの神々はそれぞれの民族に掟を与えたのである。それゆえに、世界にはたくさんの宗教が存在するようになった。つまり、ユリアヌスはユダヤ人の神を唯一で特別なものと捉えずに、ギリシア人が別の名で呼ぶ最高神のことだと解釈したのである。そしてこの最高神がエルサレムに住まう神であるならば、神殿を再建しなければならないと考えた。ただし、当然ながらこれはユダヤ人自身による唯一神教的な理解とは異なるものである。デミウルゴスはあくまでたくさんの神々の中で最も偉大な神であるだけである。ユリアヌスは、ゼウス、ヘリオス、セラピスなどを統べる最高神としてユダヤ人の神を捉えることで、排一神教的な信仰を作り出し、すべてをローマの国教システムの中に組み込もうとしたのである。

ユリアヌスの聖書解釈による神理解。ユリアヌスによれば、モーセや預言者たちは哲学の学習によって知性の力を磨かなかったので、神に関する不正確な知識しか得ることができなかった。しかしながらユリアヌスは、モーセより以前のアブラハム、イサク、ヤコブとは、実際には新プラトン主義者たちが伝えているカルデアの魔術師(Chaldean theurgists)たちのことだと述べている。言い換えると、ユリアヌスはユダヤ人の神に関して、カルデアの父祖たち(アブラハム、イサク、ヤコブ)の伝統を受け入れたが、モーセや預言者たちの伝統を拒絶したのである。

神殿再建とユリアヌスの神学。このように、ユリアヌスはユダヤ人の神を、ヘリオスに代表されるさまざまな名を持ったローマ帝国の神であると考えたのだったが、それはあくまでキリスト教を否定するためだった。そこで彼は、第一に、キリスト者が学校教師になる権利を剥奪し、第二に、エルサレムの神殿を再建しようとした。神殿を再建することで、ユリアヌスはユダヤ人の神を異教の神々のヒエラルキーの中に位置づけようとしたのである。ユリアヌスはペルシア遠征における勝利をユダヤ教の神のおかげと考えていた節もあり、神殿再建はその感謝のしるしであったともいえる。ユダヤ教の神はローマの神々の中に組み込まれているので、ローマ帝国を救った神として、感謝されるのは当然なのである。

エルサレム神殿の再建というユリアヌスのアイデアは、ユダヤ教が帝国内の他の宗教ともはや矛盾せず、異教の中に位置づけられるに値するものであると考えられていたことを意味している。ユリアヌスはユダヤ教の実践の内的な部分ではなく、あくまで外的な見た目のみを変えようとした。彼はユダヤ人の聖書における誤謬を笑いつつも、彼らが拝む最高神とモーセや預言者の神とを区別し、その最高神こそが異教の神々を統べる者であるとした。いうなれば、ユダヤ教の十戒は、他の神々の存在を否定する第二戒を除いて、異教のそれと異なることはないのである。このようにしてユリアヌスは、皇帝の宗教とユダヤ教との妥協点を見出した。彼はユダヤ人が自分たちの神を拝むのをやめることを望んだのではなく、エルサレムに住まう自分の神を拝みつつ、その神に仕える他の神々もまた存在していることを認識してほしかったのである。この考え方は、エズラ記のキュロス王にも比較され得る。

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