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2012年2月9日木曜日

エウセビオス、七十人訳と他の翻訳者たち


  • Dominique Barthélemy, "Eusèbe, la Septante et 'les autres,'" in La Bible et les Pères: Colloque de Strasbourg (1er-3 octobre 1969), ed. André Benoit and Pierre Prigent (Paris: Universitaires de France, 1971), pp. 51-65.

B000Z9UULALa Bible et les Pères: Colloque de Strasbourg (1re-3 octobre 1969)
André Benoit
Presses Universitaires de France 1971
by G-Tools

七十人訳の研究者であるバルテルミーが、エウセビオスを中心としてオリゲネス、ヒエロニュムスらの七十人訳成立縁起の解釈を比較した論文を読みました。この論文は、次のアンソロジーにも採録されています(pp. 179-93)。おそらくこちらの方が手に入りやすいかと思います(同志社の図書館にはこちらの本が収蔵されてました)。

  • Dominique Barthélemy, Études d'histoire du Texte de l'Ancient Testament (Orbis Biblicus et Orientalis 21; Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 1978).

2827101351Etudes d'histoire du texte de l'Ancien Testament (Orbis biblicus et orientalis) (French Edition)
Dominique Barthelemy
diff. J. Gabalda 1978
by G-Tools

一応読み通したのですが、どうもよく分からないところがちょこちょこ出てきたので、以下備忘用のメモになります。エウセビオスの『詩篇注解』など注解書の内容に関して、彼のオリジナリティを検証するのはかなり難しいようです。というのも、写本伝承上の欠損があるため、正確なUrtextを再構成するのが難しいことが挙げられます。しかしいくつかの証拠から、バルテルミーはエウセビオスの注解に対するオリゲネスの影響を認めて、次のように述べています。
Lorsque nous attribuerons une opinion à Eusèbe, il nous faudra donc toujours envisager la possibilité qu'elle ait été déjà formulée par Origène. (p. 53)
また、七十人訳の成立縁起に関しては、アウグスティヌス、エウセビオス、ヒエロニュムスの三者の言説を紹介したのち、ふたたびオリゲネスとの比較をしています。七十人訳とヘブライ語テクストとの間には文言の相違があるわけですが、なぜそのようなことが起こるかというと、アウグスティヌスによれば、文言の違いは七十人訳者のせいではなく、写本の伝承の過程で写字生がミスをしたという説明になります。一方エウセビオスやヒエロニュムスらは、それは七十人訳の翻訳者であるエルサレムの長老たちが、異教徒であるプトレマイオス王に聖書の真理が知られることがないように、文言を改変して翻訳したからと考えました。かつまた、(旧約)聖書に預言されているメシア(=イエス)の到来は翻訳の時点でははるか先のことであり、訳者たちはそのことを隠しておかなければならなかったわけです。バルテルミーは、こうしたエウセビオスやヒエロニュムスの説明もまた、オリゲネスの影響を受けていると述べています。
Lorsque Eusèbe dira que les Septante ont "dissimulé le sens" parce que "notre Sauveur n'était pas encore apparu dans le monde", il peut donc vouloir dire, à la suite de son maître Origène... (p. 59)
ただ、七十人訳とヘブライ語テクストとの違いを指摘していたのは、オリゲネスだけではありません。当然のことながらラビ・ユダヤ教においてもこの違いを説明する伝統がありました。こちらについては、やはりヒエロニュムスの残した説明が参考になります。ヒエロニュムスによるユダヤ伝承の報告というのは、教父学の研究史においては信憑性が疑われていましたが、おそらくバルテルミーもそうしたことを意識しつつ、次のように書いています。
Malgré la tendance à généraliser qui dévalue bien des affirmations de Jérôme, on peut se fier généralement à ses dires lorsqu'il prétend tenir des juifs une tradition. (p. 60)
ラビ文学からは、メキルタ・デ・ラビ・イシュマエル(出12:40)、タルムード(メギラー9a)、タンフーマ(シェモット22)などが比較対象として挙げられてされています。これらの書物においては、七十人訳とヘブライ語テクストとの(特にメシア的な記述に関する)相違がリストアップされているのです。ただ、バルテルミーは、ヒエロニュムスがこうした伝承に親しんでいたことは認めつつも、エウセビオスに関しては、やはり典型的なキリスト教的な解釈をより強く残していると説明しています。

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