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2019年3月14日木曜日

ヒエロニュムスとギリシア異教文化 Courcelle, "Christian Hellenism: St. Jerome #2: Jerome and Greek Pagan Culture"

  • Pierre Courcelle, Late Latin Writers and Their Greek Sources (trans. Harry E. Wedeck; Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1969), 58-89.

Late Latin Writers and Their Greek Sources
Pierre Courcelle
Harvard University Press
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ヒエロニュムスはギリシア文学を翻訳で読んだことを隠していない。特にキケローの翻訳で、彼はプラトン『プロタゴラス』、クセノフォン『オイコノミコス』、デモステネスとアイスキネスの互いへの弁論などを読んだ。

ヒエロニュムスは頻繁にギリシア詩人に言及するがあまり引用はしない。ホメロスについては、必ずしも原典を直接読んだとは限らず、キケロー『老年について』やルクレティウスのラテン語訳などを通して読んでいた。ヘシオドスはアレクサンドリアのクレメンスを通して読んだ。シモニデス、ピンダロス、アルカイオス、ステシコロス、ソフォクレスらについてはその評判しか知らなかった。アラトス、エピメニデス、メナンドロスらについては新約聖書で引用されている箇所にしか触れていない。エウリピデスとアリストファネスについては、プルタルコスやポルフュリオスらから知ったと思われる。

ギリシア弁論家たちについては、名前を知っていたのみで、その著作に通じていたわけではなかった。リュシアス、ヒュペリデス、ペリクレス、デモステネス、アイスキネス、イソクラテス、ポレモンなどに言及している。詩人も弁論家も聖書解釈にはあまり役に立たないので、直接の知識が必要なかったのであろう。

ギリシア哲学については批判的である。なぜなら、彼によれば異端者は皆プラトンとアリストテレスの弟子だからである。ゼノン、クレオンブロテス、カトー、エピクロスについては、すべて読んだと主張しているが、これは修辞的な誇張であることは明らかである。他にもアナクサゴラス、クラントル、ディオゲネス、クリトマコス、カルネアデス、ポセイドニオス、エンペドクレスらを学んだと述べている。ピタゴラスについては、ラテン語訳でのみ読んだことがあると認めている。

プラトンの著作については、ヒエロニュムス自身は原典テクストを所有していたと述べているが、多くはキケローの翻訳などで読んだようである。プラトンの哲学については、かなりいい加減な知識しか持ち合わせなかった。魂の三部分に関する議論についても、オリゲネスやナジアンゾスのグレゴリオスなどに依拠していた。プラトンと新プラトン主義との混同も見られる。

アリストテレスの形而上学的著作については無知だった。ヒエロニュムスにとって、アリストテレスは論理学者であり自然学者であった。アリストテレスの話をするときには、テオフラストスも一緒に遡上に上げることが多い。テオフラストスの情報源は、F. Bockによればテルトゥリアヌスだとされているが、G. GrossgergeとE. Bickelによればセネカ、プルタルコス、ポルフュリオスだとされる。

ポルフュリオスについて、ヒエロニュムスは強い関心を持っていた。彼はポルフュリオスの『エイサゴーゲー』を若い頃からよく読んでいたが、それを情報源にしていることを隠していた。なぜなら、敵対者たちから異教文学に耽溺していることを非難されないようにするためである。しかし、ヒエロニュムスのオルフェウス、ピタゴラス、ソクラテス、アンティステネス、ディオゲネス、サテュロスらについての知識はポルフュリオスに由来する。しかもそれに勝手にキリスト教的なトーンを付加している。

ポルフュリオスの著作でも言及するものとしないものがある。『ピタゴラス伝』と『禁欲について』に言及することはないが、『反キリスト教論』には頻繁に触れる。ただし、ポルフュリオスの著作のすべてを直接読んだわけではないと考えられる。むしろポルフュリオスに対する駁論、たとえばオリュンポスのメトディオス、カイサリアのエウセビオス、ラオディキアのアポリナリオスらから彼の教説を紹介することもある。特にエウセビオスに主に依拠している。

ギリシア歴史家に関しては、ヒエロニュムスは必ずしもすべてを原典で読んだわけではないし、そもそも名前を挙げているだけの場合もある。彼が目を通したのは聖書研究に有益な歴史家の作品である。それはたとえば、トゥキュディデスやヘロドトスであったが、それらの引用はプルタルコスやアレクサンドリアのクレメンスからの孫引きであった。クセノフォン『オイコノミコス』はキケローの翻訳で読んだ。

ユダヤ人歴史家としてフィロンとヨセフスにしばしば言及している。フィロンの著作を所有していると述べていたが、しばしばエウセビオスを通じた引用をしている。ヒエロニュムスは、フィロンを哲学者というよりは歴史家として重んじていた。ヨセフスについては、ヒエロニュムス自身は何度も否定しているが、伝統的に彼がヨセフス著作の翻訳者だと考えられてきた。ユダヤ人の歴史と文明の知識については、ヒエロニュムスはヨセフスに負っている。また他の古代作家たち、たとえばベロソス、ムナセアス、ダマスコスのニコラオス、アレクサンデル・ポリュヒストル、クレオデモス・マルコスらの著作にも、実際にはヨセフス経由で触れている。

ギリシア医学に関しては、ヒッポクラテスやガレノスに言及している。前者はオリゲネス経由での知識と考えられる。ギリシア自然学については、アリストテレス、テオフラストス、シデのマルケッロス、ディオスコリデス、オッピアノスに触れているが、それはテルトゥリアヌス、パキアヌス、アンブロシウスらキリスト教作家からの又聞きである。ギリシア鉱物学については、エピファニオスに負っている。彼は大プリニウスを自分で読んでいたにもかかわらず、ほとんどのギリシア自然学者については名前だけ知っていたにすぎなかった。

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